道具をどう使う?

この夏、アクアフローティングを通して新たに気づいたことがある。
アクアフローティング自体、毎年なにか新しく知ることや体験することがあり、今年もあった。

それらのことを言葉にしたいなという気持ちがあって、何度か書こうとするけれど、なんか書きすすまない、書いてみるけど読み返すとピンとこなくて消すとか、何度かトライしてみてはいるけど、まだ今日まで言葉にできていない。そんなこんなでもう11月に。

言葉にできないことがいっぱいある。
人と深くつながれたあの瞬間とか、既に知っていると思い込んでいたものを初めて本当に見た体験。父の手とか。
人生のいろんな場面の、わたしだけの体験や、だれかと共有した体験。一瞥や神秘体験。だれにも話せていないけど、だれかにきいてほしくて気の済むまでほんとは話したいこと。
思い出すと自然と涙が出てくるような喜びの時と悲しかった時。自分がやわらかくなったみたいに感じる何人かの思い浮かぶ顔とか、逆にギュッと堅くなる言葉にしたくないことも。
わたしはそれらをいつか表現するのかな。どんなふうに表現するだろう。


自分の家族のヒストリーを書いてる。これもまたすすんでないけど。
これはだれかにシェアしたいというより、わたしが書いてわたしが読む。そのプロセスが自分自身をとても満たしてくれて癒される。
これは読んでもらいたい特定の人がいる。甥たち。彼らがいつか自分のルーツを詳しく知りたいと言った時に渡したい。


書くという表現。言葉にはどうしても表しきれない、制限みたいなものがあるように感じる時もある。でも言葉はすごいともおもう。つながること、今ある漠然としたものに形を与えることができる。
言葉で言葉以上のものが伝わっていく。


表現することとは?
毎日なにげなく、わたしたちはさまざまな表現をしています。
それに意識をそそいでみると・・。
11/17 表現ワークショップを開催します。あと2人参加できます。
https://margaprem.com/20221029expressivews

日時:11月17日木曜 10:00~17:00
場所:スタジウーヌス・名古屋市内


問い合わせ・申込は
コンタクト

マルガが提供しているセッション
・個人セッション
https://margaprem.com/individualsession
・ボディワークセッション
https://margaprem.com/bodyworksession


スタジオウーヌスHP
http://www.banyantree8.com/

関連記事:
言葉の手前になにがある?
評価がほしい、ほしくない
表現はジベリッシュ




評価がほしい、ほしくない

11/17 生命とつながっていく 表現ワークショップ開催
https://margaprem.com/20221029expressivews

表現アートセラピーでは、出てきた表現に対する評価はありません、感じたことはシェアします。

評価というものに恐怖感じる人はとても多いと思います。この世界は、評価と価値がほぼ同じようにもちいられている。

悪い評価への恐怖はすぐに思いあたる。自分自身が否定されたように感じた経験もあるでしょう。
良い評価を受けても、だいたいの人は恐怖を感じます。まぐれだった、次はうまくいかないかもしれない・・。
評価がないことへの恐怖や居心地悪さもあります。
いいもわるいも無いとよく聞くセリフですが、それは多くの人にとって慣れていない状況。なにかコメントをくれ、みたいな。他者からの同意、評価が欲しい。外からの評価で自分が存在している。


自分軸という言葉。その他にも自己肯定感とか自信とか。そうゆうことを追っかけてるその世界には、自己肯定感を高くしようとしてる自分ー自身がないーがずっといる。それ自体が結局他人に価値を求めている、外からの評価を信じてるのかもしれない。

承認欲求はだれにでもあるし、他人に価値や評価を求めるのは間違ってるとか悪いことだからではなく、ただしんどい。わたしにはとてもしんどい。自分に点数をつけられるのがずっとしんどかったから。そして自分のつけられた点数を信じて、その視点で自分自身をみていた。だからつらかったのだ。

自分が楽なやり方で生きていきたい。だから、わたしは表現アートセラピーとは相性がいいし、みんなにも表現することをおすすめします。
自己肯定感を必死であげようとするより、自分の内側につながってそれを外へ出す、表現をしていくと、だんだんと自分をどうにかしよう、ああゆう形にしよう、と思わなくなってくる。
それが自然に起こっていく。無理強いしなくてもそうなっていく、自分に力があることを思い出していく。それが表現というものが持つパワーです。

日時:11月17日木曜 10:00~17:00
場所:スタジウーヌス・名古屋市内
詳細はこちら

問い合わせ・申込はコンタクト

マルガが提供しているセッション
・個人セッション
https://margaprem.com/individualsession
・ボディワークセッション
https://margaprem.com/bodyworksession
・マルガとぎりのニュートラルセッション
https://margaprem.com/neutralsession

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言葉の手前になにがある?

