サイキックマッサージ セッションメニュー

☆セッションメニュー

サイキックマッサージは全く新しいマッサージです。

クライエントのコリや歪み痛みを取り除くことや、悪いところを良くするという今までの多くのマッサージとは異なるものです。

サイキックマッサージでは、わたしたち一人ひとりがもつ本質・可能性・光に目を向け、触れます。
そして触れることで伝えます。
「この美しさがあなたです」と。

わたしたちが本質で生きるためのサポートとなるセッションです。


わたしたちの多くは悪いところを変えなければいけないと、小さな頃からそう教えられ思い込んできました。 また一方で、ありのままのわたしという考えがいろいろな解釈で使われています。


サイキックマッサージは瞑想のスペースで行われます。
それはネガティブでもポジティブでもないニュートラルな場。



創始者であるサガプリヤがエサレン研究所にいたときサイキックマッサージがうまれました。50年前のことです。その後彼女はマスターであるoshoと出会い、このワークの中心となる瞑想の質がもたらされサイキックマッサージは完成しました。



このワークで大切にされていることのひとつに共鳴(レゾナンス)があります。
例えば、コンサートで感動したとき、だれかと共に瞑想したとき、
だれかの一生懸命な姿を目にしたとき、絵も歌もいのちも、奥底からの表現はひとに影響を与えます。

そこにいる人たちが共鳴します。なにかが内側で起こります。
それは本質の部分です。


このセッションでも、瞑想の場でギバー(施術者)がクライアントの光・本質に触れることで共鳴がおこると、クライアントはもちろんギバーも、両者のいのちの歓びが起こります。



このセッションの多くの時間は、
あなたの光・本質へ、
受け容れている部分へ、
あるいは光がうまれつつあるところへ、フォーカスしていきます。


ギバーはマッサージであなたの本質に触れていきます。そこは生の力がみなぎっています。


触れられることでなにかが動いたり、静かになったりすることでしょう。
なんらかの感情がわくかもしれないし、
力みや緊張に気づき、それが離れていくのを感じることもあるでしょう。



こうして瞑想のスペースで触れられることを通して、 寛ぎ、静けさ、信頼、本質とのつながりを強く感じ、それぞれの質である情熱や繊細さ、そして内側からの愛の呼びかけに気づくかもしれません。

そのどれもあなたの本質です。
それはリソース(資源)。内なる力です。



わたしたちを知るためにサイキックマッサージでは、 これらを大切にしています。
内なる関係性、女性性と男性性
肉体のエネルギーセンターチャクラ
本質(エッセンス)、リソース(資源)、
在るがまま、受容、信頼、YES



おおまかなセッションの流れ
・最初にいくつかの質問をします。そしてお話を聞きます。
・次にマッサージをどのようにすすめるかを決めるために、両脚とチャクラのリーディングをします。
左脚が女性性、右脚が男性性の質があらわれています。
・マッサージをします。手技や順番などの決まりはなく、触れる場所触れない場所もすべて、リーディングで感じたこと実際に触れて感じたことで、マッサージはすすんでいきます。
・シェア。マッサージ中にお伝えすることもありますが、マッサージが終わった後にお話しすることもあります。

すべてで約90分です。
時間は前後することがありますが、時間によってセッションの内容に差はありません。
そのとき必要なことは行われます。



あなたがあなたの本質ともう一度つながること、思い出すこと。

ホームに還るという言葉がありますが、 自分とつながるということはそんなことかもしれません。
ホッとすること、
ここにいるという安心感、
そのままの自分へのYES、
感謝、信頼、
ご自身のプロセスが起こるでしょう。

Psychic Massage サイキックマッサージ  料金 15.000yen

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マッサージとは、

ここにあるのはoshoの言葉です。
ある時期、セッションの前にはいつもこの言葉を読んでセッションに入るということをしていました。そのときのわたしの瞑想。

今、サイキックマッサージのことをいろいろと文章にしていて、ひさびさにこの言葉に触れました。これを読んでもらったら、サイキックマッサージのこと、マッサージに限らずマルガがしようとしてることを感じてもらえるとおもいます。

この言葉を読むたび、いつもいつもほんとに胸がいっぱいになります。
そしてみなさんに触れさせてもらえること、みなさんに触れてもらえることの奇跡を思いだします。いつもありがとう。


