リソースを見つけた

一昨日はギリのニュートラルのワークショップをウーヌスで開催しました。
わたしも一緒に楽しませてもらいましたよん。


グループの中でリソースの話が出た。


わたしは毎日しっかり歩くようにしていて、それはリフレッシュ法でもある。



今日歩いていて、自分にとってのリソースをひとつ見つけた。



わたしにとって、リソースとは元気の素のようなもの。
それに触れると、それを思い出すだけで、ぶわーっとハートが拡がる感覚や、ハラがすわるかんじとか、よっしゃ!って元気がわいたり、自分が愛だと思い出す。



で、今日歩きながらあるひとの顔が浮かんだ。
あ、このひとはわたしのリソースだ!

今まで全然気づいてなかった。でも思い出す度に、ふっと身体が緩みホッと胸が温かくなってたわ。


そのひとが存在してることがうれしい、わたしにとってそんな存在。出会えてよかったな、ああ美しいなってそのひとを感じてたら、涙がでた。




まだ気づいてないものも、自分はたくさんのリソースがあるんだろうとおもう。それは自分が愛されてるってことだ。
自分が大切だと感じるひとたちがいる、自分が愛するひとたちがいる、それこそが自分が愛されているということ。


そのひとの肉体があろうが、もう無くなっていたとしてもどちらでもいい。
肉体として会えないということはどうでもいいことだなって、今日はそう感じた。そのひとの存在があるだけでいい。

もっと深いところでのつながりを感じて、そしたら別れを恐れなくてもいいんだって気づいて、「大丈夫」を全身で感じた。



自分が愛だと思い出せる存在がリソースだと言ったけど、自分にとってリソースも愛。
それは愛だから形を変えても本質は変わらない。




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普通であることーわたしとつながる

毎日の中にすべてのことはある。
気づきも神秘も思い込みも感じることも愛も。

ぱっと現実が変わること。マジカルな変化。
今の状況が気に入らないからさっと思ったように変わってほしい 。
それはみんながどこかで望んでいること。
毎日の中、日々の中に、やってくる突然のマジカルな変化。


奇跡が起こってほしいなら、 それはやはり日々の営みを全身で生きること。
そう言うと、がっかりするひとが多いのだけど・・。

もっと、ぱっと、さっと、って方法ないの?

わたしは知らない。



Oshoはトータルでいなさいと言う。



五感で、意識を拡げて、わたしという存在すべてで日常をあじわうこと。それが奇跡を知るプロセス。
けれど、それはある意味とても地味なことだ。



自分のやっていることにしっかりと意識を向け、
些細かもしれないことに愛を注ぎ、
自分の仕事にエネルギーを込めて、
なんの役にも立たないかもしれないただ好きなことをし続けることを自分にゆるし、
肉体をケアし、
精神に栄養を与え、
ひととの関わりの中で葛藤が起き理解がうまれ、
別れて出会い、
大切なひとに注意を向け声を聴き触れ、
遠くに暮らす愛するひとたちの笑顔を想い、
大切な自分に愛を伝える。


いまがどんな時代であっても、自分がどんな場所にいても、
毎日、自分が大切だと感じることにエネルギーをつかうこと、
目の前にあることを大切にしてプロセスをあじわうこと。
それが祈り。
目を閉じてじっと願うのではなく、その態度が世界への貢献。



ごはんをつくる、食べ飲み、片づけ、仕事、お店でものを買うやりとり、歩く、目を合わせる、話す、おしっこうんち、触れ合うこと、呼吸、感情、 日常の中で、繰り返している起こっているさまざまなこと。

それはいつも同じではないことに気づいてるかな。



自分の体調・気分が毎日ちがうことに気づくこと。
その安定していない自分を知ることはすごく大切なことだとわたしはおもう。
安定してないことが当たり前に自然なことだと。


小さいころから安定=変わらないことを求められてきた。
家庭で学校で仕事場で。
そこはそのための訓練の場だった。
安定していないのはなにかが足りないからだと。
知性、忍耐、注意力、規律、競争。
いまも多くのひとは安定を求めて、職場を決め、居心地の悪い居場所を出れず、心を閉じ込めてる。安定ってほんとにあるの?



