ふれると、ふれられる。

触れる触れられることについて、
どんなかんじ、あるいはイメージを持っていますか?


わたしはこの仕事をする前、はじめてからもしばらくの間は、
触れられることがすごく苦手だった。
たとえば同じ職場の人に練習のために触れられる時間とか、
ふとした時に唐突に友人から触れられる瞬間とか、
身体が閉じてしまう感覚。



触れるということは、実は触れている者から触れられている、
のだけれど、それに気づくと、触れるということへの感じ方、観方が変わる。


そう、実はわたしは触れることが苦手だったのだ。
でも、同時にとても魅かれていた。

触れるのがこわくて、触れられるのがこわくて、でもそれにつながっていたかった。



今も、気楽に・・触れることはできない。
それぐらい、わたしにとって人という存在はとても畏れ多い。
尊く、繊細で、大きく、未知。
同じ身体は見たことないし、触ったこともない。いつも初めて。



触れる前は、その身体ー存在を迎え入れる部屋を整え、さまざまな準備をする。
それはある意味、わたしにとっての儀式のようだとおもう。
触れるということはとても大切なことだから、
それに見合った準備がいる。
それは深刻ではなく、神聖だから。

いろんな場所にたくさんのマッサージのお店がある。
10分単位で手軽に入れるお店もいっぱいある。
それはやっぱり触れられることを多くの人が求めてるからなんだろうと。

人とのつながりがもてないと、わたしたちは生きていけない、健やかでいれない。
疲れてるのは肉体よりも、先に心の方。
触れられることでどこかが安心する。
だからマッサージのお店は多くあるのだと思う。



oshoがマッサージについて語っています。
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すぐに終わってほしい

1週間、表現アートのワークに参加していました。
名古屋にもどってきて、のどの痛みと体のだるさと風邪の症状ににたものが出て、
わたしの中のいろんな調整が起こっているようでした。

頭痛や風邪みたいな症状、なにか普段とは異なることー不調が起きると、すぐにそれを排除したくなります。
薬で抑えようとはしないかもしれないけれど、自然療法のようなものを使って対処しようとする。
すぐに去っていって欲しい。

対処的というのは、ある状況に直面した出会い方のひとつ。
もしそれが身体の不調だとして、薬で抑えるような方法ではなく、自然なツールをつかっていても、それはホリスティックー全体的ではないなと思います。

セッションやグループに参加して、すぐに「効果」「よくなる」を期待する気持ち、
それが出てくるのは当然に思えるし、すごくよくわかる。
実際に一瞬でなにかがシフトすることもある。
でもそればかりじゃない。その期待する気持ちは依存的で対処的でもある。


わたしたちの身体も考え方も時間をかけて繰り返ししてきたことの、今。

なぜ今それが起こってるのか。
理由を考えるのではなくて、
それが今起こっている。それを感じてみる。

早く終わらせようと躍起になっている自分、よくないことが起こっていると判断してる自分、
わたしは弱いと嘆く自分、あいつのせいだと攻撃する自分、もっと大切にされたい、いろんな声、訴えが聞こえる。


より大きな視点・全体として、今起こってることを観たいなと思う。
その視点は自分にとってもだれかにとってもその症状にも、あたたかいはず。

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使命って?

自分の使命ってなんだろう、と考えたり探したり、そんな人は多いとおもう。
わたしもそれが知りたかった。
使命を見つけそれを生きた人もいるだろうし、
それを探し続けてこの生を終えた人もいたかもしれない。

今のわたしは使命について探すことはない。
それを探すのであれば、今自分が本当に望んでいることや情熱がむくものにエネルギーを注ぐ。

使命というものがあるとして、
それとちがうことをしていることがもし不安なのであれば、
その不安を見るほうがよっぽど大切だと思う。


でもそう言いながら、わたしたちには使命があると思うんだ。

それは自分の美しさを自分自身で知ること。

これはほかのだれもできない。
あなたにしかわたしにしか、自分自身にしかできない。
そしてそれを生きること。
これは生命あるすべての存在の使命で責任だ。

それは別の言い方をすれば、
自分自身を愛すること。

美しさを美しさと見れないようにしている思い込みに気づき、
その分厚い布で覆っている隠されていた内にある美しさを救ってやる。
その使命はすっごく大変な時もあるけれど、やりがいがある。


