くつろぎ、三位一体

寛ぐのがわたしたちにとってなぜ難しいのか。
寛ぐというのは簡単にいうと、無駄な力が無く穏やかで中心にいるような状態。ボーっとしたのは寛ぎとは別のもの、寛いでいるとき意識はクリア。

わりと多くのひとが緊張があることに気づかない。いつの間にか身体に力が入ってる。ちょっとしたことで身体は緊張するしね。緊張が当たり前の状態になってるなら、それは気づくのは難しい。


気づくというのは距離・スペースがいる。そこから離れないと見えない。

まず身体をゆるめるために、身体を締めつけるような物を着ないとか、普段の生活の環境を整えることはとても有効。
身体に意識が向きにくい人ほど、締めつけ感のある下着を着けてるようにおもう。
ブラジャーやショーツ、パンストのゴムが身体を圧迫してる。
本人はそれが普通だから気にならない。
緩んでちゃあ生きていけないんだよ、という無意識の怖れもあるのかな。
だから身に着ける物で自分を縛って、ケツをたたく。何者かになれ、もっと頑張れと。
それに慣れすぎてて苦しいとか窮屈と感じないのかもしれない。
感じてるけどやめられないのかもしれない。

で、このケツをたたいているのはマインド。思考やアタマ。
マインド重視のひとはマインドが王様で身体はその下僕となってる。
だから緩むことができない。いや、緩みたくない!ってかんじ。
いつもON、身体の声なんて聴いてたら計画がすすまないからね。


身体やマインドあるいは心が緩んでくると、締めつけのある下着は着けることができなくなる。不快だから。シンプル。
そして締めつけない心地よい下着を身に着けはじめると、身体やマインドは変わっていく。
どちらからでもいける。


寛ぎは身体とマインドの両方が手をつなぐことで起こる。


マインドが王様で身体はその下僕という関係性の中では寛ぎはこない。
マインドと身体がお互いが仲間だと知ること。
その状態で、元々わたしたちにある寛ぎが顔を出す。

身体を道具にしてはいけない。
身体は神殿。魂が降りてこれる場所。
この神殿がなければわたしたちのこの人生のなにもあじわえない。
すべての存在している意図をもう一度思い出して。

寛ぐというのは身体とマインドとそして魂が、ひとつのスペースのそれぞれのいるべき場所にいてそれぞれの真の力を発揮しているということ。
三位一体。
身体は身体の、マインドはマインドの最大限の力の出し方を。
その道のプロフェッショナルがその道を究めて、それが協力したとしたら。
それは最強。寛ぎとはそんなことなんじゃないか、と。


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ドント ビー シャイ

美しさ、をすごくリスペクトしてる。とっても大切にしてる。

それはすべてのもの・ことに在る。

それを才能・良さというかもしれない、徳というひともいるだろうし、クセがあるといって顔をしかめることもあるかもしれない、光とよぶひともいる。

そしてそれは五感で感じられる。もちろんそれ以外の感覚でも。

形がなくてもあっても
はっきりと
見れる、嗅げる、触れる、味わう、聴ける。


そして美しさはそのもの独自のもの、オリジナルだ。


同じ言葉であらわすかもしれないけど、同じ美しさはない。
見る者が感じる美しさと、見られるモノの美しさは同じではないとおもう。


美しさは主観的だ。主観はうそでも思い込みでもない。
客観的な視点だけを尊重しすぎた結果は・・・それはこれからも続けたい人たちにおまかせしよう。
わたしたちがやらなくてもいい。


美しさに出会いたくて、触れたくて、わたしはここにいるなっておもう。
美しさに触れることと感動することはわたしには同じ意味の言葉。
それを見つけるのが好きで、それを伝えたくて、こうしてる。


美しさは特別な場所、ひとにあるんじゃなくて、
あなたの中にある。

あなたの美しさを
わたしに
世界に
恥ずかしがらずに
見せてくださいな。

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21日目、

先月から毎朝、ダイナミック瞑想をしている。

ひさびさにダイナミックしたいなーって思っていたタイミングで、シッダがファシリテートするzoomでの瞑想会があったからそれに参加した。

瞑想はそのひとつのものをまずは7日間続けてみるといいと言われる。

それができたら、21日間、3か月・・。

これ、瞑想に限らず物事を理解・習得しようとするときにつかわれる。

zoomの瞑想会。

zoomでダイナミックをするのははじめてで(ダイナミック瞑想するのも1年半ぶり!)、どんなふうなんだろうと思っていたけど、良かった。
みんなとつながってやるってほんといいね。

