声に出して呼ぶーー内側を現してみる

何度聴いても涙が出て仕方なくて 一体いつまで泣くんだろう

そう思っていたけど
1週間ずっと聴き続けていたら泣かずに一緒に歌えるようになったんだ

友だちがある歌に出会って、それがすごく響いて聴き続けていたという話。

その友人らしい。
わたしもなにかに響いてふと涙することがよくある。
その友だちのようにダイブするみたいに、っておもしろいなーと思った。



今朝その話を思い出していた。


ふと口に出してみた。

お母さん

声にしようとした瞬間、 すごくざわざわしてわたしの中が大騒ぎしてる。
涙が出る。


なんで、お母さんだったのか。
考えもなく突然に出た。


何回も声に出してみた。

最初はただ音にしただけ。
それでも泣ける。


そして呼んでみた。

お母さん


何回も声に出してその人に呼びかけた。

お母さん


今の年老いた母でなくて、あの時の母に。
わたしが幼かった時のお母さん。
呼んでいるのは小さなわたしなのかな。


ねえねえ
なあなあ
お母さん
こっち見て



小さなわたしはなにを言いたかったのかわからないけど。
お母さんと呼びかけることはすごくしあわせで必死な訴えだったのだと思う。




ただふと湧いてきたものを声に出してみた、それだけのことだけど。

内側のものを現してみるー表現ー
そのプロセスとしてなにかがどこかが起こされ癒され満たされ。






スタジオウーヌス
http://www.banyantree8.com/

4/6 瞑想会テイストオブミスティックローズ
4/16 ウーヌスサンガ
4/23.24 ニュートラルなタッチ


マルガHP
https://margaprem.com/

マインドではなくただ今起こっていること 6/26表現アートグループ

夏至の期間である6/26 自分とつながるpath of lifeグループセッションを開催します。


無意識でいるとき、わたしたちは頭(マインド)に従っている。
感情を抑え、身体の本能を無視し続けて、 マインドだけで生きていった結果、
なにも感じない、 なにが好きかわからない、
なにかがおかしいことはわかるけれどどうしていいのか、
自分がわからなくなります。
生命エネルギーと絶たれた状態。

内側にある命の源泉は、どんなものよりもわたしたち自身がつながる必要のあるもの。


表現アートセラピーは、とてもシンプルなことを組み合わせ、
そして積み重ねることで、プロセスが進んでいきます。


マインドではなく、ただ今起こっていることを素直に表し、
時にはマインドそのものを表し、
自分の全てのパーツを外側へ出していきます。


子どもたちは、好きに歌い身体を動かし、
落書きをし、 興味の向くまま、
ただただ今のエネルギーを表現しますね。

大人たちが制限しなければ、子どもは生命エネルギーそのもの。
つまりわたしたちのマインドは制限する大人たちと同じ。

表現アートは比較も分析も評価もしない。

わたしたちの感情やマインド、 そしてもっと奥に働きかけることのできるパワフルなツールです。

このグループは少人数で行います。
個人セッションより、大人数よりも、きっとリラックスしながら、
グループとしての力学も働く、ちょうどいい人数。

表現ってなんだ?
なぜ、自分とつながることが大切なのか。
一緒に探究しましょう。


パスオブライフ グループセッション
日時:6/26土曜日 10:00~18:00頃
場所:名古屋市 スタジオウーヌス
参加費:14.000円
ファシリテーター:マルガ
当日は簡単なランチを用意します。


お問い合わせ・お申し込みは、

CONTACT
または
ウーヌスお問い合わせフォーム

なつかしいひとたちと再会

4歳くらいの小さな女の子を右ひざにのせて本を読み聞かせていた。

その本には女性の僧侶の人生が書かれていた。


こんなちっちゃな子にこの内容伝わるかな?
女の子は真剣に本をみてわたしの声を聴いている。
年齢なんて関係ないわな。


しばらくすると本を読んでいるわたしたちの周りを女性がうろうろしてる。
気付いてほしそうなかんじが伝わってくる。

視線をあげるとそれは女の子の母親だった。

そっか、そろそろ行く時間か。

女の子とはバイバイした。


女の子を膝にのせていた時の感覚。
やわらかい感触と髪のさらさら。匂い。服の色。


これは昨日みた夢。


その本には僧侶の名前が太字で書かれていた。
覚えておいてねとでも言ってるみたいに。大丈夫、夢からでた今も覚えてる。


小さな女の子は小さいころのわたし。
あの髪のさらさらはまさに自分。細くてまっすぐで柔らかくて、もつれて大変だった。

物語の尼さんもわたし。

登場人物、ぜんいんあたし。




サイキックマッサージ

path of life セッション

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苦手はまぼろし


苦手なものある?わたしはある。
もしいろんな人と比べるとしたら、他の人より苦手なことは多い方かもしれない。

小さいころ母がよく言ってた。
あんた、苦手なもんだらけで大変やねーって、イヤミもふくめ、笑
いや、けど、ほんまよね。


苦手なものってマインドの言い訳なんだなーってわかったの。怖がる担当のマインドの逃げ方のひとつなんだって。
みんなは既に知っていたかしら・・。わたしは今回とっても腑に落ちたの。

あれも苦手、これも苦手、言ってる本人はそれをおかしなことと思ってないし、好みがあって当然って思ってる。

けども、その苦手の中のほとんどが頭・マインドの作り上げたもので、実際には苦手とわかるほど体験してないの。そのものを知らないで言ってる。はなから決めつけてる。簡単にいうと、それは思い込みです。

