21日目、

先月から毎朝、ダイナミック瞑想をしている。

ひさびさにダイナミックしたいなーって思っていたタイミングで、シッダがファシリテートするzoomでの瞑想会があったからそれに参加した。

瞑想はそのひとつのものをまずは7日間続けてみるといいと言われる。

それができたら、21日間、3か月・・。

これ、瞑想に限らず物事を理解・習得しようとするときにつかわれる。

zoomの瞑想会。

zoomでダイナミックをするのははじめてで(ダイナミック瞑想するのも1年半ぶり!)、どんなふうなんだろうと思っていたけど、良かった。
みんなとつながってやるってほんといいね。

毎回、インストラクションがあり、ダイナミックに関してのoshoの音声か言葉が流れる。リッチだ~。

何度もやってる瞑想でも、毎回毎にインストラクションがあるっていい。

そのzoomの瞑想会が終わり、しばらくひとりで続けていた。

そして今日はダイナミック瞑想をスタートして21日目。

イエイ!気持ちええぞ。


ダイナミック瞑想は5つのパートで構成されている。

最後の第5ステージは、祝祭。

その祝祭を今日一日携えて生きる。

こうやって書いているだけで、ぶわわーっと歓びがわいてくる。生きるってこうゆうことだったな。


今回の瞑想会で流してくれたoshoの言葉。


祝祭とは植物に水をやるようなもの、思い煩うことはその根を切るようなものだ。

みなさん、今日も美しい一日を。

Feel happy!




ダイナミック瞑想について

表現するのは気持ちいいと知った

寒くなりました。寒いと眠りが深くなるね。今朝起きた時、何年間も寝ててとうとう起きたってぐらいの目覚めだったよ。


最近、わりとまめに文章を書いてる。こうやって書いたり、色を使って絵のようなものを紙にあらわしたり、毎日なにかしらその時あるものを表現したいなっておもってやってる。


はじめてブログを書いたのは、神戸で独立したとき。宣伝というより文章を書いてみたかった。
だれにも気づかれませんように、って書いてた、笑。
だれも読まないって思って書くと、するする自由に書けた。
自分をどこにも置かずに、どんな位置からでもなく、なにも纏わず、心にあるものをそのままの言葉で書きたいという想いで書くのは気持ちがよかった。


恋人がいなくて、適齢期とか、世間のいろんなモノサシに計ってもらえるものを何も持っていなくて、今も将来にも不安がいつもあって、孤独と感じていて、友だちに甘えたいけど、向こうの事情を勝手に想像して連絡できない、そして今の仕事のやり方を変えたいけれど、独立する前からずっと来てくださってるクライアントの期待に応えたい、と葛藤していた時期。

あの時期、文章を書くこともそうだけど、わたしはたくさんのジャンプをした。えいっっって、怖くて目も開けられないまま飛び込むってことを。
ひとからはジャンプには見えてなかったかもしれないこともわたしには大きな一跳び。

あの時期だけじゃないな、それは今もおんなじ。わたしの繊細さ敏感さは以前とおなじ、変わらなくて。
ちっちゃなことにジャンプして、たまに後ずさりして。
でもあの時みたいに葛藤で苦しくなることは少なくなった。今はまた別のかたちをしてるけれど、それはもうジャマなものではなく。

繊細すぎて生きるのが大変ってひと、ここから応援してる!!!

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バランス

だいたい秋のはじまりくらいから次の夏がはじまる辺りまで、ゆっくりじっくり体重が増えていく、というのがここ数年のわたしの身体。

毎年4キロほど。結構大きい。

だからシーズンを問わない服の中でもピチピチで入らなくなる服が増える。

そして夏がはじまるとゆっくりと体重が減っていく。

夏がはじまるころというよりも海に入りだすと。

アクアフローティングは夏の海ですることがほとんど。

海という自然と触れ合うと、身体も自らが自然であることを思い出していくのかな。

それに海も水も塩分もどれも強い浄化作用がある。

出る必要のあるもの不要なものが出ていく。

肉体的なもの、感情的なもの、いろいろ。

そしてわたしの場合、好きなことアクアフローティングをシェアできる時間だからすごく満足感がある。

満足してるとき、しあわせと感じてるとき、それはエネルギーの循環が起こっているときで、その時、わたしはそれほど食べ物がいらない。

逆に、足りないという感覚の時、身体を気持ちよく動かせてない時とか、わたしはよく食べ物で補おうとする。

そうゆうとき、多分その辺の男性よりも食べる。


今年はなんと気づくと6キロも増えてた。見たことのない体重になってた。
久しぶりに会った母からは、ええ~っと驚かれ、一緒に暮らしてるギリからは、マルガ大きくなったね!と・・。

