自分の世界

だれかの行動に対して反応するとき、わたしたちは自分の観方でその人や物事をみる。
普段あまりそれには意識が向かないかもしれないが、ふとした時にその自分の捉え方に驚く。
自分の観方のまま自分の世界はできてる。

こないだの話。電車に乗る前にコーヒーを買った。
自分の荷物がわちゃわちゃとあって、電車はすいていた。飲み終わったコーヒーカップを置く場所がなく、足元に置いた。
降りる時、すっかり忘れていたわたしはおっちゃんに声をかけられた。
「わすれもの!」あっと思い出して、コーヒーカップを取ろうとしたら、
そのおっちゃんが「自分で飲んだものぐらい、ちゃんと責任もって・・」と言いながら降りて行った。

多分わたしを知ってる人からしたら、忘れたんだとわかると思う。けど、その人はわたしがそこに捨てて去ろうとしたように見えた。いけずな言い方、と感じたけど腹は立たなかった。
ただ、そのおっちゃんの頭の中には、自分のゴミを自分で捨てない人がいるんだろうと思った。

わたしたちは意識してないと決めつけとか思い込みのマイワールドで生きてる。
毎日を生きてて、人はさまざまな事情や想いやたまたまの失敗などいろいろある。
んでまた、事情があるかもしれないと目を向ける余裕のない時も、あるんですよー。




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触れることを通して自分と出会っていく
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ふれると、ふれられる。

触れる触れられることについて、
どんなかんじ、あるいはイメージを持っていますか?


わたしはこの仕事をする前、はじめてからもしばらくの間は、
触れられることがすごく苦手だった。
たとえば同じ職場の人に練習のために触れられる時間とか、
ふとした時に唐突に友人から触れられる瞬間とか、
身体が閉じてしまう感覚。



触れるということは、実は触れている者から触れられている、
のだけれど、それに気づくと、触れるということへの感じ方、観方が変わる。


そう、実はわたしは触れることが苦手だったのだ。
でも、同時にとても魅かれていた。

触れるのがこわくて、触れられるのがこわくて、でもそれにつながっていたかった。



今も、気楽に・・触れることはできない。
それぐらい、わたしにとって人という存在はとても畏れ多い。
尊く、繊細で、大きく、未知。
同じ身体は見たことないし、触ったこともない。いつも初めて。



触れる前は、その身体ー存在を迎え入れる部屋を整え、さまざまな準備をする。
それはある意味、わたしにとっての儀式のようだとおもう。
触れるということはとても大切なことだから、
それに見合った準備がいる。
それは深刻ではなく、神聖だから。

いろんな場所にたくさんのマッサージのお店がある。
10分単位で手軽に入れるお店もいっぱいある。
それはやっぱり触れられることを多くの人が求めてるからなんだろうと。

人とのつながりがもてないと、わたしたちは生きていけない、健やかでいれない。
疲れてるのは肉体よりも、先に心の方。
触れられることでどこかが安心する。
だからマッサージのお店は多くあるのだと思う。



oshoがマッサージについて語っています。
マッサージとは
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すぐに終わってほしい

1週間、表現アートのワークに参加していました。
名古屋にもどってきて、のどの痛みと体のだるさと風邪の症状ににたものが出て、
わたしの中のいろんな調整が起こっているようでした。

頭痛や風邪みたいな症状、なにか普段とは異なることー不調が起きると、すぐにそれを排除したくなります。
薬で抑えようとはしないかもしれないけれど、自然療法のようなものを使って対処しようとする。
すぐに去っていって欲しい。

対処的というのは、ある状況に直面した出会い方のひとつ。
もしそれが身体の不調だとして、薬で抑えるような方法ではなく、自然なツールをつかっていても、それはホリスティックー全体的ではないなと思います。

セッションやグループに参加して、すぐに「効果」「よくなる」を期待する気持ち、
それが出てくるのは当然に思えるし、すごくよくわかる。
実際に一瞬でなにかがシフトすることもある。
でもそればかりじゃない。その期待する気持ちは依存的で対処的でもある。


わたしたちの身体も考え方も時間をかけて繰り返ししてきたことの、今。

なぜ今それが起こってるのか。
理由を考えるのではなくて、
それが今起こっている。それを感じてみる。

早く終わらせようと躍起になっている自分、よくないことが起こっていると判断してる自分、
わたしは弱いと嘆く自分、あいつのせいだと攻撃する自分、もっと大切にされたい、いろんな声、訴えが聞こえる。


より大きな視点・全体として、今起こってることを観たいなと思う。
その視点は自分にとってもだれかにとってもその症状にも、あたたかいはず。

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