あ、大丈夫ですというとき。

手伝いましょうか?
そう尋ねてかえってくる返事。
だいたいが、
あ、大丈夫です!

なんか手を貸した方がいいかな、という場面は日常の中で時々出会いませんか?
全く知らない人だけれども、なにか手伝えるかもという予想で声をかける。


こないだの話。
電車の中。事故が起こりダイヤが遅れていて、平日だけど混み合っていた。
わたしは座っていて、目の前に大きなリュックを背負った若い女の子が立った。
その子はつり革につかまったまま眠りだした。
身体がリュックと共にぐらんぐらん揺れる。つり革につかまってるのが不思議なくらい。
めっちゃ疲れてる様子。 わたしの横のおばちゃんとか周りにいる人が迷惑そうにしてる。
そのぐらんぐらんで周りにぶつかりまくってるし、つり革からいつその手が離れるかもわからない。
その手がすべったら危ないだろうということは予想できる。
ぐらんぐらんと同時にななめ掛けしてるポシェットから物が落ちまくる。
時々、はっと気づいてそれらを拾い、また眠りに落ちる。

ここまで疲れるって何してたんやろ。
小さな子がごはん食べながら眠ってしまう時と似てる。

おばちゃんがたまりかねて言う。
ちょっと、あんた、こわいわ!
(大阪での出来事ゆえ、 それ以外の地域の人にはわからないかもしれないけど大阪ではありがちな場面、 悪意はさほどなく迷惑に怒ってる)

あ、すいません・・ けど、変わらず。

わたしはその子のポシェットをトントンとたたいてひっぱって起こす。
は?という顔。
ここすわって、ね。(ここ座って、眠り)
あ、大丈夫です!
ねたらええやん。
や、大丈夫です!
ええから、すわり。
あ、すいません・・
と言って座ったと同時に爆睡。


これはおせっかいなおばちゃん(わたし)の話なんだけど、おせっかいってどうなのっていうのは今はちょっとおいといて。 ほんとに大丈夫なときもあるのだけれど。




あ、大丈夫です!って咄嗟に出るのは、
わたしたちの病なんじゃないかと思う時がある。
人に頼りたくない、迷惑かけてはいけない、放っておいて、自分でやらなければ、
いろんな気持ちがあるだろうけど、


手を差しのべられて、その手を握れない理由はなんだろう。

わたしはよくやるんだ、これを。
あ、大丈夫です!と。



だから、人に尋ねるのかもしれない。
なにか手伝おうか?

わたしの中のだれかが手を握りたがってるのかもな。
手を何度も差し出してくれるのを待ってるのかもな。



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昔聴いてたレコード

わたしは兄が2人いる。
すぐ上の兄が高校生の頃によく聴いてたレコードがある。
同じ部屋にわたしの机があったから、そのレコードは嫌でも一緒に聴くことになる。
いつの間にか、わたしはそのアーティストが好きになってた。


それを最近久しぶりに聴いてる。
もうレコードは無く、iTunesでダウンロードした。

発売日を見ると、わたしが小学5年生の時。
今聴いても格好いい。
そしてほとんどの歌を今も覚えてた!
これを小学生のわたしが聴いて口ずさんでたんだな。

小学生の頃から、授業中に鼻歌をよく歌ってて先生から怒られてた。
この歌も歌ってたんかと思うと、かわいいなぁ。



ぎりが新しい遠隔のモニターセッションをはじめました。



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知らない人が知らない場所で生きている

日々の営みがすべてのひとにあること、
そのことは忘れてはいけない。


パンデミック、経済、世界で起こってること、
その言葉はなにかのっぺりと漠然としていて立体感が感じられない。


けれど、それをズームして縮小していくと、そこには人が生きている。
めちゃくちゃたくさんのひと。その中のひとりがわたし、あなた。

いろんな顔があり、身体をもち、息をしていて、笑い泣いてる。
だれかの息がかかるくらいに生々しく、いのちが生きてるってことを思い出す。
悩みがあり、ハッピーで、お金があり、孤独を感じて、その日食べるものを探して、健やかで、病気で、
千差万別の状況の中、だれひとりとして同じでない人間が生きている。
知らない人が知らない場所で生きている。そのひとも愛されてここに存在している。


あほな政治家や権力者だけがそれを忘れているのではなく、
わたしも、その身体と匂い、そのいのちの輝きがあることを忘れてしまわないように。

いのち同士はつながって支え合っている。
知らない人が植えてくれた植物を、着るものを、祈りを受けとっているかもしれない。
わたしのなにかが顔も知らないだれかに届いていたら。

大きな視点は役立つけれど、それだけではなにかが落ちている。
だれかの息を感じることは、身体をもってこのいのちを生きていることの尊さを思い出させてくれる。
その瞬間、好きも嫌いもなくなってすべての存在への愛おしさがおしよせてくる。


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スーホの白い馬

天才か反逆者か
https://banksyexhibition.jp/

楽しみにしてた。 名古屋でも、もうすぐはじまるバンクシー展。



スーホの白い馬という絵本を知ってる?
この本にまつわる思い出。


わたしには甥がいる。
その中のひとりの甥が小学校低学年のころ、
この本が課題図書として宿題で出された。

彼はこの本を読んで号泣して、ひどい、悲しくて読めないと言って、途中から読めなくなってしまったという話を思い出した。

感情がすごく豊かで、ユニークな子。あの感受性は今もつかってるのかな。


この本、わたしも読んでみた。
泣いた。そりゃ泣く。わかる。悲しい。
読みながら、甥のことも思い出して余計に泣けた。

彼らの小さい頃のたくさんの場面を覚えてる。




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