ええ、かなり。

ビッグマルガがいいと言う人もわりといるよ。


精神とか人生とか身体やホルモンとか、今わたしが大きく変化しているプロセス。この大きな変化はどこを見てもだれに聞いても起こってる。

わたしたちは独自のそれぞれのリズムやバランスをもってる。それが周りからみておかしなことであったとしても、どんな変化のプロセスであっても、それが今の最善のバランス。


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誕生日のプレゼント

最近のお気に入り。

藤井風

https://www.youtube.com/c/FujiiKaze/featured

ハイアーセルフの歌、歌ってる。

カバーもすごくよくて、選曲がめっちゃいい。わたしも好きな歌だらけ。

ピアノもルックスもいい。



先月、わたしの誕生日だったのです。 写真はその日の夜明け。

その日、わたしは奄美大島から沖縄へ向かうフェリーに乗っていた。 10時間のゆったり船旅。

自動販売機で飲み物を買おうとしてお金を入れたら、入れたコインが1枚戻ってきた。

10円玉だと思って手に取ったら、ちょっと小さい。10円じゃなかった。

日本のお金ではない。

コインには王冠をかぶった女性の横顔がいて、one pennyとある。

イギリスのコイン、1ペニーだった。

へ?

なんで?

いつの間にわたしの財布へ入った?

不思議。

エリザベス女王からの招待かな?

生まれて半世紀。50歳のお誕生日はそんなスタートから。



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シンプルが好み?

わたしはシンプルな部屋が特別好きなわけじゃないなと、最近気づいた。

こんまり流でいうと、シンプルな部屋にときめかない。

でも今のわたしの住まいはとてもシンプル。以前の住まいも物が少なかった。その場所に住んでると言うとよく驚かれた。

なんでシンプルかっていうと、大きな理由は、セッションのスペースとしても使っているから。ごちゃごちゃした場所でセッションできない、したくないから。

そう、わたしの住まいは完全なプライベート空間ではないんだね・・ほんま今さらだけど、それが解って、事実に戸惑う。 戸惑うというか、正直言うとショックだった。

それはセッション場所とプライベートの空間が分かれていないからショックなのではなく、なんかね、今まで自分をトータルに寛がせていなかったんじゃないかってことを思ったから。なにかを自分に課してたのかもなって。

セッションの場所ってとっても大切、とわたしは思ってる。だから適当な場所でやりたくない。どんな時もスペースって大事でしょ?内が外に現れるというけれど、スペースって内のことだから。

そして、今までのわたしは物が少ないことが良いこと、それが片付いてるということ、それを自分が心地いい、好きって思ってた。けど、本当にわたしの好みだったんだろうか??物が少ないのが良いことって思い込んでたんだな。

わたしは好きなものと共に暮らしたい。

今まで自分のどこかにセッションの邪魔になるようなものは置かないようにという無意識の縛りがあったんだと思う。気に入ったものがあっても、物が増えるとな・・って買わずにいた。

けれど、わたしが好きなものと共にいるいるとき、わたしはハッピーで、それはセッションのサポートになるのよね。

身体に触れることをおしえるとき、セッションを提供する側の人の心地いい姿勢、場所であることは大切だよと伝えてきた。それがクライアントの安心や心地いいを支える。

その姿勢、場所は変化していく。今それが心地いいからといって、次の瞬間はわからない。

人も変わっていく。もしかすると、変わってるんじゃなくて、本当の好きを思い出しているのかも。自分じゃないものは遅かれ早かれはがれていく。

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恵みをいただく

昨日は畑のさつまいもを掘った。

収穫した、と一言で終わることもできるんだけど、 些細なことと思われるようなものの中にたくさんのことがある。

まるで自分がお産婆さんになったみたいに、土の中で育っていた赤ちゃんが生まれる準備が整い、出産を手伝ったかのようないい体験だったよ。

さつまいもの周りの土はかちかちで固くて根っこが深く、少しづつしか掘り進められない。スコップを使うとおいもを傷つけてしまった。だから手で、ちょっとづつ。20cm以上に育っているのもあって、あの小さなひょろひょろの苗がゆっくりじっくり土の中で形を変えながら拡がっていったんだよね。