言葉にする前、そこにはなにがあるだろう?
表現するにはさまざまな方法がある。
身体で、声で、触れることで、見つめることで、音を出すことで、気持ちをあらわし、共感をし、伝え、つながる。

日常の中でのコミュニケーションのほとんどは、書く話す考えるなど、言葉をもちいている。
表現アートセラピーは、言葉にする前のものたちを出す。それは言語で表すこともあるけれど、それ以外のツールもたくさんつかう。

言葉にたよりすぎている人が多いなと思う。
わたしは喋りすぎると、頭が苦しくなる。頭がパンパンになって目がチカチカして耳もおかしい。その感覚はものすごく苦しくて不快。喋り終わった後も、頭に雑音がずっと鳴り止まないみたいになって、息がしにくく吐きそうになる。自分は喋りすぎたんだと知る。それはマインドの放出で、自分の出した言葉に自分がやられてしまったみたいに。別に悪い言葉をつかっていたとかそうゆうことは関係ないように思う。壊れた蛇口からの無意識のなにかに、自分が自分で中毒したような。どこにもつながっていない言葉、言葉になる前のそれを感じずに出てきた言葉は自分にもだれにも届かない。喋り「すぎ」ているときというのは、そのような状態なんだと思う。だから毒にもなる。

Non-verbalノンバーバルとは、非言語、言葉をつかわないということ。
言葉になる前のものを、言葉と比べるととてもたよりないそのつかめそうにないものを、そのなんとなくを、言葉にはならなくともはっきりとしたそれを、それらを感じること。
それを言葉で囲ってしまうのではなく、言葉以外で出してみる。
そのすべてのプロセスが、創造で、表現。言葉以外のコミュニケーション。
言葉にたよりすぎなくなった時に、自分の言葉が出てくるようになるのかもしれない。


☆☆☆表現ワークショップ開催
表現、そして自分とつながるとはどうゆうことなのか?
身体や感情・感覚を感じていくこと、表現アートの技法も加えて、「表現」を体験します。

リクエストをいただいて、平日の開催です。
日時:11月17日木曜 10:00~17:00
場所:スタジウーヌス・名古屋市内
参加費:15.000円
画材、ランチはこちらで用意します。

問い合わせ・申込は
コンタクト

マルガが提供しているセッション
・個人セッション
https://margaprem.com/individualsession
・ボディワークセッション
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伝えることと伝わること

多くの人が自分のことを理解してほしいと望んでいるとおもう。
みんなに理解してほしいというより、自分が理解してほしい人に理解されたい。

その今感じてる思いを伝えることと、そしてそれが伝わること。
伝わるように伝えても伝わらないことがある。
伝えることと、伝わることは別のこと。
伝えることは自分ができる。
伝わることは自分から離れたところで起こる可能性のこと。
伝わるかどうかは自分にはわからないのなら、伝えたいことをしっかりと感じて表して伝えたらいいんじゃないか。
伝わるように工夫したらいいし、伝わるかどうかやきもきもするだろうし、伝わらなかったのならいろんな感情がわくだろう。
でも伝えたその先のことはどうしようもできない。
もう相手の好きなようにさせて。


伝えること、自分ができるこのことに意識をむけて。
伝えたという、その自分ができたことをみて。
納得できない、もっとこうしたらよかったんじゃないかとか、自分に起こるあれもこれも、その自分の内側が伝えようとしてることを、だれかに伝わることよりも、自分の声を自分が聞けることがよっぽど大事。


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表現でみえてくるもの

表現アートセラピーに出会って2年。表現というものについていろいろ感じることがあり、自分の為のワークとして参加したことがはじまりでした。
この2年間の中で、表現というものをたくさんして、いろんな人たちと共にワークし、さまざまな表現を観てきました。内側にあるなにかを感じそれを表そうとしている姿は、本当に美しいです。

表現アートセラピーは、表現する過程ープロセスがとても大切だとみています。
今起こってることを外へ出すとき、心も身体も自分のすべてがぴたっと合い、それが表現となる瞬間があります。また、今あるものを表現しきれていない感覚の時もあります。今なにを感じているかつかめないこともあります。自分の内のたくさんのものと出合います。

するっとなんの葛藤も意気込みも計画もなく表現する人はそれほどいません。わたしたちの受けた教育や育った環境からくる思い込みが、そのままの表現をさせなくしています。
例えば、わたしは絵が描けないという人は、どこかの時点で自分は上手な絵が描けないと思ったのでしょう。そうすると、絵を描かなくなります。絵を描くのが苦痛になります。
別に絵が描けなくてもいいんです。でも絵だけじゃなく、たくさんのことをしなくなっていく。
夏の海に行かなくなったのも、あほみたいに笑ったり怒ることも、ましてや踊るなんて・・。

