今日はずっと雨が降っていたけど、夕方散歩に出かけたら、太陽がひょいっと顔をだして、ダブルレインボウが!
虹見るとなんでこんなにハッピーになるんだろうね。
ハッピーといえば、わたしの日常のハッピーのひとつは銭湯!
スーパー銭湯じゃなく、銭湯。手軽で、行けば必ず気分爽快になる。
けど、気分だけじゃない。身体もハートも満たされる場所。パワースポット。
単純に大きなお風呂が好きだけど、
銭湯には人の日々の暮らしがある。そこがとっても好きなところ。
おばあさんもおばちゃんも若い娘もみんなが素っ裸。みんなちがう身体をもってる。でっかいちっちゃいおっぱい、片方だけのおっぱい。大きな手術跡、タトゥー、贅肉いっぱい、ガリガリ。この生を生きてきた証。老いててもぴちぴちしててもそれぞれの歴史。生きてるわたしたち。裸を見てると、わたしたちはだれひとり間違った身体を身に着けてきてないなっておもう。みんな今の自分にぴったりの身体。
汚れを落として洗って温めて、心身ともにほぐれてすっきりして上がっていく。
今日一日の疲れをとる人もいれば、夜の商売にむけて養分を得るかのように仕事前に来る人もいる。
昔からある日本の暮らしの一部。そこで年寄りから赤ちゃんまでいて、女としてのこと、育児や暮らしその土地のこと、いろんなことを教わったんだろう。
生きてるってええなーって思うの。銭湯にいると。
わたしにとっての銭湯パワースポットは、身体があったまるという効果も大きい。
身体が冷えてるときと、あったかい時の気分の違いは明らか。
気分が落ち込みやすい人は、特に胃から下、下半身をゆったりと温めてみて。鼠径部はしっかりと。
そして温まってからの気分の違いを感じてみて。
大きな変化を求めてるなら、シンプルなことをやってみるといいよ。
身体と心は密接。
身体と心を心地よくさせると、本当にやるべきことをたやるための力が内から湧いてくる。
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カテゴリー: 美しさ
クリエイション
はろー!マルガです。
ちょっと喋ってたことを残したくて、ここに書く。
どんな世界を創る?
女でいれる場所で生きたい。女で生きたい。
感情は一定じゃない。泣いたり笑ったり怒ったり。感情豊か。
感覚的。身体の生理機能(内側)からも環境(外側)からも影響を受ける。敏感、繊細。
波のよう、バイオリズムとか、季節の移り変わり、四季みたいなもの。
自然とおんなっておんなじ。
女は自然。
自然に生きる。女で生きる。
波があることは、今までの社会では嫌がられてきた。波があるって一定じゃないってこと。
ずっと一定、上向き、ってそれが大切だと思わない。経済、売上がずっとずっと前年比アップ目指すって、なんかどこかおかしい。自分が生きてることはだれかの負担の上、そんなん終わらせる。
海女さんは、海に潜って見つけたもの全部持ってこないんだって。今採るもの、頂くものをちゃんと知ってる。かっこいい。
家族の中で財政つまり豊かさのキーを持ってるのは妻だっていう。妻がゴキゲンさんだったら、その家は安泰だそう。それが家族というコミュニティじゃなくて、もっと大きくとらえられたら。
人には波があるもんだってもし理解していたら、協力がうまれる。協力って力の無いところに力を貸すんじゃなくて、それぞれの力の出し処が最適ってこと。だからそれぞれの色、才能がより開いていく。
それぞれにリズムがあること、それはわかっているようで、普段の生活ではなかなか難しい。 当たり前で自然なことを、わたしたちは抑えてきたんだよな。我慢とか、薬とかを使って。だれかの良い悪いの基準に沿って。
そして自然がなにかわからなくなって。だから自然からはずれないこと大事。自然って、ただの自分。ありのまま、そのままの。自然、自分、女という言葉はおなじ意味。アイデンティティや女性性の話じゃないよ。
愛って叫んでもいい