マッサージとは、
学び始めることは出来るが、決して学び終えることのない
なにかだ。

それは、何処までも続いていく・・・
経験は深まり、高まり続けていく。

それは、最も繊細なアート・・・ 技術の一つだ。

テクニックの成熟度が問題なのではない。
それ以上に愛が問われる。

まずテクニックを学んでごらん。

学び終えたなら、
テクニックを忘れ去ってしまいなさい。

そして、ただ感じ、
感じるままに動いてごらん。

マッサージを深く学んでいけば、
その90%のワークは、愛によって為され、
10%はテクニックによって為される。

ただ触れること、
愛を込めて触れることで、
身体の中の何かがくつろぐ。

その人を愛し、慈悲を感じるならば・・・

相手の究極の価値を感じるのなら・・・

その人を正さなくてはならない 機械のように
扱うのではなく、
とてつもなく価値のあるエネルギーとして
扱うならば・・・

その人があなたを信頼してくれ、
自身のエネルギーと戯れるのを許してくれたことに
感謝の念を覚えるならば・・・

あなたは、次第に
オルガンを奏でているかのように
感じられるようになる。

その人の 身体全体がオルガンの鍵盤となり、
その身体の中にハーモニーが築かれていくのを
あなたは感じるだろう。

そして、その人ばかりが癒されるのではない。
・・・あなたも、また癒されるのだ。

マッサージは、この世に必要とされている。

というのも、
この世から愛が消えてしまったからだ。

かつては、愛する人が触れるだけで、充分だった。

母親は子供に触れ、その身体と戯れた、
それはマッサージだった。

夫は妻の身体と戯れた、
それはマッサージだった。

それだけで充分以上だった。
そこには、心からのくつろぎと愛があった。

しかし、こうしたものは
この世から消えてしまった。

次第に、何処に触れたら良いのか、
どう触れたら、
どのくらいの強さで触れたら良いのか・・・・

人は忘れてしまった。

事実、触れることは
最も忘れられてしまった<言語>の一つだ。

触れることは
ぎこちないものになってしまった。

何故なら、いわゆる宗教家によって、
正にその言葉自体が汚されてしまったからだ。

彼らは「触れる」という言葉に、性的な色合いをもたせた。

その言葉は、
性的なものになってしまった。

こうして、人々は
<触れられること>を恐れるようになった。

誰もが、
許可することなしに、誰からも触れられることのないように
注意している。

そして今や、西洋では
これと対極をなすものごとが起きている。

「触れること」やマッサージが
セックスそのものになってしまったのだ。

今やマッサージは、
セックスを覆う単なる表紙、包みになってしまった。

だが、実際には
「触れること」やマッサージは
性的なものなどではない。

それは愛の機能だ。

愛がその高みから落ちてしまえば、
それはセックスになり、
醜悪なものになってしまう。

だからこそ、
祈りに満ちていなければならないのだ。

人の身体に触れる時には、
あたかも神その人自身が目の前に横たわっていて、
あなたは神に仕えているかのように
祈りに満ちていなければならない。

全てのエネルギーと共に流れてごらん。

そして、身体が流れ、漂い、
エネルギーが新たなハーモニーを築くのを
目の当たりにすれば、
今までに感じたこともない程の喜びが感じられるだろう・・・

あなたは、深い瞑想の内へ落ちていく。

マッサージをしている時は、マッサージだけすること。
・・・他のことを考えてはいけない、
それは邪魔になる。

指や手の内に、
あなたの全存在、魂が存在するかのように
「ありなさい」。

マッサージを
単なる身体に「触れること」にしては、駄目だ。

魂の全てが相手の身体の中に入り、貫くことで、
深奥の「もつれ」が解放されるのだ。

そして、何より
「遊ぶ」ようにして行うことだ。

仕事にしては 駄目だ、
ゲームのように、楽しんでするのだ。

笑ってごらん、
そして相手も笑わせてごらん。

「Hammer On The Rock by Osho」より抜粋


サイキックマッサージのセッションを再開しました(ブログ記事)
サイキックマッサージとは(スタジオウーヌスHP)

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サイキックマッサージ再開

サイキックマッサージのセッションを再開します。

何人もの方からリクエストをいただいていました。しばらくこのセッションはお休みしていましたが、今、タイミングの気がして、
サイキックマッサージのセッションを再開することにしました。