わたしたちは、評価やだれかの価値観を信じこんでいます。それも無意識にたくさん。そして残念ながら自分がそれらを信じこんでるとは気づいていない。
その気づいていない思い込みや自分の無意識の反応・信じ込んでるストーリーは、表現することで現れてきます。無理くりほじくらなくても、自然とそれらの姿が顕れてきます。それが表現のもつ質であり力(ちから)です。




ニュートラルなタッチ ワークショップを開催します。
自分とそして目の前にいる人と関わることとは。そのエッセンスを探求します。
10/19・20(水・木) あとひとり参加できます。
http://www.banyantree8.com/blog/2022/09/101920-1516819.html

☆マルガの提供しているセッション

Individual session 個人セッション
おもに表現アートを用いて、考えるから感じることを体験し、自分自身とつながるサポートをします。
https://margaprem.com/individualsession

Bodywork session ボディワークセッション
触れることを通じて、自分の内側へ入っていくサポートをします。
https://margaprem.com/bodyworksession

問い合わせ・予約
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未完成のもの

未完成のもの。
わたしは完成とは思えていないものを差し出すことがこわい。

創作物はどこかにゴールがあるかもしれない。
完成されたもの。それは物でも動きでも。器でもお芝居でも。
表現というのはちがうように感じてる。
表現はより内面と密接だ。
感じてること、感情。
今感じてることを外側へ出す。
今感じてることなんて、たいがいが曖昧。いろんなものが混じってる。
今考えてることとはちがう。
瞬間、瞬間、目的地へ向かってるのでなく、瞬間の連続。
その瞬間の中にも多くがある。どこをフォーカスしているか。今はそのひとつを。

表現は未完成のもの。
だから魅かれる。
魅かれるというのはそこに必ず怖さがある。
怖さがないチャレンジなんてあるんだろうか。


わたしは完成とは思えていないものを差し出すことがこわい。
完璧なものは永遠にこない。マインドはそうやって幻想をみせようとする。
幻想だとわかるぐらいに少し賢くなった。

4/16 ウーヌスサンガ&テイスト版ミスティックローズ
ウーヌスの初の試みです。人が集まるということ。

4/23.24 ニュートラルなタッチ
ボディワークを学ぶだけの場ではありません。
自分とつながるとは、人と世界と関係していくとは。
それを自分自身で、仲間と共に見つけていく機会です。

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声に出して呼ぶーー内側を現してみる

何度聴いても涙が出て仕方なくて 一体いつまで泣くんだろう

そう思っていたけど
1週間ずっと聴き続けていたら泣かずに一緒に歌えるようになったんだ

友だちがある歌に出会って、それがすごく響いて聴き続けていたという話。

その友人らしい。
わたしもなにかに響いてふと涙することがよくある。
その友だちのようにダイブするみたいに、っておもしろいなーと思った。



今朝その話を思い出していた。


ふと口に出してみた。

お母さん

声にしようとした瞬間、 すごくざわざわしてわたしの中が大騒ぎしてる。
涙が出る。


なんで、お母さんだったのか。
考えもなく突然に出た。


何回も声に出してみた。

最初はただ音にしただけ。
それでも泣ける。


そして呼んでみた。

お母さん


何回も声に出してその人に呼びかけた。

お母さん


今の年老いた母でなくて、あの時の母に。
わたしが幼かった時のお母さん。
呼んでいるのは小さなわたしなのかな。


ねえねえ
なあなあ
お母さん
こっち見て



小さなわたしはなにを言いたかったのかわからないけど。
お母さんと呼びかけることはすごくしあわせで必死な訴えだったのだと思う。




ただふと湧いてきたものを声に出してみた、それだけのことだけど。

内側のものを現してみるー表現ー
そのプロセスとしてなにかがどこかが起こされ癒され満たされ。






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4/6 瞑想会テイストオブミスティックローズ
4/16 ウーヌスサンガ
4/23.24 ニュートラルなタッチ


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明かされていく

ものを書く時間は普段からあるけれど、ブログとして書くことが減った。
だれかに自分の言葉を見てもらうのが、しばらくの間必要に感じていなかった。

わたしは、「表現」に興味や葛藤があり、それに気づいたのは大人になってから。
興味というより、ロンギング、渇望。
そして、それはわたしだけでなく、多くの人にとってもそうかもしれないと解りだした。

表現することで明かされていくものがある。
自分は今なにを感じているのか。
なにを怖れているのか。
なにが心地よくて心地悪いのか。

自分にとっては慣れ親しんだものだったとしても、
それを例えば文章にしてみる。
すると、思わぬかたちで、それが展開されていく。

感じることを言葉にすることはとても難しい。
なぜなら感じているものは言葉を超えたものだから。
言葉にしないことで明かされていくものがある。


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