がんばれがんばれ、そうそうその調子、っておいもに言うような気持ちがわいてきて。そしておいもは無事生まれた、土から出てきた。わたしたちも母親のお腹の中でいろんな準備をして、母親と協力してここへきた。いのちはすごいな、ほんとに。

幼稚園の時のお芋掘りの記憶がある。

さつまいもがあるであろう整列した横に長い一列。その場所の前にわたしたちは並んで座ってた。先生の合図があるまで待ってる。記憶のある場面はそれだけ。

その時の感覚を今のわたしが言葉にするなら、ずらっと並んだ機械の前にいて、それの操作方法を教わりとりかかる号令のベルが鳴るのをだるく待っていて、そしてその機械の前にいる自分も機械の一部のような、そんな無機質な感覚だったとして残っている記憶。

いま、昨日掘ったさつまいもはホイルに包まれ鍋の中。甘いといいな。

秋だねー。

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この世界からのギフト

7月末から、アクアフローティングのセッションやグループを通して、 久しぶりにいろんな方と出会いました。

生身の存在と出会えるということが、稀な機会となった今。 触れ合えるということがとても貴重な大切な時間だと知りました。今の世界からのギフトだな。

前は当たり前だと思っていて、いや、当たり前と思っていることも気づけないほど、だれかと面と向かうということを、当然のこととしていたなと思う。

出来事を通して、わたしたちは賢くなっていく。 出来事を嫌わない方がいいね。ハプニングって、ぱっと見は面倒に感じるんだけど、これが人生を動かしていくんだなとおもう。どんなふうにそれが動いていくかはそれぞれの受け取り方次第で、それぞれにとっての今の最善に。

アクアフローティングは、ひとりではできない。

水に浮かんで気持ちよくなるというだけならひとりで遊べるけれど、これはちがう。必ず相手が必要。だからこそ素晴らしいツールなんだとおもう。

「関わり」の中で起こっていく。関わることって多くのひとにとって面倒なもののような気がする。どうやったらひとと関わらないで済むか?ってくらい、関わりを苦手なものにして、避けているひとは多いと思う。それは自分自身に対してもそう。自分の一部ともなるべく関わらないようにしてる。特にいろんな感情や痛み、好きになれない部分、自分の美しさからも逃げようとする。 心が動くことがこわいんだ。

でも本当はわたしたちは触れ合うことを渇望してる。自分の中にあるすべてと、目の前にいるこの人と、世界にあふれてる美しい醜いものたちと。

触れ合いたいって本能だよね。

スタジオウーヌス

元気ですか?

元気にお過ごしでしょうか。
ほぼ二月ぶりに、これを書いています。
パソコン触るのもいつぶり?さて、なにを書くのかな。

長い期間休んでいましたが、スタジオウーヌスはセッションを再開しています。

突然与えられた休み、
のんびりするのに慣れなかった方もいるんじゃないでしょうか。
わたしはそうでした。
なにかをしなければならない、という無意識の縛り。
それに気づいてみると、その縛りはずっとずっと自分をかなりの強度で縛りつけていたんだなとわかりました。

たとえば、働かざる者食うべからず、という考え。
これはとても根深く、働かないと生きていけないというより、生きていてはいけない、とわたしは思っていたようです。そんな奴は生きる価値がないと、自分が思ってる以上に自分のケツを叩いて生きていたんでしょう。
働いてその対価でお金をもらい、そのお金があったから生きてこられた。
けれど、そうじゃないのかもしれない、
働いてきたから今も生きているんじゃない、
存在がいのちの面倒をみてくれていたから今ここにいる、ということが腑に落ちた日々でした。以前までとはちがう理解にいたったように感じています。

働くことはお金を稼ぐことだけがイコールではないと言われますが、ほんとにそうですよね。
働くとはどういうこと?お金を稼がなかった期間にたくさん考えていました。



2月から畑を借りて野菜をつくっています。
これね、つくっていると書いてるけど、わたしは作ってないんですよ。
自然が作ってくれてるの。ほんとに自然ってすごい。
それを知れたことがとても嬉しい。すこし賢くなれたかもしれない。

少し前に「21世紀の資本」という映画を観たんですけど、それを観て一番感じたことは、みんなひとりひとりが本当に賢くならないといけないなということ。わたしたちが賢くなることでこの世界はもっと美しくなるんだなって。
自分の中に本当の知恵を育てなきゃいけない。当たり前とも思わないほど自動的に思い込んでいる物事に気づくことが大切だなと思います。えらい人たちの言うことばっかり聞いてても賢くなれない。

それにはやはり「感じる」ことがキーなんだろうと。そしてその感じるのはわたしたちのこの身体を通して。
自分の感性を育て、自分の感覚を信じて生きていく。いいと思いません?