実はすでにご予約はいただいていまして、わくわくしています。

いままで受けたことがある方とはうれしい再会ができれば、そして初めましての方とは新しい出会いの場面です。


サイキックマッサージはマルガにとってとても大切なものです。
ここから得たものがほんとにどれほどあるかわからないほど。

自分とつながること、だれかと出会うこと、
だれもが存在に愛されていまここにいること、そのひとそれぞれの美しさ、

トレーニングを通して、セッションを通してたくさん体験して知りました。



ひとは自分自身の美しさを自分で体験したなら、人生は大きく変わる

これはわたしにとって真実です。
わたし自身がそうでしたから。


わたしはその体験をサイキックマッサージを通して知りました。
だからみなさんにも是非サイキックマッサージを体験してほしい。



美しさを知るというのは、わたしたち自身がありのままで在ることの歓びをあじわうということ。

世間でいう美しさの基準から離れて、ああ、わたしはこれでよかったんだと心も身体も安堵し、内からわいてくる光を隠すのをやめて、自分として生きる。

知ったつもりでいた自分という存在を今までとはちがうところから見て感じて、驚くかもしれません。
はじめて対面するような、あるいは再会のように懐かしくて泣けるかもしれない。
なんて尊く美しい存在。 ほんとの姿。



セッションを受けることってほんとにいい助けになるんです。
いつもくっつきすぎて見えないものを観れるいい機会。スペースって大事。
このセッションは自分を思い出していくためのサポートになるでしょう。


サイキックマッサージってどんなことをするのか。
セッションの基本的な流れとしては、まずはお話をうかがいます。
その後、マッサージテーブルに横になっていただいてチャクラと男性性女性性のエナジーリーディングをします。
そしてそこからマッサージをしていきます。
エナジーリーディングをするのは、マッサージでどこから触れるかなど、セッションのおおまかな流れを見つけるためです。

セッション全体の時間はおおよそ1時間半です。長くなったり短くなったりする場合がありますが、時間に関係なく、
そのセッションにおいてあなたにとって今必要なことはすべて行われます。


見つけられるのを待っている場所があなたの中にあるかもしれません。

セッションの場でお会いできるのを楽しみにしています。



★サイキックマッサージセッション 15.000yen

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続けること、流れに沿うこと

寒くなってきて、あたたかいものが有り難くなってきた。
おでん、おふろ、お布団・・。
寒いからこそのおいしさ気持ちよさ。

身体があったまるってなんて気持ちいいんだーって改めて感じれる季節。
身体があたたまると気持ちも穏やかに心地よくなる、つながりの実感。

季節によって身体はほんとに変わるなー。
1年の季節の移り変わりと、わたしという命の動き。
それは今回の肉体がはじまって終わるまでの一生の移り変わりという季節。

この両方の季節がうまい具合に働いて自分も地球もすべてのいのちが今あるんだろうとおもう。そしてそれをより活かすのは自分が自分とどうつながっているかなんだろうな。


ダイナミック瞑想を毎朝続けてひと月半ほど。
秋分辺りからはじめて今日は立冬。冬へ入った。

毎朝続けていることがあるからこそ、季節の変化と身体の変化のリンクがよりわかってきたような気がする。

ずっと同じことをし続けることは、わたしにとってそれほど重要じゃないかもしれない。
いまここの流れを感じてそれに沿うことの方が大事だ。

そのサインはどこからきている?
マインド?あまりに納得する巧妙なトラップではない?それとも身体?ハート?


そしてもひとつ大切なことは、続けることと流れと共にあることは極ではないから。いろいろなことにおいてどっちか一方だけ選ぼうとするのはなんなんだろうか。

気づいていよう。

最近、wifiくんの調子わるくてストレス。彼も変化のときなのかな。そんなときはなんやかんやするよりあったまった方がいいですよ。


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それもほんの一部分。

たとえばだれかに嫉妬を感じるとき、そのひとの一部、いま見えてる(と思ってる)ものだけに意識が向く。

自分が欲しいものを相手が持っているから、自分は欲しくないのに自分は持っててそれを相手は持ってないから、それが苦しくて嫉妬する。

嫉妬してるときって、他の感情を感じてるときもそうだけど、ほんとにいろんなことが見えない。
嫉妬って苦しいんだ。
ちょっとでも感じたくないほどに強烈なもので、もういっぱいいっぱいになる。
経験したことがあるひとは知ってる。