人から褒められたり、認められたりすること、
それと自分の美しさを知ることとは別のこと。
それをごちゃまぜにすると、ずれてしまう。
どんだけ人から褒められ認められても、
自分で自分の美しさを知ってないなら、わたしたちは本当には満たされることはない。


自分の美しさを知ってるひとはとても強い。
その強さは弱いものをうまない。

美しさは独自のものだから。
比較や競争とは無関係。
だれかに決めてもらうなんてありえない。

自然界の存在たちはそうやって、美しさを、いのちを、分かち合ってる。
わたしたちも自然界のひとつ。



4/16 ウーヌスサンガ&テイスト版ミスティックローズ@ウーヌス
(オンラインで参加したい方、ご相談ください。

4/23.24 ニュートラルなタッチ
自分自身とつながること、だれかと関係していくこと、
身体や意識や仲間と探求していきます


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未完成のもの

未完成のもの。
わたしは完成とは思えていないものを差し出すことがこわい。

創作物はどこかにゴールがあるかもしれない。
完成されたもの。それは物でも動きでも。器でもお芝居でも。
表現というのはちがうように感じてる。
表現はより内面と密接だ。
感じてること、感情。
今感じてることを外側へ出す。
今感じてることなんて、たいがいが曖昧。いろんなものが混じってる。
今考えてることとはちがう。
瞬間、瞬間、目的地へ向かってるのでなく、瞬間の連続。
その瞬間の中にも多くがある。どこをフォーカスしているか。今はそのひとつを。

表現は未完成のもの。
だから魅かれる。
魅かれるというのはそこに必ず怖さがある。
怖さがないチャレンジなんてあるんだろうか。


わたしは完成とは思えていないものを差し出すことがこわい。
完璧なものは永遠にこない。マインドはそうやって幻想をみせようとする。
幻想だとわかるぐらいに少し賢くなった。

4/16 ウーヌスサンガ&テイスト版ミスティックローズ
ウーヌスの初の試みです。人が集まるということ。

4/23.24 ニュートラルなタッチ
ボディワークを学ぶだけの場ではありません。
自分とつながるとは、人と世界と関係していくとは。
それを自分自身で、仲間と共に見つけていく機会です。

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声に出して呼ぶーー内側を現してみる

何度聴いても涙が出て仕方なくて 一体いつまで泣くんだろう

そう思っていたけど
1週間ずっと聴き続けていたら泣かずに一緒に歌えるようになったんだ

友だちがある歌に出会って、それがすごく響いて聴き続けていたという話。

その友人らしい。
わたしもなにかに響いてふと涙することがよくある。
その友だちのようにダイブするみたいに、っておもしろいなーと思った。



今朝その話を思い出していた。


ふと口に出してみた。

お母さん

声にしようとした瞬間、 すごくざわざわしてわたしの中が大騒ぎしてる。
涙が出る。


なんで、お母さんだったのか。
考えもなく突然に出た。


何回も声に出してみた。

最初はただ音にしただけ。
それでも泣ける。


そして呼んでみた。

お母さん


何回も声に出してその人に呼びかけた。

お母さん


今の年老いた母でなくて、あの時の母に。
わたしが幼かった時のお母さん。
呼んでいるのは小さなわたしなのかな。


ねえねえ
なあなあ
お母さん
こっち見て



小さなわたしはなにを言いたかったのかわからないけど。
お母さんと呼びかけることはすごくしあわせで必死な訴えだったのだと思う。




ただふと湧いてきたものを声に出してみた、それだけのことだけど。

内側のものを現してみるー表現ー
そのプロセスとしてなにかがどこかが起こされ癒され満たされ。






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明かされていく

ものを書く時間は普段からあるけれど、ブログとして書くことが減った。
だれかに自分の言葉を見てもらうのが、しばらくの間必要に感じていなかった。

わたしは、「表現」に興味や葛藤があり、それに気づいたのは大人になってから。
興味というより、ロンギング、渇望。
そして、それはわたしだけでなく、多くの人にとってもそうかもしれないと解りだした。

