知らないを知る

毎日見てる顔なのに、あれ?このひとだれだっけ・・ってなるような、
初めてそのものと出合ったような感覚が時々やってくるんだけど。


自分ではその人のことをよく知ってるとか解ってるとか思ってるけど、本当には理解してない。
そうおもってる自分、解ってないことを知ってる自分がいることは、わたしにとっては大事なことのように感じてる。


それに気づかないと、幻想の世界だけにいることになるから。
幻想の世界とは無意識とかルーティンとか。
自分がいつも自動操縦で動いてるとしたら・・想像したらこわくない?生きてないんだよ。


みんながマイワールドにいるって知ることが、本当の意味でつながりが起こってくるはじまりなんじゃないかなとおもう。
わたしの知ってるあなたと、あなたはちがう存在。
わたしがわたしだとおもってるわたしと、わたしはちがう存在。


まずは、自動操縦のスイッチを切って、そのロボットからヨイショと出て、初めての空気に触れて、感じて、吸って、吐いて。

気の済むまで何度でも、その初めての空気をあじわい、
そして、鏡を見る。

ハロー、こんにちは。はじめまして!
どんなひとがうつってた?




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食べる姿からみえるもの

ハロー、マルガです。


この写真は「聖者たちの食卓」より。



食卓ー食べること、生きること
http://www.banyantree8.com/blog/2019/12/post-1584-1482643.html
ギリのこの記事を読んだらインスパイアされて、わたしも食べることについて書きたくなった。
食べるについては、いろいろと感じることがあるけれど、今回のトピックはこれ。


ひとが食べてる姿を見るのが好き。しあわせ感じませんか?
いつでも、だれのも、というわけではないけど、少なくとも汚い食べ方・キレイに食べるとか、そういった判断ではこのことはじゃまされない。



わたしは躾というものをたくさん受けて育った。
出自や、母親のコンプレックス、考え方やいろんなことから、母の日本社会への恐怖と子供への愛情がそんな形として出てたんだとおもう。
とにかくまぁなにからなにまで、躾という名の「こうゆうかたちが正解です」を身につけさせようと。


その躾は、食べる場面においてのこともたくさん含まれていた。
食べてはいけないものが多くあった。食べ方についても行儀良さを求められた。そして母の努力とわたしの努力で、わたしは「キレイな食べ方」ができるようになっていった。


躾とは
行儀が良い
育ちが良い
他者から良い評価を得ている
そうゆうものを得るためにしているなら、それは大変つらい。


食べ方さえも、自由を奪われる、他者の視線を気にしないといけない、ってどんだけ重症やねん、と思いません?


ひとのことをよく見てます、わたし。自分がそうしているとは知らなくて、言われて気づいた。よく見てるねーって。そうか、よく見てるんか。けど、ひとに興味なかったらこの仕事はしてないよな。マルガってほんとにひとが好きだね、とも言われたな。



食べ方ってそのひととなりが表れる。ぱっとした見た目もそのひとのある部分は見えるんだけど、食べるってもちょっと濃いっていうか。そのままが見えるし装ってることもわかる。


けどそんなことよりわたしが感じるのは尊さ。みんな一生懸命生きてるよなってしっかり感じられるの。ああ、そうだったみんながそれぞれの人生を生きてるって改めて思いだす。命は美しいってことをリアルに感じられる。それが食べてる場。その時の自分はまちがいなくあたたかい。人間のもつ善良さと深くつながってる。感謝があふれてくる。


食べるってなんて奥深いんだろう。こうやって書いててもいろんな方向に枝が伸びるみたいに、あっちもこっちもでてくる。
なにを書いたら、どこを書いたらいいのか、わたしはなんて大変なことを書きだしてしまったんや・・って思ってる。食べるって本能だし生きることだし命をつくってることだしね。


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クリエイション

はろー!マルガです。
ちょっと喋ってたことを残したくて、ここに書く。


どんな世界を創る?




女でいれる場所で生きたい。女で生きたい。

感情は一定じゃない。泣いたり笑ったり怒ったり。感情豊か。
感覚的。身体の生理機能(内側)からも環境(外側)からも影響を受ける。敏感、繊細。
波のよう、バイオリズムとか、季節の移り変わり、四季みたいなもの。
自然とおんなっておんなじ。
女は自然。

自然に生きる。女で生きる。





波があることは、今までの社会では嫌がられてきた。波があるって一定じゃないってこと。
ずっと一定、上向き、ってそれが大切だと思わない。経済、売上がずっとずっと前年比アップ目指すって、なんかどこかおかしい。自分が生きてることはだれかの負担の上、そんなん終わらせる。

海女さんは、海に潜って見つけたもの全部持ってこないんだって。今採るもの、頂くものをちゃんと知ってる。かっこいい。

家族の中で財政つまり豊かさのキーを持ってるのは妻だっていう。妻がゴキゲンさんだったら、その家は安泰だそう。それが家族というコミュニティじゃなくて、もっと大きくとらえられたら。





人には波があるもんだってもし理解していたら、協力がうまれる。協力って力の無いところに力を貸すんじゃなくて、それぞれの力の出し処が最適ってこと。だからそれぞれの色、才能がより開いていく。


それぞれにリズムがあること、それはわかっているようで、普段の生活ではなかなか難しい。 当たり前で自然なことを、わたしたちは抑えてきたんだよな。我慢とか、薬とかを使って。だれかの良い悪いの基準に沿って。