わたしたちは不安定の中にいる。
今この状況がというのではなくて、今も以前もこれからも。
moment to moment


変わること、それは別の言い方をすれば不安定とも言えるけれど、それが自然。

自然は変わっていく。自然で変わらないものはない。
木、生きもの、水の流れ、雲、自然はどんどん変わる。わたしも自然。

コンクリートとかプラスティックとかアンチエイジングとか、変化を遅くさせること、そうゆう目的で人工的なものはつくられる。




普通であること 
ordinarity

特別になりたいひとたちは普通が好きじゃない。


普通の日常、
そこが実は特別なすごい場所だと体験することは、
自分が今ここにいることの奇跡を知ること。


アタマであれこれ考えて情報をたくさん収集することの方が遠回りだよ。

五感が開いてくると直感はどんどん冴えてくる。
自分で感じて決めて動けるようになる。
自分にとって正しい時に正しい場所で正しいことが起こっていることがわかるようになる。
自分とつながるってそうゆうこと。







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身体の反応はいろいろ

身体はひとによってさまざま。形はもちろん、目に見えないものも大きくちがう。

去年の春、歯の治療をした。数日間で突然ぐぐぐと痛くなって行ったけれど、その歯の神経は抜かずに済んだ。
その先生はなるべく麻酔を使わずに治療してくれる。それはわたしにとっては有り難いことだけど、その分ダイレクトに痛みを感じる。
ひーひー言いながら、やっと治療が終わった。

神経が落ち着くまで2週間くらいはしみたり痛みも感じるかもしれないけど心配しないでと先生から言われた。

その後、冷たいものも熱いものもものすごい刺激となってた。先生の言ってた2週間が経っても一向に変わらない。1か月経っても全く変わりなし。冷たいの熱いのイヤ。


変な治療を受けたとは思わなかった。ただこれは時間はかかるんだろうなと。
と言うのも、わたしは神経過敏なところがある。
精神的にも身体的にも刺激と判断したものに対して大きく反応しやすい。
「あなたの神経システムと免疫システムはとても知的で精巧だ」と占星術で言われたことがある。ホロスコープってそんなこともわかるんだね。

わたしの神経が鎮まるのには一般的な期間よりも長くかかるんやろうなと思った。
結局、落ち着くまで3か月かかった。どんだけかかんねんとは思ったけれど、おさまってよかった。


先生の言うこと専門家の言うことって力を持ってる。
自分の身体の反応と医者の言うことがちがっていたら、医者の方が正解で身体の方に疑問を向けるようなぐらいに権威には弱い。
わたしはそれはいややなと思う。


日頃から自分のいろんな特徴を感じて生きていれば、なにかだけを妄信することはなくなる。
身体とつながろう。自分のことを知ろう。目を向ければ教えてくれる。



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表現とは受け容れること

朝、ギリがわたしのブログを読んだ感想を話してくれた。
よくくれる。
感想を言ってくれるのは、彼になにかが届いたとき響いたとき。
だからその感想をきくのはおもしろいしうれしいし、異なる視点に感心したり、有り難いしあわせなこと。




表現すること、身体を動かすこと、
これがわたしの心身の健やかさを保つのにかかせない。
そして瞑想。
わたしにとって、表現するというのはこころが動くことの結果のようなもの。
こころが動くから表現が起こる。




これらはわたしの健やかさだけでなく、おそらくほとんどのひとたちにとって自分を健やかにする栄養になる。





わたしの中からこれらが薄まってしまうと、めっちゃ調子がわるい。元気から離れる。

すると、ケンカをふっかけまくるわ、ウツウツとなるわ、食べ過ぎるわで、表現されなかったエネルギーが出る場を求めてこんなふうな表れ方をする。
すんごーく疲れる、知ってる人も多いだろうけど。
使ったエネルギーの倍以上のものが出て行くような体感。

そして逆にここに居続けてしまうということがある、いたくないと思いながらも。
それは、本来のものー健やかさーからズレているから、ここから出るエネルギーが足りなくて、留まってしまうのかもなとおもう。


元気のエネルギーをとり戻すのは、かなりのパワーがいる。
自分がいたくないここから離れるという決意がいる。
決意するということ自体がパワー。

これ、ヒーリングのプロセスとおんなじだな。

変わる、変わりたいという決意が最初にある。
肉体であれ、人生であれ。もうこれ以上うんざりだ!って。
ここでパワーとつながれた。内にあったパワーと。
そして本当へ向かっていく。
治癒にいたるまでの道。




