いいことが起こるとうれしいけどなんだか落ち着かない
つぎによくないことが起こるんじゃないか
いいことばかりは続かない
そんな考えがやってくる時がある。
なんでこんな考えがやってくるのかな
いつから、どこから、こんな考えをもつようになったんだろう
過去の生、宗教的な教え、小さな頃によく接していた大人の口ぐせ、集合的な無意識のしあわせへの怖れ・・
どれかひとつというより、すべてが混ざって。
そんなこと感じてはいけない
ネガティブなことを感じた瞬間に自分を否定する
首をぶんぶん振って自分に無理に言い聞かせる、そんなこと感じてない!
しあわせという感覚、それは今に気づけば簡単で、
もう一方、自分がしあわせでいることをゆるすのはなんでこんなに難しくなったんだろうともおもう。
あるときの瞑想後に聞こえてきた言葉。
自分だけがしあわせになってはいけない
母、祖母、女性たち。女性側から聴こえた気がした。
あなたが先にしあわせにならなくて、どうやってあなたの周りのひとたちがなれるの そんな言葉を言いたくなるのもわかる。 そしてそういう時に聞くそれはうっとおしい。
自分の中にゆるしてないものがあると、それを感じたときに抵抗する。
自分の中から聴こえても、目の前のひとが言っていたとしても。
反応して、嫌悪感を感じるか、ジャッジするか、聞こえなかったことにするとか。
すべてゆるしていたら、
なにを感じてもいいなら、
反応してもいいし、嫌悪感もジャッジメントも感じていい、
起こることをそのままにしているとき、抵抗もふくめ受容している。
受容
よく使われる言葉だけど、ほんとに大きなことだよね。人生が変わる。
簡単にできるよとはわたしは言えない。
いま感じている、いまここで起こっていること、
それを表現するのはリスク(危険)がある。
誤解されるかもしれない。嫌われるかもしれない。
こわい。
だけど、表れたがってるものがある。
いまここで起こってる自分にとっての本当のこと、リアル。
わたしは生きてるんだ。
わたしはここにいる。
わたしたちはみな表現者。
12/19開催 表現アートワークショップーーー生きること自己表現
ー色、描くこと、身体の感覚、感情、香り、他者の表現に触れることーで自分の表現をゆるしていきます。
ほんとはやりたいこと、ほんとは感じていること、マンネリから抜けたい、
それらにこの表現アートワークショップはなんらかのサポートができるでしょう。
あとひとり参加できます。
12月19日土曜日 14:00~18:00頃(開場13:50)
場所 スタジオウーヌス・名古屋市瑞穂区(変更になる可能性があります)
参加費 8.000円
※少人数でのグループです
予約・問い合わせ こちらより(スタジオウーヌス問い合わせフォーム)
マルガの提供しているセッション
サイキックマッサージセッションについて
カテゴリー: 美しさ
サイキックマッサージ再開
サイキックマッサージのセッションを再開します。
何人もの方からリクエストをいただいていました。しばらくこのセッションはお休みしていましたが、今、タイミングの気がして、
サイキックマッサージのセッションを再開することにしました。
実はすでにご予約はいただいていまして、わくわくしています。
いままで受けたことがある方とはうれしい再会ができれば、そして初めましての方とは新しい出会いの場面です。
サイキックマッサージはマルガにとってとても大切なものです。
ここから得たものがほんとにどれほどあるかわからないほど。
自分とつながること、だれかと出会うこと、
だれもが存在に愛されていまここにいること、そのひとそれぞれの美しさ、
トレーニングを通して、セッションを通してたくさん体験して知りました。
ひとは自分自身の美しさを自分で体験したなら、人生は大きく変わる
これはわたしにとって真実です。
わたし自身がそうでしたから。
わたしはその体験をサイキックマッサージを通して知りました。
だからみなさんにも是非サイキックマッサージを体験してほしい。
美しさを知るというのは、わたしたち自身がありのままで在ることの歓びをあじわうということ。
世間でいう美しさの基準から離れて、ああ、わたしはこれでよかったんだと心も身体も安堵し、内からわいてくる光を隠すのをやめて、自分として生きる。
知ったつもりでいた自分という存在を今までとはちがうところから見て感じて、驚くかもしれません。
はじめて対面するような、あるいは再会のように懐かしくて泣けるかもしれない。