表現することで明かされていくものがある。
自分は今なにを感じているのか。
なにを怖れているのか。
なにが心地よくて心地悪いのか。

自分にとっては慣れ親しんだものだったとしても、
それを例えば文章にしてみる。
すると、思わぬかたちで、それが展開されていく。

感じることを言葉にすることはとても難しい。
なぜなら感じているものは言葉を超えたものだから。
言葉にしないことで明かされていくものがある。


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2/27 数秘リーディング&瞑想の会

2月27日(日曜日に数秘リーディングと瞑想の会をウーヌスにて開催します。

1月からスタートした瞑想の会。
今回2月は数秘リーディングと合わせて企画しました。


数秘術は自分を知っていくためのひとつのツール。
古代からの知恵。

自分にまつわる数を言い訳やレッテル貼りにつかうのでなく、
人生を活かすためにつかえれば、とてもパワフルです。

どれだけいいものを持っていたとしても、 それに気づいて使わなければ、それは持っているとは言いがたい。
どんなものもそうですよね。

自分に関わる数を、自分で育てていく。
数や天体などの古代の知恵やさまざまなメソッド、そして自分の才能や資質。
それを自分が実際に体験していくことがそれらを知るコツ。

今回のリーディングは短い時間ですが、あなたにまつわる数を共に読み解いていきます。
数からみる人生のテーマは?自分の人生のサイクルは?なにを深めたい?


自分を知ることは、ある意味、諦めることだと思います。
自分の持つすべてのパーツを並べて、それをニュートラルな視点(!!)で観て、 それを活かしている時、
わたしたちは満足を感じているのではないでしょうか。


この日の瞑想はOshoクンダリーニ瞑想を予定しています。
この瞑想は日没に行われる瞑想です。 初めての方も参加していただけます。

数秘リーディングと瞑想会はひとつだけの参加も両方の参加も可能です。
もし予定が可能なら是非、両方にご参加ください。


1部 数秘ミニ講座
2/27(日曜) 14:00〜15:30
参加費 2.000円

参加希望の方は、生年月日とお名前(ローマ字で表記)を事前にお知らせください。
☆もし氏名が変わったことがある方は出生時と現在の両方

2部 瞑想会 
2/27(日曜) 15:30~17:00
参加費 1.000円



予約・問い合わせは
CONTACT
または
スタジオウーヌスまで

2/27瞑想会&数秘リーディング

2/27日曜日 数秘リーディング&瞑想会をウーヌスにて開催します。

数秘術、おそらく多くの人が一度は聞いたことがあると思います。
わたしが数秘術と出会ったのは約15年前。オーラソーマのクラスが初めての出会い。
めっちゃおもしろい!そう感じて、 自分に関わる数字をもっと理解したくて、
講座に参加したり本を読み、友人たちにも数をよんであげたりして、セッションでも数の神秘を伝えてきました。
今は数秘だけのセッションは提供していませんが、 変わらず今もセッションのサポートとしてつかっています。

自分の誕生日も名前も全部自分で決めてきた。
数秘術ではそう言われます。 自分の数からさまざまなことがみえてきます。

これまで生きてきた道のりを数秘をもちいて解いていくと、本当に感心します。
よくできてるなーと。
この賢い知恵を、生きるうえでの目印やツールとして、自分の数を知っているのはとてもいいと思います。


わたしは久しぶりに数秘術にふれる機会をもち、今までとは異なる数の体験をしまして。
そのことがリーディングによい効果をうむのではないかと思って、シェアする機会を用意しました。


当日はそれほど長い時間ではないですが、参加者それぞれ個人の数にまつわることをしっかりと読んでいきます。
あなたの数はあなたに何を伝えてくれるんでしょう。
魂の目的、才能、人生のサイクル。
自分を知る新しい視点が加わったらいいですよね。