愛をこめて


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魔法をつかう

なにかが詰まってしまいスムースに流れない、最初のその詰まりさえ出ればあとは簡単にスルスルっといくはずなのにー、

ってまるで便秘のようなんだけど、
ここのところのわたしはしょっちゅうこんなかんじでした。
実際にはお通じだけの話ではなく、身体と心のこと。


ウイルスが世界で拡がっているということが自分自身が考えている以上に身体と心を縮ませている。
あなたはどうですか?


ウイルスに伝染するかもしれないという怖さではなく、この状況が長引くかもしれないということへの怖れ。
これはわたしにとっては閉じ込められるような感覚があり、それが本当にイヤ。自由を奪われるような怖さ。
それを感じてるとき、わたしの身体はエネルギー体も含め縮んでいる。自分が狭くてとても息苦しい。



この身体の緊張、無理に解こうとしたってなかなか大変。
なんてことはなく、すぐに解ける方法がある。



それは今起こっていることに意識を向けること。


呼吸に意識をむけて
自分が考えていることに気づいて
自分が感じていることに気づいて
身体に起こっていることに気づいて


身体全体に
身体のパーツに
感覚に
わいている感情に
考えていることに
起こってることに
気づいて


それらを
判断をもちこまず
追い出さず
入り込まず

そのままそのまま
居場所をあげて



どんなものであれ、
今わたしに起こっていることに間違いはない
自分が良い悪いと判断することはあったとしても

そう感じてみるとなにかがほどけていく。



自分を変えようとするのをやめると変容は起こる。

やってみたひとだけがその魔法を知る。
魔法ってシンプル。



★★★スタジオウーヌスHP
http://www.banyantree8.com/

ハートの先端は手。手は表現者。

あたたかくなりました!
春分が過ぎ、うちの地球暦も2020年バージョンに。
新しいはじまりは清々しい。

そして今回もお味噌つくったよ。
今年はだれかに声かけずにわたしたちだけで。
たくさんの量の大豆をつぶすのに大変で、いま腕が筋肉痛。
1年は寝かせておいしくなったら好きなひとたちにシェアする予定。

あと甘夏マーマレードも。無農薬のものでそのままだとめっちゃ酸っぱかったんだけど、ジャムにしたら酸味と苦みと甘みの加減が最高。



ものを創るというのは、すごくいい。

文章を書くでも、ごはん作るでも、マッサージでも、
なにか創るときは手をつかう。
なにか伝えるときは手をつかう。

その「なにか」とは、
愛、感謝、励まし
いろんな言葉がでてくる。


あなたの「なにか」はなんという言葉で表せる?
あなたが伝えたいものはなんですか?
もしかしたら言葉では表現できないけどしっかりと感じれる「なにか」。


手はハートの先にある。ハートの先端部分が手。
手は表現者。
そのあなたの伝えたいものを手にのせてね。
だれかの手から伝わってくるものをちゃんと受けとってね。


言葉で伝えるのが難しいと感じてるときは手をつかおう。
伝える相手はだれかだけじゃないよ、自分にも。

手をつかうほどにハートもゆるんでよろこぶ。
手をつかおう、しっかりとその心を込めて。
恥ずかしがってないで。
ほんとは伝えたいこと、愛、を伝えよう。



近くにいるひとが怖がって固くなっていたら、
手で背中を撫でてさすってあげよう。

自分がどうしようもなく不安でだれにも言えないなら、
手のひらでそっとゆっくりと頬っぺたを包んであげよう。

大丈夫、怖がっても大丈夫、泣いても怒っても大丈夫。
その呼吸で、その身体で、その癖で、その強さで、大丈夫。
その手は、そのままのあなたが大好きなんです。




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