はろー、マルガです。
20代のころ、めっちゃ好きになった人がいてね。それまでのわたしだったら信じられないくらいに一生懸命に自分の想いを伝えてた。
その人は遠く離れたところに暮らしてた。そう、これはスマホもスカイプもなかった頃の話でございます。
そんなに頻繁に会いに行くことができなくて、相手となにか約束をしたわけでも、言葉で確認しあったわけでもなかった。
それは不安だったけど、それよりもその人が好きということが、わたしにとって大事なことだった。
仕事の帰り、コインをたくさん用意して、ゆっくりと話せる国際電話のできる公衆電話によく行った。
たくさん用意したわりには、長く話せないときもしょっちゅうあって、がっくりしたり、楽しい会話をしたあとはルンルンだったし。
彼の生活の中に別の女性が登場したりして、それは悲しいんだけど、そこまで気持ちが大変になることはなかった。それよりも、わたしと彼との間で起こることにはめちゃくちゃ揺さぶられてた。一喜一憂。
手紙もよく書いた。
わたしはある時から、当たり障りのないことを書くのをやめた。きっかけはなんだったか忘れたけど、わたしの想いをちゃんと手紙にのせて送ろうって思ったんよね。
それは好きという気持ちももちろんそうだけど、ここにあなたを大切におもってる、あなたがしあわせでいることを望んでる人がいるからね!って伝えたかった。人を信用できない彼にわたしを信じてと言うことはできなかったけど、その代わりというのか、わたしはあなたがいてくれて本当に嬉しい、あなたはわたしに愛されています、ということ。
ダイレクトな表現もあれば、そうでないものもあったとおもう。けど、わたしはど真ん中にある想いをいつも手紙にのせた。
相手がそれを受けとるかどうか、どんなふうに受けとるのか、照れくささ、嫌われたらどうしよう・・
人とのコミュニケーションでは、今まで経験した痛み、怖れが出てくる。それらがそのままのそれを表現させないようにするけど、本当のことを伝えよう、とそう感じる。
あの時のわたしは人との関わりで起こった痛みを持っていなかったわけじゃない。けど痛みにごまかされないほどのものがあったんだとおもう。愛とか情熱とか真っ直ぐな気持ちとか、どんな言葉で表すかは今はあまり重要には感じなないけど。ただ、そのものたちはわたしのエッセンスで、忘れていたとしても無くならない。こうやって20年以上前の物語を書いたことで再びつながりなおす。
今、人生の切り替わりにいる。これ読んでるひとの中にもいるかな。ここに書いたことを思いだしたのは、今日ブログを書こうとしてふとなんだけど。
ブログでこうやって言葉で表現することの意図というか、なんでわたしは書いてんのかなーってしばらくずっとわからなくなってて、当たり障りのないことをいつの間にか書いて、するとほんとに書くことが面白くなくて、書くことから逃げはじめて。書くことだけじゃなくて、なんで生きてんのかなー、いつの間にか気づかんうちに生きてるふりしてたのかもしれないということにも気づき。そうしたら、思わぬ場所で人生について問いかけられ。なんで生かされてる?
あの頃彼に送った手紙の一通が、彼だけじゃなく他の人の人生にも大きく影響してたことをずっと後になって知ったことを、今朝ふと思い出した。
で、そこからあの時の自分を思い出したんだよね。
ああ、あの時のわたしは本気で人に話しかけてたなって。人と付き合うのがへたくそで失敗ばっかりしてたけど、真っ直ぐにそのままを、愛を伝えてたな。
わたしの原点。
わたしはここで愛する人に話しかけよう。仲間に語りかけよう。
★マルガのセッション