この日の瞑想はOshoクンダリーニ瞑想を予定しています。
この瞑想は日没に行われる瞑想です。
初めての方も参加していただけます。

数秘リーディングと瞑想会はひとつだけの参加も両方の参加も可能です。
もし予定が可能なら是非、両方にご参加ください。

1部 数秘ミニ講座
2/27(日曜) 14:00〜15:30
募集人数 3名
参加費 2.000円

参加希望の方は、生年月日とお名前(ローマ字で表記)を事前にお知らせください。
☆もし氏名が変わったことがある方は出生時と現在の両方

2部 瞑想会 
2/27(日曜) 15:30~17:00
参加費 1.000円


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そのままーくつろぎ

寛ぎというのは、人が存在している時の状態だとおもう。
元々の、自然な姿として。
ただ在ること、在りのまま、それは必ず寛ぎがある。
存在と寛ぎというのは切り離せない。
寛ぎはわたしたち本来の自然な状態。赤ちゃんみたいに。

けど、成長していく過程で、わたしたちは寛ぐことがなかなかできなくなった。
寛ぐってなんだっけ?どうするんだった? わたしってだれ?
寛ごうとすればするほど、どんどん固くなる。
知ろうとすればするほど、わからなくなる。

内からの自然な欲求、外からの要求。
そのバランスがどんどん傾いていく。
いつのまにか、外からの要求にこたえることが当たり前で、
もしかしたらその方が楽ちんとまで思うようになったりして。
そうしているうちに内からの欲求が、よくわからない。
そんなふうに、寛ぎから自分から離れていくのかなとおもう。

けども、寛ぎはわたしたちの本来の状態なのであれば、
そこへ戻ろうとするはず。
ほんとはむっちゃ簡単だ、寛ぐって。
ただ力を抜けばいい。
もし力が抜けないなら、今よりもっともっと力を入れてみる。
それでパッと力を落とせば、あら簡単、寛ぎがやってくる。

緊張に気づいてみて。
自分がなんとかしなきゃとコントロールしてることに。
だれかになろうとしてることに。

小さな欲求にこたえてみて。
ほんのちょっとのことに。
小さいことを小さいと見ないで。

そして、寛ごうとせずに、今のリアルな自分をただ感じてみる。
そう、わたしのまま、そのままでいいんだった。


ニュートラルなタッチ 2/5.6開催します。

2022年2月5日(土)午前11時〜午後6時
2022年2月6日(日)午前10時〜午後5時
場所:スタジオウーヌス 名古屋市内

寛ぐこととは、
自分の欲求を大切にすることとは、
自分と人との双方の欲求を満たすこととは、

セラピストやボディワーカー
自分を知りたい方、自分を表現したい方、
セラピストになりたい方、
人との関係性に難しさを感じている方、

みんなで集まり、分かち合い体験するフィールド。


詳細は
http://www.banyantree8.com/blog/2022/01/2022-1511548.html


問い合わせ・申込:CONTACT

対面したら

条件付けから自由になるということ。

人のことは見えやすいのに、自分のことってそれほどでもなく。

自分の行動をよくみると、なにかニーズが隠れてることがある。
ほんとはなにが欲しいんだろう?
素直になってみたら意外とたくさん出てくる。

それを人が知ったら笑うかバカにするか嫌われるだろう、と自分が思っている。
だからそのニーズを隠す。いつの間にか、自分にも隠している。
自分の中の秘密。
誰かにではなく自分が自分にクローズしてる。

こころをちょこっとだけ開いて目を合わせて秘密と対面してみると、
すごく気が楽になる。
なんだか誰かにゆるされたような気持ち。
わたしがわたしにゆるされたのかもな。



ニュートラルなタッチ開催します。

自分にとって心地よいとは心地悪いとはどういう状態なのか。
心地いよいとはどうやって創りだすのか。
コミュニケーションするとはどうゆうことなのか。
自分と、他者とつながるとは。。
探究、体験する場。


2月5日(土)午前11時〜午後6時
2月6日(日)午前10時〜午後5時

@スタジオウーヌス(名古屋

詳細はこちらより

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