変わるという決意・勇気、身体に意識を向け声を聴き、こころマインドに目を向け、食べ方を見直したり、いままではちがう物事のとらえ方も必要となる、自分という存在に目を向けなにかに気づく必要がある。治癒が起こるにはある程度の時間もいるだろう。

ある面、ヒーリング・癒しというのはだれかにしてもらうことではなく、自分で変わることを決めて、だれかのサポートを受けながら、気づいて、それを実行していくということ。
いままでの習慣を変えていくということ。いままでのその習慣はあなた本来のものとは離れているということだから。


だからね、健やかでいるのはとても大切。
それがわたしたちそれぞれの責任だと内側からの理解が起こるとすれば。


健やかでいることは、わたし自身の為であり、パートナーや家族のためにもなり、自分のいる場所のためにも、世界平和にも貢献する。



自分を癒すことはほんとに大きなことなんだよな。



その癒しのプロセスにおいて、表現はすごくパワフルにはたらく。

そのままに純粋なままに表現が起こることのパワフルさはそれが与えるインパクトは言葉では表しきれない。



そして誤解されやすいのだけど、そのままに純粋なままの表現というのは、すべてが心地いいとは限らない。

心地悪いを感じてそれを表現しようとはなかなかしない。

なんかね、みんないわゆるポジティブが好きなんだ。だから、いろんなことを無意識に良い方向へと向かわせようとする。
結末を納得いくものにしたがる。納得いくものとは、あやふやでなくて、もやもやではなくて、すっきりしたもの。
結果、良かったです!みたいな。

おいしいもの食べたときの、しあわせとか、
あたたかい湯船に入ったときの、んあああーだとか、
言いたいことが言えない、ううう・・だとか、
だれかに話し、色で表し、思わずくそーっと声が出て、
ごはん作って、木に触れて。

そのまま感じるまま動くまま表れるまま。




表現というのは、いまここの状況も感覚も感情もある物も起こることも、すべてを受け容れてるということなんだ。


そのまま感じたままを表してみること。うまいこと書く、綺麗に描く、褒められるように、そうしたいのを横において。そのまま、あなたに今あるまま。

それに身を任せれば、癒しは自然と起こる。表現の本来のパワーが顕れる。





この居心地の良さこの不快さ・・なにが起こっているとしても、
意識を拡げ、ハートを開きハラを感じ、自分を開いて、
今あるすべてをぜんぶ感じる。
そのままをそのままとして。


それはすべて一旦自分の中へそれらが入ってくるのをゆるすということ。

自分を通じて、入れて出ていく。
そう、呼吸のように。



自分という存在全体で受けいれたものを自分という存在全体で表す。
生きてる実感。 いのちが動いてる。







1/24日曜
Be still and know ニュートラルワークショップ

身体をもつすべてのひとに体験したもらいたい!
あなた自身の在り方、ひととの関わり方、あなたと宇宙(存在)、
きっとなにかあなたにとって大切なものを受けとるでしょう。


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バランス

だいたい秋のはじまりくらいから次の夏がはじまる辺りまで、ゆっくりじっくり体重が増えていく、というのがここ数年のわたしの身体。

毎年4キロほど。結構大きい。

だからシーズンを問わない服の中でもピチピチで入らなくなる服が増える。

そして夏がはじまるとゆっくりと体重が減っていく。

夏がはじまるころというよりも海に入りだすと。

アクアフローティングは夏の海ですることがほとんど。

海という自然と触れ合うと、身体も自らが自然であることを思い出していくのかな。

それに海も水も塩分もどれも強い浄化作用がある。

出る必要のあるもの不要なものが出ていく。

肉体的なもの、感情的なもの、いろいろ。

そしてわたしの場合、好きなことアクアフローティングをシェアできる時間だからすごく満足感がある。

満足してるとき、しあわせと感じてるとき、それはエネルギーの循環が起こっているときで、その時、わたしはそれほど食べ物がいらない。

逆に、足りないという感覚の時、身体を気持ちよく動かせてない時とか、わたしはよく食べ物で補おうとする。

そうゆうとき、多分その辺の男性よりも食べる。


今年はなんと気づくと6キロも増えてた。見たことのない体重になってた。
久しぶりに会った母からは、ええ~っと驚かれ、一緒に暮らしてるギリからは、マルガ大きくなったね!と・・。