毎回、インストラクションがあり、ダイナミックに関してのoshoの音声か言葉が流れる。リッチだ~。

何度もやってる瞑想でも、毎回毎にインストラクションがあるっていい。

そのzoomの瞑想会が終わり、しばらくひとりで続けていた。

そして今日はダイナミック瞑想をスタートして21日目。

イエイ!気持ちええぞ。


ダイナミック瞑想は5つのパートで構成されている。

最後の第5ステージは、祝祭。

その祝祭を今日一日携えて生きる。

こうやって書いているだけで、ぶわわーっと歓びがわいてくる。生きるってこうゆうことだったな。


今回の瞑想会で流してくれたoshoの言葉。


祝祭とは植物に水をやるようなもの、思い煩うことはその根を切るようなものだ。

みなさん、今日も美しい一日を。

Feel happy!




ダイナミック瞑想について

表現するのは気持ちいいと知った

寒くなりました。寒いと眠りが深くなるね。今朝起きた時、何年間も寝ててとうとう起きたってぐらいの目覚めだったよ。


最近、わりとまめに文章を書いてる。こうやって書いたり、色を使って絵のようなものを紙にあらわしたり、毎日なにかしらその時あるものを表現したいなっておもってやってる。


はじめてブログを書いたのは、神戸で独立したとき。宣伝というより文章を書いてみたかった。
だれにも気づかれませんように、って書いてた、笑。
だれも読まないって思って書くと、するする自由に書けた。
自分をどこにも置かずに、どんな位置からでもなく、なにも纏わず、心にあるものをそのままの言葉で書きたいという想いで書くのは気持ちがよかった。


恋人がいなくて、適齢期とか、世間のいろんなモノサシに計ってもらえるものを何も持っていなくて、今も将来にも不安がいつもあって、孤独と感じていて、友だちに甘えたいけど、向こうの事情を勝手に想像して連絡できない、そして今の仕事のやり方を変えたいけれど、独立する前からずっと来てくださってるクライアントの期待に応えたい、と葛藤していた時期。

あの時期、文章を書くこともそうだけど、わたしはたくさんのジャンプをした。えいっっって、怖くて目も開けられないまま飛び込むってことを。
ひとからはジャンプには見えてなかったかもしれないこともわたしには大きな一跳び。

あの時期だけじゃないな、それは今もおんなじ。わたしの繊細さ敏感さは以前とおなじ、変わらなくて。
ちっちゃなことにジャンプして、たまに後ずさりして。
でもあの時みたいに葛藤で苦しくなることは少なくなった。今はまた別のかたちをしてるけれど、それはもうジャマなものではなく。

繊細すぎて生きるのが大変ってひと、ここから応援してる!!!

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バランス

だいたい秋のはじまりくらいから次の夏がはじまる辺りまで、ゆっくりじっくり体重が増えていく、というのがここ数年のわたしの身体。

毎年4キロほど。結構大きい。

だからシーズンを問わない服の中でもピチピチで入らなくなる服が増える。

そして夏がはじまるとゆっくりと体重が減っていく。

夏がはじまるころというよりも海に入りだすと。

アクアフローティングは夏の海ですることがほとんど。

海という自然と触れ合うと、身体も自らが自然であることを思い出していくのかな。

それに海も水も塩分もどれも強い浄化作用がある。

出る必要のあるもの不要なものが出ていく。

肉体的なもの、感情的なもの、いろいろ。

そしてわたしの場合、好きなことアクアフローティングをシェアできる時間だからすごく満足感がある。

満足してるとき、しあわせと感じてるとき、それはエネルギーの循環が起こっているときで、その時、わたしはそれほど食べ物がいらない。

逆に、足りないという感覚の時、身体を気持ちよく動かせてない時とか、わたしはよく食べ物で補おうとする。

そうゆうとき、多分その辺の男性よりも食べる。


今年はなんと気づくと6キロも増えてた。見たことのない体重になってた。
久しぶりに会った母からは、ええ~っと驚かれ、一緒に暮らしてるギリからは、マルガ大きくなったね!と・・。

ええ、かなり。

ビッグマルガがいいと言う人もわりといるよ。


精神とか人生とか身体やホルモンとか、今わたしが大きく変化しているプロセス。この大きな変化はどこを見てもだれに聞いても起こってる。

わたしたちは独自のそれぞれのリズムやバランスをもってる。それが周りからみておかしなことであったとしても、どんな変化のプロセスであっても、それが今の最善のバランス。