そして自然がなにかわからなくなって。だから自然からはずれないこと大事。自然って、ただの自分。ありのまま、そのままの。自然、自分、女という言葉はおなじ意味。アイデンティティや女性性の話じゃないよ。



愛って叫んでもいい

昨日、友人が来て、今彼女が学んでることの練習として、セッションを受けた。





わたしは愛の交流をする

このために生きてるんだってことだった。

なんていうのかな、あまりにするっと身体からでてきたもんやから拍子抜けっていうのか、どこかで使い古されたようなかんじもするし、マインドがもっとすごいもん出せよみたいな欲求もあり、その時はまぁねーってかんじで。


で、友人が帰り、

それもまたさらっと、

それ、わたしずっとやってるやん、って。

セッションでも、メール送るときでも、ごはんつくってても。

あ、わたしは生きたいように、魂の願うままに、今いるんだ。

それを知った。

泣けてくる。

でもね、気づいたときは、ずっと解きたくていつもいつも探してた難しいクイズの答えが実はすでに知ってたみたいな拍子抜けしたかんじで。



新しい出会いではないけど、最近離れててすごく久しぶりに会ったような感覚で、でもそれは新たな出会いで。なぜならわたしが前とはちがうから。 わたしたちは何度もそうゆう出会いを体験してる。理解するってそうゆう出会いのようなものだと感じる。円ではなくて螺旋。まだクリアしてなかったか、まだ知らなかったのか、ではなく、深く高く広く理解が起こってるの。






愛って言葉、ずっと使いづらかった、今も。

言うのも書くのも。出そうとすると一瞬ひるむというか迷うというか。おまえなんかがそんなこと言っていいのーー?って声がどこかからきこえて。


いいの。いいんですよ、愛って言っても書いても叫んでも。

もぞもぞしたって、言葉にひるんだとしても。

おまえなんかでも、あんなヤツなんかでも。

だって、本当のことだから。愛なんだから。

出せない言葉ほど、本当はわたしたちは出したい言葉なんじゃない?

怒鳴ってる言葉の奥にある想いみたいに。

その想いの言葉を出していきたい、そしてだれかのその想いの言葉の存在を知ってあげれるといいなっておもう。


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並べてみた

ハロー、マルガです。

いま毎日スクワットしてる。今日で3日目。明日もすれば3日坊主ではなくなる。

きっかけは夢のお告げ。

夢の中で、わたしはスクワットしてて、するとどんどん第1チャクラあたりがボワー!って燃えるような感覚になっていった。で、これはすごいぞ!と感じているって内容。

朝、目が覚めてからその夢を思い出し、なんとなくピンときてそして今やってる。第1チャクラがボワーとなるかな?



12月に入っていろいろあったなぁ。

みなさんはいかがです?



鳥羽の方にアクアフローティングできる場所探しに1泊した。(プールがいまいち、プールが一番大事なのに)

女性の願いをひとつだけ叶えてくれるという石神さんという神社へお参りした。(とてもいい場所、海女さんのすごさ、海女さんのこともっと知りたい)

友だちに甘えてみた。(話聞いてーって)

長い間いろんな意味でたくさんのスペースをつかってた仕事が終わった。

あるセッションを受けた。(数か月前に予約してた、なんというタイミング、ほんとすべて最善)

すっごく心揺さぶられたドキュメンタリー映画を2つ観た。(ああ)

たくさんの人にメールをした。(あたたかい返信もらった、涙、感謝)

実家へ大掃除のお手伝いに行った。

wordpressのサーバー更新した。(ちゃんと創ろうと思いながらぐずぐずしてたら開いてから1年経ってた!)




と、出来事だけ少し書いてみた。

並べただけ。今日はこれにておしまい。



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季節が変わっていく

ここ2年ほど、しんどいなぁって思って過ごすことが多かった。

そんな時は、朝起きると希望がなくて、今日も一日生きなきゃいけない、そう感じてた。





更年期

更年期という季節にわたしはいるみたいだと最近わかり、わかったら本当に気が楽になった。そうだったんだ。

しんどかったあれこれ、目が覚めた時の絶望、すべてが更年期と関係しているのかわからないけど、自分が大きな変化のときにいてその揺れを身体も心も体験中だとわかった。いつもとちがうというか前とちがうというかとにかく思うようにいかないから、自分のこともめちゃ責めてたんよね。

更年期は思春期とおなじようなものだよ、と聞いて、まじそうやなって感じた。生理が始まるとき、生理が終わるとき、そりゃ大きい変化よね。



もう、そんなことがわかったら、自分が愛おしくて、いろんなことを一緒にくぐりぬけてきたかけがえない同士で、ほんまここまでよくやってきたよな、これからもよろしくー!って乾杯!って、今はそんな気持ち。ぎゅうって自分を抱きしめる。そしてパートナーの協力もより増した。ありがとう。



原因とか理由の追及は、すごくじゃまになるときがあるなって人を見ててよく感じてて、普段はそこにあまりエネルギーを与えないようにしてるんやけど、今回は自分のいまがわかったことで、原因を知ることの大切さを体験した。いや原因ではなく、今ここの現在地を知ったことの安心感。

女性という枠を超えて、より大きな存在として生きていくための切り替わりのとき。

これからしばらくは続くであろうこの時期を、冒険へでかけるみたいにわくわくしてるよ。





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