ジベリッシュ瞑想というものがある。
意味のない言葉、音を出す。知っている言語はつかわない。
口からでまかせ、どこかで聞いたような、でも知らない言語のような音。ただひたすらに音を出していく。考えがやってきたり、感情がわいたり、それを音にして、そしてそれにとらわれず。
音を出していい環境であればいつでもできる。ボリュームはお好みで、ぼそぼそでも、大きくでも。だれかと一緒で恥ずかしいなら一人で。お構いなしならその場にいるみんなで。
oshoのノーマインド瞑想はジベリッシュを1時間してその後1時間座る。それを7日間というプロセス。おすすめします。
表現するというのは、ジベリッシュとおんなじだ。意味がなくていいし、理屈にそってなくていい。上手でもなく、正しくなくてもいい。
普段つかわない言語ー色や身体や粘土をつかって、今あるものを出していく。
ジベリッシュをしてみると声がするかもしれない。
バカみたいだから今すぐやめろと。無駄だ。恥ずかしい。意味がない。冷静になれ。
出そうとする時、そこにはめっちゃ厳しい検閲官がいる。
表現のプロセスだけでなく、それは日々いるはず。
表現のプロセスは、その日々起こっていて、日常の中では気づきにくい、さまざまな者に出会う。
それらに気づいてるのに、気づかぬふりをしてるのが、日常でもある。
なんでも外に出すからいいということではなく、大切なことは観ること。
表現が、うまい絵を描くことやだれかよりも優れた評価を得ることが目的ではないというのは、最も大切なことは自分に起こってることを観ることだから。
そういう意味で、とても個人的なワークとも言える。
でも表現はひとりではできない、個人では完結しない。必ずだれかを必要とする。
わたしたちは社会的な生き物。物理的にも精神もひとりでは生きていけない。だから孤独は病む。
表現というのは、まず最初の段階は自分との、内側のコミュニケーション、そして次は外側にいる存在とのコミュニケーション。人だけじゃない、紙と色とさまざまなツールともコミュニケ―ションが起こる。独りよがりでは紙や色とも仲良くできない、相手にしてもらえないのだ。
11/17 木曜日 表現ワークショップを開催します。
自分に、表現というものに、めいっぱい生きるということに、
つながるということに、表現アートセラピーに、興味のある方、是非いらしてください!
日時:11月17日木曜 10:00~17:00
場所:スタジウーヌス・名古屋市内
参加費:15.000円
画材、ランチはこちらで用意します。
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