ええ、かなり。

ビッグマルガがいいと言う人もわりといるよ。


精神とか人生とか身体やホルモンとか、今わたしが大きく変化しているプロセス。この大きな変化はどこを見てもだれに聞いても起こってる。

わたしたちは独自のそれぞれのリズムやバランスをもってる。それが周りからみておかしなことであったとしても、どんな変化のプロセスであっても、それが今の最善のバランス。


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奇跡のなか

わたしはパンを食べていた、朝ごはん。

それは好きなパン屋さんのお気に入りのもの。

いつ食べてもおいしい。



けど、その日はいつもよりももっとおいしい。

五感すべてが発動して全身であじわう。

けど、おいしいだけじゃない。 なんかちがう、いつもと。



いつも一緒にごはんを食べてる目の前のこのひとも、

窓から見えてるいつもの景色と車の音も鳥の声も、

いま味わっているかんじも。



そして気づいた。

奇跡だ。

ぜんぶすべてが愛だ。



もうなにもかも、目に見えるもの、感じるもの、すべてが愛で、

愛がどんどんやってくる、

身体も心もそれに追い付かなくて、

もう胸がいっぱいになって、ぐしゃぐしゃに泣いた。




いつもの、普段、日常、と呼ばれるスペース。

そこで、ふっとなにかの拍子でスライドが起こり、奇跡に気づく。

いつもここにある奇跡。

すべての美しさに、

どれもこれもが愛おしくて面食らう。

ぜんぶぜーんぶ愛のかたまり。

新しい世界とよばれるところ。ほんとはね、新しくない、ずっとあったの。




わたしたちにあるほんとの恐怖は、この奇跡の中でいることを知ってしまうことなんじゃないか。

この世界で生き残ること、ひとから認められないこと、失敗すること、そんなことは怖くない。

奇跡を知ってすべての美しさに気づくことの方が、よっぽどこわいのかもしれないな。

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シンプルが好み?

わたしはシンプルな部屋が特別好きなわけじゃないなと、最近気づいた。

こんまり流でいうと、シンプルな部屋にときめかない。

でも今のわたしの住まいはとてもシンプル。以前の住まいも物が少なかった。その場所に住んでると言うとよく驚かれた。

なんでシンプルかっていうと、大きな理由は、セッションのスペースとしても使っているから。ごちゃごちゃした場所でセッションできない、したくないから。

そう、わたしの住まいは完全なプライベート空間ではないんだね・・ほんま今さらだけど、それが解って、事実に戸惑う。 戸惑うというか、正直言うとショックだった。

それはセッション場所とプライベートの空間が分かれていないからショックなのではなく、なんかね、今まで自分をトータルに寛がせていなかったんじゃないかってことを思ったから。なにかを自分に課してたのかもなって。

セッションの場所ってとっても大切、とわたしは思ってる。だから適当な場所でやりたくない。どんな時もスペースって大事でしょ?内が外に現れるというけれど、スペースって内のことだから。

そして、今までのわたしは物が少ないことが良いこと、それが片付いてるということ、それを自分が心地いい、好きって思ってた。けど、本当にわたしの好みだったんだろうか??物が少ないのが良いことって思い込んでたんだな。

わたしは好きなものと共に暮らしたい。

今まで自分のどこかにセッションの邪魔になるようなものは置かないようにという無意識の縛りがあったんだと思う。気に入ったものがあっても、物が増えるとな・・って買わずにいた。

けれど、わたしが好きなものと共にいるいるとき、わたしはハッピーで、それはセッションのサポートになるのよね。

身体に触れることをおしえるとき、セッションを提供する側の人の心地いい姿勢、場所であることは大切だよと伝えてきた。それがクライアントの安心や心地いいを支える。

その姿勢、場所は変化していく。今それが心地いいからといって、次の瞬間はわからない。

人も変わっていく。もしかすると、変わってるんじゃなくて、本当の好きを思い出しているのかも。自分じゃないものは遅かれ早かれはがれていく。

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魔法をつかう

なにかが詰まってしまいスムースに流れない、最初のその詰まりさえ出ればあとは簡単にスルスルっといくはずなのにー、

ってまるで便秘のようなんだけど、
ここのところのわたしはしょっちゅうこんなかんじでした。
実際にはお通じだけの話ではなく、身体と心のこと。


ウイルスが世界で拡がっているということが自分自身が考えている以上に身体と心を縮ませている。
あなたはどうですか?


