今日の朝、願い、望みについてふと思った。
わたしの願いは本物かな?
本物って言葉をつかうとなーんか逆に本物ではなくなる気もするんだけど、本物、偽物という対比の中の本物でなくて、
言葉を変えると、
その願いはありのままか?
ある人が、自分がずっと長い間願ってたことが実は本当の望みじゃなかったことがわかったんだって話してくれたことがあった。長い間望みと思い込んでたものと本当の望み、その両方を詳しく話してくれたんだけど、本当の願いを聞かせてくれた時、聞いてるわたしのハートも反応した。その人の本質がその願いには表れてた。
昔、あるOshoの弟子が、引き寄せの法則を伝えるワークをしたいとOshoに申し出たそう。今は多くの人が知ってるものだけど、もっともっと前の話。するとOshoは、コミューンの中でそれを他の弟子たちに広めることを許さなかったという。
欲しいものを得ることは簡単 。けどマインドの望みがどれほど叶っても、わたしたちは満たされない。それぞれの存在が感じるそれぞれの豊かさがある。
わたしたちが欲しいと望んでるものは、どこからの願いなんだろう。お母さんが欲しかったものを代わりに得てあげたいといつの間にか自分の望みと思い込んだのかもしれない。社会で認められるからという理由かもしれない。いやもしかしたら神さまの顔色をうかがった願いかもしれない、こう願えばこうなればわたしはこの世界で生かせてもらえるかもしれないと。
「わたし」というものが強くくっきりする前に感じてた望みはなんだったんだろうか。親や教師、社会の影響を受けていないときのそのままの存在はなにをしたくてこの世界へ来ようとしてたんだろう。
もう一度、魂の願いにつながりなおす。
ありのままの願い。
今、それをじっくり感じてみたい。
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