なんて尊く美しい存在。 ほんとの姿。
セッションを受けることってほんとにいい助けになるんです。
いつもくっつきすぎて見えないものを観れるいい機会。スペースって大事。
このセッションは自分を思い出していくためのサポートになるでしょう。
サイキックマッサージってどんなことをするのか。
セッションの基本的な流れとしては、まずはお話をうかがいます。
その後、マッサージテーブルに横になっていただいてチャクラと男性性女性性のエナジーリーディングをします。
そしてそこからマッサージをしていきます。
エナジーリーディングをするのは、マッサージでどこから触れるかなど、セッションのおおまかな流れを見つけるためです。
セッション全体の時間はおおよそ1時間半です。長くなったり短くなったりする場合がありますが、時間に関係なく、
そのセッションにおいてあなたにとって今必要なことはすべて行われます。
見つけられるのを待っている場所があなたの中にあるかもしれません。
セッションの場でお会いできるのを楽しみにしています。
★サイキックマッサージセッション 15.000yen
サイキックマッサージメニューページ(スタジオウーヌスHP)
予約・問い合わせ先
問い合わせフォームへ(スタジオウーヌスのHP内)
ドント ビー シャイ
美しさ、をすごくリスペクトしてる。とっても大切にしてる。
それはすべてのもの・ことに在る。
それを才能・良さというかもしれない、徳というひともいるだろうし、クセがあるといって顔をしかめることもあるかもしれない、光とよぶひともいる。
そしてそれは五感で感じられる。もちろんそれ以外の感覚でも。
形がなくてもあっても
はっきりと
見れる、嗅げる、触れる、味わう、聴ける。
そして美しさはそのもの独自のもの、オリジナルだ。
同じ言葉であらわすかもしれないけど、同じ美しさはない。
見る者が感じる美しさと、見られるモノの美しさは同じではないとおもう。
美しさは主観的だ。主観はうそでも思い込みでもない。
客観的な視点だけを尊重しすぎた結果は・・・それはこれからも続けたい人たちにおまかせしよう。
わたしたちがやらなくてもいい。
美しさに出会いたくて、触れたくて、わたしはここにいるなっておもう。
美しさに触れることと感動することはわたしには同じ意味の言葉。
それを見つけるのが好きで、それを伝えたくて、こうしてる。
美しさは特別な場所、ひとにあるんじゃなくて、
あなたの中にある。
あなたの美しさを
わたしに
世界に
恥ずかしがらずに
見せてくださいな。
奇跡のなか
わたしはパンを食べていた、朝ごはん。
それは好きなパン屋さんのお気に入りのもの。
いつ食べてもおいしい。
けど、その日はいつもよりももっとおいしい。
五感すべてが発動して全身であじわう。
けど、おいしいだけじゃない。 なんかちがう、いつもと。
いつも一緒にごはんを食べてる目の前のこのひとも、
窓から見えてるいつもの景色と車の音も鳥の声も、
いま味わっているかんじも。
そして気づいた。
奇跡だ。
ぜんぶすべてが愛だ。
もうなにもかも、目に見えるもの、感じるもの、すべてが愛で、
愛がどんどんやってくる、
身体も心もそれに追い付かなくて、
もう胸がいっぱいになって、ぐしゃぐしゃに泣いた。
いつもの、普段、日常、と呼ばれるスペース。
そこで、ふっとなにかの拍子でスライドが起こり、奇跡に気づく。
いつもここにある奇跡。
すべての美しさに、
どれもこれもが愛おしくて面食らう。
ぜんぶぜーんぶ愛のかたまり。
新しい世界とよばれるところ。ほんとはね、新しくない、ずっとあったの。
わたしたちにあるほんとの恐怖は、この奇跡の中でいることを知ってしまうことなんじゃないか。
この世界で生き残ること、ひとから認められないこと、失敗すること、そんなことは怖くない。
奇跡を知ってすべての美しさに気づくことの方が、よっぽどこわいのかもしれないな。
★マルガの提供するセッション
マルガ&ギリ スタジオウーヌスのホームページ
恵みをいただく
昨日は畑のさつまいもを掘った。
収穫した、と一言で終わることもできるんだけど、 些細なことと思われるようなものの中にたくさんのことがある。
まるで自分がお産婆さんになったみたいに、土の中で育っていた赤ちゃんが生まれる準備が整い、出産を手伝ったかのようないい体験だったよ。