ウイルスに伝染するかもしれないという怖さではなく、この状況が長引くかもしれないということへの怖れ。
これはわたしにとっては閉じ込められるような感覚があり、それが本当にイヤ。自由を奪われるような怖さ。
それを感じてるとき、わたしの身体はエネルギー体も含め縮んでいる。自分が狭くてとても息苦しい。



この身体の緊張、無理に解こうとしたってなかなか大変。
なんてことはなく、すぐに解ける方法がある。



それは今起こっていることに意識を向けること。


呼吸に意識をむけて
自分が考えていることに気づいて
自分が感じていることに気づいて
身体に起こっていることに気づいて


身体全体に
身体のパーツに
感覚に
わいている感情に
考えていることに
起こってることに
気づいて


それらを
判断をもちこまず
追い出さず
入り込まず

そのままそのまま
居場所をあげて



どんなものであれ、
今わたしに起こっていることに間違いはない
自分が良い悪いと判断することはあったとしても

そう感じてみるとなにかがほどけていく。



自分を変えようとするのをやめると変容は起こる。

やってみたひとだけがその魔法を知る。
魔法ってシンプル。



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頭から身体へ

節分。暦では冬が終わる。明日から春の季節へ。
1月2月3月あたりの時期は、はじまりのエネルギーがあって気持ちいいね。

終わり、はじまる。なにが終わり、なにがはじまる?そもそも終わるものがあるのか、はじまるものがあるのか。なにを終わらせ、なにをはじめる?

今年50歳になる。ひとつの区切りとして、今考えもしない想像もしないものと50代の間に出会って深く体験できたら楽しいだろうなとおもってる。初心者として、全く未知のものと。

今自分が知ってると思ってるものにも知らないはたくさんあり、だからそのものとの新しい出会いも、いつも自分が初体験だということを忘れてなければ未知と出会い体験がある。
知ってるという考えは、体験させないからね。考えは頭にあり、体験は身体にあるから。


あるワークをしてるとき、その経験者のひとりが、
「どうしたんだろ、おかしいな。今日はいつもとちがう、なんでだろ?」
その人はいつもと同じじゃないことがおかしいと言った。

そりゃいつも同じじゃないよね。一定とか、安定とか、いつも同じ効果とか、それが正しいとすれば、不安定はおかしなことで、いつもとちがうのはなにか理由があるわけで。知ってるマインドは、いつもと同じか、ちがうならその理由を知って安心したい。

体験、って奥深いわ。




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今、もう一度願いにつながる

今日の朝、願い、望みについてふと思った。

わたしの願いは本物かな?

本物って言葉をつかうとなーんか逆に本物ではなくなる気もするんだけど、本物、偽物という対比の中の本物でなくて、
言葉を変えると、

その願いはありのままか?




ある人が、自分がずっと長い間願ってたことが実は本当の望みじゃなかったことがわかったんだって話してくれたことがあった。長い間望みと思い込んでたものと本当の望み、その両方を詳しく話してくれたんだけど、本当の願いを聞かせてくれた時、聞いてるわたしのハートも反応した。その人の本質がその願いには表れてた。



昔、あるOshoの弟子が、引き寄せの法則を伝えるワークをしたいとOshoに申し出たそう。今は多くの人が知ってるものだけど、もっともっと前の話。するとOshoは、コミューンの中でそれを他の弟子たちに広めることを許さなかったという。

欲しいものを得ることは簡単 。けどマインドの望みがどれほど叶っても、わたしたちは満たされない。それぞれの存在が感じるそれぞれの豊かさがある。

わたしたちが欲しいと望んでるものは、どこからの願いなんだろう。お母さんが欲しかったものを代わりに得てあげたいといつの間にか自分の望みと思い込んだのかもしれない。社会で認められるからという理由かもしれない。いやもしかしたら神さまの顔色をうかがった願いかもしれない、こう願えばこうなればわたしはこの世界で生かせてもらえるかもしれないと。



「わたし」というものが強くくっきりする前に感じてた望みはなんだったんだろうか。親や教師、社会の影響を受けていないときのそのままの存在はなにをしたくてこの世界へ来ようとしてたんだろう。



もう一度、魂の願いにつながりなおす。
ありのままの願い。

今、それをじっくり感じてみたい。



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