昨日、友人が来て、今彼女が学んでることの練習として、セッションを受けた。
わたしは愛の交流をする
このために生きてるんだってことだった。
なんていうのかな、あまりにするっと身体からでてきたもんやから拍子抜けっていうのか、どこかで使い古されたようなかんじもするし、マインドがもっとすごいもん出せよみたいな欲求もあり、その時はまぁねーってかんじで。
で、友人が帰り、
それもまたさらっと、
それ、わたしずっとやってるやん、って。
セッションでも、メール送るときでも、ごはんつくってても。
あ、わたしは生きたいように、魂の願うままに、今いるんだ。
それを知った。
泣けてくる。
でもね、気づいたときは、ずっと解きたくていつもいつも探してた難しいクイズの答えが実はすでに知ってたみたいな拍子抜けしたかんじで。
新しい出会いではないけど、最近離れててすごく久しぶりに会ったような感覚で、でもそれは新たな出会いで。なぜならわたしが前とはちがうから。 わたしたちは何度もそうゆう出会いを体験してる。理解するってそうゆう出会いのようなものだと感じる。円ではなくて螺旋。まだクリアしてなかったか、まだ知らなかったのか、ではなく、深く高く広く理解が起こってるの。
愛って言葉、ずっと使いづらかった、今も。
言うのも書くのも。出そうとすると一瞬ひるむというか迷うというか。おまえなんかがそんなこと言っていいのーー?って声がどこかからきこえて。
いいの。いいんですよ、愛って言っても書いても叫んでも。
もぞもぞしたって、言葉にひるんだとしても。
おまえなんかでも、あんなヤツなんかでも。
だって、本当のことだから。愛なんだから。
出せない言葉ほど、本当はわたしたちは出したい言葉なんじゃない?
怒鳴ってる言葉の奥にある想いみたいに。
その想いの言葉を出していきたい、そしてだれかのその想いの言葉の存在を知ってあげれるといいなっておもう。
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かまぼこに癒される
こないだスーパーで会計をしていたときのこと。
言われた金額をお財布から出して、レジ担当のひとに渡した。
その女性はわたしが渡した金額を確認しようとして言い間違えた、、っぽい。
ちゃんと聞いてなかったのでよくわからなかったけど、
女性は、「きゃー、やだー間違えちゃったよー」と大きな声で言って、すごく楽しそうに笑った。
その言い方がこどもみたいで可愛かった。わたしも一緒に笑った。
その時の女性の目がかまぼこみたいで、それもまた可愛かった。
少しブルーだったわたしは、その出来事とかまぼこに癒された。
かわいげがあるとか、そんな言葉があるけど、かわいげってほんと大切。無敵なんじゃない?
自然な姿
2週間のギリシャでのリトリートのあと、パリで1週間滞在して、数日前に日本へ戻ってきた。
ひと月ぶりの銭湯!ああ、たまりません。お風呂好きでよかった、と湯船につかりながらしみじみ。
銭湯ってほんとに平和なんよな。みんなそれぞれのやり方で洗ったりこすったり。みんな裸。隠したり、隠さなかったり。
大好きな場所のひとつ。
ギリシャのリトリートでアクアフローティングするビーチにはヌーディストビーチがあって。
リトリートに参加するひとの中には、それを楽しみにしてるひともいる。
ここも好きな場所のひとつ。
海の中の裸も気持ちいい。
裸は自然。わたしたちそれぞれの形。そのひとがそうである様子。
だからその人にぴったりに創られてる。あなたという存在がその姿かたちを選んできた。
その人として一番自然にできている、本来は。
だから裸から水着をつけるとおかしな気分になるんだよね。
あれ?みたいな。
自然じゃないから、違和感が出てくる。
で、なんか照れたりする。服を身に着けると社会性も一緒に着てしまうのかな。
いままで裸で子供のときみたいに遊んでたのに、いきなり距離ができてしまうかんじ。
おもしろいなって思う。
裸は気持ちいいって話。