さつまいもの周りの土はかちかちで固くて根っこが深く、少しづつしか掘り進められない。スコップを使うとおいもを傷つけてしまった。だから手で、ちょっとづつ。20cm以上に育っているのもあって、あの小さなひょろひょろの苗がゆっくりじっくり土の中で形を変えながら拡がっていったんだよね。
がんばれがんばれ、そうそうその調子、っておいもに言うような気持ちがわいてきて。そしておいもは無事生まれた、土から出てきた。わたしたちも母親のお腹の中でいろんな準備をして、母親と協力してここへきた。いのちはすごいな、ほんとに。
幼稚園の時のお芋掘りの記憶がある。
さつまいもがあるであろう整列した横に長い一列。その場所の前にわたしたちは並んで座ってた。先生の合図があるまで待ってる。記憶のある場面はそれだけ。
その時の感覚を今のわたしが言葉にするなら、ずらっと並んだ機械の前にいて、それの操作方法を教わりとりかかる号令のベルが鳴るのをだるく待っていて、そしてその機械の前にいる自分も機械の一部のような、そんな無機質な感覚だったとして残っている記憶。
いま、昨日掘ったさつまいもはホイルに包まれ鍋の中。甘いといいな。
秋だねー。
★マルガの提供するセッション
雨の中の鐘の音
いま、これを書きだした今、 近くの教会の鐘の音がきこえてきました。
毎日同じ時間になると鳴る鐘。
でもここに届かないこともある。届いているかもしれないけどわたしには聞こえないことがある。そしてこうやってわたしの元に届いた時には全身で耳をすます。
この音をきくと、内側の静けさにすーっと戻っていく。昔の記憶からなのかな。そういえばインドのプーナでもコーランの音が響く。とても懐かしくかんじて、好きだったな。
肌で秋を感じれるようになってきた最近。地球暦でいうと1年の半分が終わり、後半の半分のはじまり。
秋になったけど、わたしの肌はまだまだ黒い。この夏の間、何度海に行ったっけ。 いろんな方と一緒にアクアフローティングをした。そして体験しなかった人たちの中にも、アクアフローティングに興味をもってる人たちがたくさんいることを知った。みなさん、ありがとう。
したい!の機会。これ、大切にしてる。 してみたい、行ってみたい。それがなんの役にも立たなくても、立たないと思うのならなおさら、それをしてみる。だって、したい!んだもの。
役に立つ、役に立たないって、それはマインドの声。 マインドって?それは、親の言葉、先生の言葉、社会の言葉、それらを正解、そうだ、答えだと思い込んだもの。普段のマインドはとても固くて小さい。
そのカチカチの固く狭い、自分のものかもどうかわからない言葉の言うことに従ってると、わたしたちはある時点で立ち止まる。
それは自ら立ち止まることもあるけれど、多くがストップさせられる。
そしてしばらく苦しむ。今まで通りできない自分に腹を立て、周りのせいにする。自分の今までを失敗として悲しむ。
そうしてしばらくしたら、気づく。
起こったことはギフトだったってことに、存在の計らいってことに。
なーんだ、プロセスって完璧やん。
したい!を、しないこともすることも、後悔も満足もどれもOK。どの道も美しい。
初収穫
こんにちは。
ここ数日の暑さ。夏が近づいてきましたね。
今日の散歩で感じた空気。
お、このかんじは好きやぞ、と数日前とはちがうエネルギー、新しい風を感じました。自分の歩く足音とこのエネルギーにつつまれた世界。気持ちがよかった。
2月から畑を借りています。
3月のはじめに種を蒔いたり苗を植えたり。
畑に行ってあれこれするのが最近の楽しみ。
土に触れる、太陽浴びる、作業してるうちにいつのまにか無心になってる、そうゆうことが肉体も心も健やかにしてくれる。
そしてこないだは初収穫!
ほとんどなーんもしてないのに、野菜ができた。
すごくない?
なんでこんなんできるん?
一体なにが起こってんねん?
だれがこんなことしてくれたのですか??
不思議すぎる。
まさに神業。
生命の神秘とめっちゃおいしい野菜をあじわってるよん。
50年近く生きて、知らんことだらけやわとますます気づく。
毎日、自分の身体と心に気持ちいいことを。
スタジオウーヌス
マルガ
美しさってなんですか
こんにちは!
元気で過ごしていますか?
わたしは時々の欲求不満が起こったりしながら元気ですよ。
フィジカルな接触に距離をもって、家で過ごす時間が増えたことは今あなたにとってどんなふうに感じているのでしょうか。なにが起こっていますか。
わたしはですね、
ウーヌスにだれもいらっしゃらないことがめちゃさびしい!