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奇跡のなか

わたしはパンを食べていた、朝ごはん。

それは好きなパン屋さんのお気に入りのもの。

いつ食べてもおいしい。



けど、その日はいつもよりももっとおいしい。

五感すべてが発動して全身であじわう。

けど、おいしいだけじゃない。 なんかちがう、いつもと。



いつも一緒にごはんを食べてる目の前のこのひとも、

窓から見えてるいつもの景色と車の音も鳥の声も、

いま味わっているかんじも。



そして気づいた。

奇跡だ。

ぜんぶすべてが愛だ。



もうなにもかも、目に見えるもの、感じるもの、すべてが愛で、

愛がどんどんやってくる、

身体も心もそれに追い付かなくて、

もう胸がいっぱいになって、ぐしゃぐしゃに泣いた。




いつもの、普段、日常、と呼ばれるスペース。

そこで、ふっとなにかの拍子でスライドが起こり、奇跡に気づく。

いつもここにある奇跡。

すべての美しさに、

どれもこれもが愛おしくて面食らう。

ぜんぶぜーんぶ愛のかたまり。

新しい世界とよばれるところ。ほんとはね、新しくない、ずっとあったの。




わたしたちにあるほんとの恐怖は、この奇跡の中でいることを知ってしまうことなんじゃないか。

この世界で生き残ること、ひとから認められないこと、失敗すること、そんなことは怖くない。

奇跡を知ってすべての美しさに気づくことの方が、よっぽどこわいのかもしれないな。

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シンプルが好み?

わたしはシンプルな部屋が特別好きなわけじゃないなと、最近気づいた。

こんまり流でいうと、シンプルな部屋にときめかない。

でも今のわたしの住まいはとてもシンプル。以前の住まいも物が少なかった。その場所に住んでると言うとよく驚かれた。

なんでシンプルかっていうと、大きな理由は、セッションのスペースとしても使っているから。ごちゃごちゃした場所でセッションできない、したくないから。

そう、わたしの住まいは完全なプライベート空間ではないんだね・・ほんま今さらだけど、それが解って、事実に戸惑う。 戸惑うというか、正直言うとショックだった。

それはセッション場所とプライベートの空間が分かれていないからショックなのではなく、なんかね、今まで自分をトータルに寛がせていなかったんじゃないかってことを思ったから。なにかを自分に課してたのかもなって。

セッションの場所ってとっても大切、とわたしは思ってる。だから適当な場所でやりたくない。どんな時もスペースって大事でしょ?内が外に現れるというけれど、スペースって内のことだから。

そして、今までのわたしは物が少ないことが良いこと、それが片付いてるということ、それを自分が心地いい、好きって思ってた。けど、本当にわたしの好みだったんだろうか??物が少ないのが良いことって思い込んでたんだな。

わたしは好きなものと共に暮らしたい。

今まで自分のどこかにセッションの邪魔になるようなものは置かないようにという無意識の縛りがあったんだと思う。気に入ったものがあっても、物が増えるとな・・って買わずにいた。

けれど、わたしが好きなものと共にいるいるとき、わたしはハッピーで、それはセッションのサポートになるのよね。

身体に触れることをおしえるとき、セッションを提供する側の人の心地いい姿勢、場所であることは大切だよと伝えてきた。それがクライアントの安心や心地いいを支える。

その姿勢、場所は変化していく。今それが心地いいからといって、次の瞬間はわからない。

人も変わっていく。もしかすると、変わってるんじゃなくて、本当の好きを思い出しているのかも。自分じゃないものは遅かれ早かれはがれていく。

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この世界からのギフト

7月末から、アクアフローティングのセッションやグループを通して、 久しぶりにいろんな方と出会いました。

生身の存在と出会えるということが、稀な機会となった今。 触れ合えるということがとても貴重な大切な時間だと知りました。今の世界からのギフトだな。

前は当たり前だと思っていて、いや、当たり前と思っていることも気づけないほど、だれかと面と向かうということを、当然のこととしていたなと思う。

出来事を通して、わたしたちは賢くなっていく。 出来事を嫌わない方がいいね。ハプニングって、ぱっと見は面倒に感じるんだけど、これが人生を動かしていくんだなとおもう。どんなふうにそれが動いていくかはそれぞれの受け取り方次第で、それぞれにとっての今の最善に。