その苦手を本気にとってしまうと、どんどん狭いところに自分を追い込んでいく。苦手なものだらけで世界は生きづらい。

苦手と好み・好き嫌いはちがう、それらは分ける。これらをごっちゃにすると本能がおかしくなってしまう。
好き嫌いという本能的なものは大事。本能、動物的な感覚なんだろうと。
それが感じられなくなると、動物であれば本来なら食べてはいけないものを食べてしまうとか、テリトリーがわからなくなるとか起こる。それは生きる死ぬのこと。

したいことがわからない、という人が多いって聞く。ウーヌスのクライアントの中にはそうゆうことを言う人がほとんどいないからわたしは実感がないんやけど、もし本当にしたいことがわからなくて悩んでる人がいるなら、この本能という所から見ると、それはそのひとにとって大きいことだろうっておもう。生死のことだから。でも、その人たちの中には、本当はでっかい夢があって、それは難しいって決めつけてるのだとしたら?それこそマインドの声だからって気づけたらいいね。したいことあるやんって話。したいことって遠くにあると思ってて実はもう今ここで自分を生きてたわってのもあるだろうし。


自分の「苦手」を見直してみるとってもいい機会だった。
わたしから苦手がどんどん無くなっていく・・!あれもこれもまぼろしでしたわ。



★3月7日土曜日 ワークショップを開催します!
「ギフトを生きる」ための3回連続のグループ。
第1回目は「リラクゼーションー等身大の自分にホッとする」
詳細はこちら

2020年3月7日土曜日 10:00〜13:00
場所:名古屋市中区
参加費:8.000円(3回継続参加3回分:22.000円)
持ち物:身体を包むようなショール・マフラーなど、身体を締めつけない恰好(着替えできます)
ファシリテーター:マルガ


★★★マルガのオリジナルセッション
つながるセッション



すべての予約、問い合わせは、
問い合わせフォーム(スタジオウーヌスHP)
または
info@@margaprem.com
(@をひとつ抜いて、名前、電話番号、内容を記入して送信してください)

表現はさまざま

今朝、母の心配性のことを突然思い出した。

わたしたち兄妹に向ける心配。

「大丈夫?」

確認というより疑いのかんじで尋ねてくるように感じるそれ。

ほんとにきらいだった。

ほっとける時もあるけど、うっとおしくて仕方ないこともある。

今朝、その母の心配は母の愛なんやなとおもった。

心配するのは愛じゃない、というひともいる。



けど、今朝わかった。

母の心配は母のわたしたちへの愛なんやと。

その表現方法がわたしが気に入らなかっただけ。

別の方法でやってくれ、別のかたちの愛をくれ、わたしはそう言ってたんやな。

そうだ、わたしは母以外からもそうやって自分の気に入る方法でだけ気に入ったものだけを受け取ろうとしてた。

そんな理解が起こり、自分に起こった出来事や感じてたことなどいろんなものがつながったようなかんじがした。

いままで受け取らなかったものたちが実はずっとどこかで待機していて、それが今朝わたしの元へやってきたような、そんな感覚だった。

身体の緊張がぬけて、力がわいてくるような。

こんなふうに人はさまざまなコントロールをして身体を緊張させてるのね。

わたしは母のそのままの愛を受けとろう。いつもずっとあった愛をしっかりとあびて存分にあじわおう。


いままでにも同じような理解をしてきた。何度も何度もこうやって理解を重ねていくんだろうなっておもう。

本当に自由になりたいの?


いままで好きになった人たちに共通点があることに気づいたのは、
年末にしたノーマインド瞑想のとき。




彼らは、日本になじめなかった人たち。
日本というのか、社会というのか。



わたしにもおんなじ想いがあった。

昔からいつもどこか外へ行きたかった。
自由になりたかった。



お母さんがいなくなったら外に出よう。

そう思ってた。

母の存在はとても大きかった。

それはわたしを苦しめてたことも多い。




でも、
母がいなくなったら・・・って。


ひどいなー、
お母さんのせいにするなよ。

いつでもどこでも自由になれるのに。

(旧ブログより  2016-02-18記 )



スタジオウーヌス


あなた自身とつながるセッション

居場所を探して

 

小さいころからしょっちゅう感じてた。わたしの居場所がほしい、どこにあるんやろって。

ここにいてもいいのかな?って周りを気にしながら空気よんで長い間過ごしてきた。本当はここにいたくない、そう感じながらもそこから出ることができないと思って我慢してた。

 

身体も心も緩めて、どんなわたしでも受け容れられてると感じられる場所や人たち。そんな考えすら浮かばないほど、安心という言葉も無くなってしまったくらい護られたスペース。そうゆう場所。

 

そしてある時知った。わたしが探してる居場所というものははずっと見つからんってことを。がーん。

 

ここじゃない、あそこでもない、こんなはずはない、もっといいところがあるはず、もっとわたしを理解してくれる人がいるはず!居場所を探してたのはそうゆう叫びだったんよね。居場所じゃなくて、避難場所を探してた。

 

避難場所は探しても見つからんけど、居場所は自分が自分に与えられることを知った。自分の中にすでにあるものを思い出すこと、そして同時に外側にも築いていけるということ。

自分が自分として生きるということ。身体、マインド、魂、その全体の自分が居場所。

 

本来の居場所から離れているとき、わたしたちは居場所というものを探し出すのかもしれない。だからいつも自分にかえればいい。

 

 

自分という全体の居場所をより鮮明に思い出すために、身体、五感、感情、直感につながるサポートをセッションではしています。

自分がどうゆうときにどんな感じ方をしているのか?それを知っていくことはとても大切。それを実際に無意識にではなく意識的に解るようになると、自分の感覚を信頼していくようになります。

感覚だけではなく、起きてるできごとも、なにかを選択することも、信頼の中から起こればわたしたちはしあわせだとおもいません?

 

 

★おすすめセッション

あなた自身とつながるセッション

 

 

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