ひとと触れ合うことが大好きです。それは実際に肌にさわるということだけでなく、そのひとという存在に触れるのが。
それは別の言葉で言うと、そのひとの美しさに出会うのがたまらなく好き。
セッションでその機会をもらえてることは、これはもう存在からのご褒美やなって感じてる。
それは自分自身の美しさを思いだす瞬間もいっしょ。
美しさに出会うこの時、自分が自分、わたしという個人、ではなくなる。いままで自分と思ってたのは「考え」で、その美しさが「本当の存在」だったって。
美しさ
わたしにとって大切なもの。この言葉を見、聞き、感じるとなぜか涙がでてくることがあるのよね。わたしの人生を変えたものだからかな。
このブログも前に書いてたものも、タイトルに入れてる。
みーんなが自分自身の美しさに気づけば、
この世界はグルンと一変する。
美しさに気づいたときから、
あなたの世界は変わってる。グルンが始まった。
表面的には変わってないように思っても実際には変わってる。
美しさということがどういうことかはひとそれぞれ。
だから世界は美しいのよね。
もしも、美しさの定義に自分以外のものがまぎれていたら。
世間とか社会とかCMとかの刷り込みが入っていたら。
きっとわたしたちは美しさを見誤るんだろうな。
怒ることは醜いし
毛深いのも太りすぎも醜いし
くちゃくちゃと音をたてて食べるのは醜いし
卑怯なことは醜いし
ってほんまかな。
だれかに決定権を渡したらあきまへん。
存在からの目で見て聞いて嗅ぐとどんなふうに見えるだろうか。
愛をこめて
マルガ
スタジオウーヌス
http://www.banyantree8.com/
魔法をつかう
なにかが詰まってしまいスムースに流れない、最初のその詰まりさえ出ればあとは簡単にスルスルっといくはずなのにー、
ってまるで便秘のようなんだけど、
ここのところのわたしはしょっちゅうこんなかんじでした。
実際にはお通じだけの話ではなく、身体と心のこと。
ウイルスが世界で拡がっているということが自分自身が考えている以上に身体と心を縮ませている。
あなたはどうですか?
ウイルスに伝染するかもしれないという怖さではなく、この状況が長引くかもしれないということへの怖れ。
これはわたしにとっては閉じ込められるような感覚があり、それが本当にイヤ。自由を奪われるような怖さ。
それを感じてるとき、わたしの身体はエネルギー体も含め縮んでいる。自分が狭くてとても息苦しい。
この身体の緊張、無理に解こうとしたってなかなか大変。
なんてことはなく、すぐに解ける方法がある。
それは今起こっていることに意識を向けること。
今
呼吸に意識をむけて
自分が考えていることに気づいて
自分が感じていることに気づいて
身体に起こっていることに気づいて
身体全体に
身体のパーツに
感覚に
わいている感情に
考えていることに
起こってることに
気づいて
それらを
判断をもちこまず
追い出さず
入り込まず
そのままそのまま
居場所をあげて
どんなものであれ、
今わたしに起こっていることに間違いはない
自分が良い悪いと判断することはあったとしても
そう感じてみるとなにかがほどけていく。
自分を変えようとするのをやめると変容は起こる。
やってみたひとだけがその魔法を知る。
魔法ってシンプル。
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ハートの先端は手。手は表現者。
あたたかくなりました!
春分が過ぎ、うちの地球暦も2020年バージョンに。
新しいはじまりは清々しい。
そして今回もお味噌つくったよ。
今年はだれかに声かけずにわたしたちだけで。
たくさんの量の大豆をつぶすのに大変で、いま腕が筋肉痛。
1年は寝かせておいしくなったら好きなひとたちにシェアする予定。
あと甘夏マーマレードも。無農薬のものでそのままだとめっちゃ酸っぱかったんだけど、ジャムにしたら酸味と苦みと甘みの加減が最高。
ものを創るというのは、すごくいい。
文章を書くでも、ごはん作るでも、マッサージでも、
なにか創るときは手をつかう。
なにか伝えるときは手をつかう。
その「なにか」とは、
愛、感謝、励まし
いろんな言葉がでてくる。
あなたの「なにか」はなんという言葉で表せる?
あなたが伝えたいものはなんですか?
もしかしたら言葉では表現できないけどしっかりと感じれる「なにか」。
手はハートの先にある。ハートの先端部分が手。
手は表現者。
そのあなたの伝えたいものを手にのせてね。
だれかの手から伝わってくるものをちゃんと受けとってね。
言葉で伝えるのが難しいと感じてるときは手をつかおう。
伝える相手はだれかだけじゃないよ、自分にも。
手をつかうほどにハートもゆるんでよろこぶ。
手をつかおう、しっかりとその心を込めて。
恥ずかしがってないで。
ほんとは伝えたいこと、愛、を伝えよう。
近くにいるひとが怖がって固くなっていたら、
手で背中を撫でてさすってあげよう。
自分がどうしようもなく不安でだれにも言えないなら、
手のひらでそっとゆっくりと頬っぺたを包んであげよう。
大丈夫、怖がっても大丈夫、泣いても怒っても大丈夫。
その呼吸で、その身体で、その癖で、その強さで、大丈夫。
その手は、そのままのあなたが大好きなんです。
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