アクアフローティングは、ひとりではできない。

水に浮かんで気持ちよくなるというだけならひとりで遊べるけれど、これはちがう。必ず相手が必要。だからこそ素晴らしいツールなんだとおもう。

「関わり」の中で起こっていく。関わることって多くのひとにとって面倒なもののような気がする。どうやったらひとと関わらないで済むか?ってくらい、関わりを苦手なものにして、避けているひとは多いと思う。それは自分自身に対してもそう。自分の一部ともなるべく関わらないようにしてる。特にいろんな感情や痛み、好きになれない部分、自分の美しさからも逃げようとする。 心が動くことがこわいんだ。

でも本当はわたしたちは触れ合うことを渇望してる。自分の中にあるすべてと、目の前にいるこの人と、世界にあふれてる美しい醜いものたちと。

触れ合いたいって本能だよね。

スタジオウーヌス

美しさってなんですか

こんにちは!
元気で過ごしていますか?
わたしは時々の欲求不満が起こったりしながら元気ですよ。



フィジカルな接触に距離をもって、家で過ごす時間が増えたことは今あなたにとってどんなふうに感じているのでしょうか。なにが起こっていますか。



わたしはですね、
ウーヌスにだれもいらっしゃらないことがめちゃさびしい!


ひとと触れ合うことが大好きです。それは実際に肌にさわるということだけでなく、そのひとという存在に触れるのが。
それは別の言葉で言うと、そのひとの美しさに出会うのがたまらなく好き。

セッションでその機会をもらえてることは、これはもう存在からのご褒美やなって感じてる。
それは自分自身の美しさを思いだす瞬間もいっしょ。
美しさに出会うこの時、自分が自分、わたしという個人、ではなくなる。いままで自分と思ってたのは「考え」で、その美しさが「本当の存在」だったって。



美しさ

わたしにとって大切なもの。この言葉を見、聞き、感じるとなぜか涙がでてくることがあるのよね。わたしの人生を変えたものだからかな。
このブログも前に書いてたものも、タイトルに入れてる。


みーんなが自分自身の美しさに気づけば、
この世界はグルンと一変する。

美しさに気づいたときから、
あなたの世界は変わってる。グルンが始まった。
表面的には変わってないように思っても実際には変わってる。


美しさということがどういうことかはひとそれぞれ。
だから世界は美しいのよね。

もしも、美しさの定義に自分以外のものがまぎれていたら。
世間とか社会とかCMとかの刷り込みが入っていたら。
きっとわたしたちは美しさを見誤るんだろうな。


怒ることは醜いし
毛深いのも太りすぎも醜いし
くちゃくちゃと音をたてて食べるのは醜いし
卑怯なことは醜いし
ってほんまかな。

だれかに決定権を渡したらあきまへん。

存在からの目で見て聞いて嗅ぐとどんなふうに見えるだろうか。



愛をこめて
マルガ


スタジオウーヌス
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魔法をつかう

なにかが詰まってしまいスムースに流れない、最初のその詰まりさえ出ればあとは簡単にスルスルっといくはずなのにー、

ってまるで便秘のようなんだけど、
ここのところのわたしはしょっちゅうこんなかんじでした。
実際にはお通じだけの話ではなく、身体と心のこと。


ウイルスが世界で拡がっているということが自分自身が考えている以上に身体と心を縮ませている。
あなたはどうですか?


ウイルスに伝染するかもしれないという怖さではなく、この状況が長引くかもしれないということへの怖れ。
これはわたしにとっては閉じ込められるような感覚があり、それが本当にイヤ。自由を奪われるような怖さ。
それを感じてるとき、わたしの身体はエネルギー体も含め縮んでいる。自分が狭くてとても息苦しい。



この身体の緊張、無理に解こうとしたってなかなか大変。
なんてことはなく、すぐに解ける方法がある。



それは今起こっていることに意識を向けること。


呼吸に意識をむけて
自分が考えていることに気づいて
自分が感じていることに気づいて
身体に起こっていることに気づいて


身体全体に
身体のパーツに
感覚に
わいている感情に
考えていることに
起こってることに
気づいて


それらを
判断をもちこまず
追い出さず
入り込まず

そのままそのまま
居場所をあげて



どんなものであれ、
今わたしに起こっていることに間違いはない
自分が良い悪いと判断することはあったとしても

そう感じてみるとなにかがほどけていく。



自分を変えようとするのをやめると変容は起こる。

やってみたひとだけがその魔法を知る。
魔法ってシンプル。



★★★スタジオウーヌスHP
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