嫉妬するなんて醜いって思ってるかな。けれども、
ああ今わたし嫉妬してるなって気づくだけで、それでもう十分じゃないかとおもうんだよね。

強烈な感情を感じたことで自分を判断しないで。
自分を責めれば責めるほど、嫉妬からは離れられない。
それを感じてる自分も自分という存在のほんの一部分だし。(一部分ですらないかもしらん)

なにを感じても感じなくても劣った者じゃないし、もしそんなことを価値基準にしてるならちょっとそれ厳しくないかね?

そして、その今起こってる感情はなにを思い出せと言ってる?

そのひとの全体を感じたとき、それまで感じていたものが変化する。
そのひとの全体を感じるとは、自分がそのひとについて見えていないものも想像してみるということ。

想像ってファンタジーだし・・って決めつけるともったいない。
想像ってすっごいパワーだから!だって嫉妬も想像からきたわけだし。

いま自分の目にどう映っていようが、
それはほんの一部かもしれない、一部ですらないかもしれない、
そんなふうな観方はわたしにあなたに世界ぜんぶにやさしいのではないかしら。


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あっちはこっち

ひとに好かれたいと思ってる、
あんなヤツに嫌われたっていいやって思ってる、
どっちもおんなじ。

あっち側かこっち側かっていうだけ。
西か東か、北か南かみたいな?いえ、ちがう。


あっちとこっちは反対側ではなく、同じところ同じもの。


そうやって極を行き来してることにうんざりしたら瞑想と出会うのかもな。



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足す、引く

なにに手を出してもこれじゃない・・と思うときがある。

家事をしていても、文章を書こうとしていても、気が散って、楽しくない。

でも余計に探してしまう。

あれだったら、もしかしてこれだったら・・・次々と。

なにかをしたいんかな。

なにかしないとあかんと思ってるのかな。



楽しいっていうのは、そこにすべてが注がれてるってことなのかもしれないな。

いろんなものが含まれてる。

工夫、自由、難しさ、集中、ひろがり、行き止まり、
体の感覚、ハートの感覚、冒険とか、

そんなものが混ざって楽しいって感じる。


なにかわからないけど、なにかを、探しているとき、

そんな時はちょっとだけ、座って目を閉じてみる。

少しの時間、探すのをやめてみる。

ずっとじゃなく、一旦。



いらないものがあるかもしれない。

なにもないと思っていたけど、

なにかを足そうとしていたけれど。

足すとき、引くとき。


必要じゃないもの、わたしのものじゃないもの、手放そう、返そう。

手のひらひろげて。

なにをどこへ返すのか知らなくても。

宇宙を信頼してみるか。

2016-03-12記 加筆修正

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くつろぎ、三位一体

寛ぐのがわたしたちにとってなぜ難しいのか。
寛ぐというのは簡単にいうと、無駄な力が無く穏やかで中心にいるような状態。ボーっとしたのは寛ぎとは別のもの、寛いでいるとき意識はクリア。

わりと多くのひとが緊張があることに気づかない。いつの間にか身体に力が入ってる。ちょっとしたことで身体は緊張するしね。緊張が当たり前の状態になってるなら、それは気づくのは難しい。


気づくというのは距離・スペースがいる。そこから離れないと見えない。

まず身体をゆるめるために、身体を締めつけるような物を着ないとか、普段の生活の環境を整えることはとても有効。
身体に意識が向きにくい人ほど、締めつけ感のある下着を着けてるようにおもう。
ブラジャーやショーツ、パンストのゴムが身体を圧迫してる。
本人はそれが普通だから気にならない。
緩んでちゃあ生きていけないんだよ、という無意識の怖れもあるのかな。
だから身に着ける物で自分を縛って、ケツをたたく。何者かになれ、もっと頑張れと。
それに慣れすぎてて苦しいとか窮屈と感じないのかもしれない。
感じてるけどやめられないのかもしれない。

で、このケツをたたいているのはマインド。思考やアタマ。
マインド重視のひとはマインドが王様で身体はその下僕となってる。
だから緩むことができない。いや、緩みたくない!ってかんじ。
いつもON、身体の声なんて聴いてたら計画がすすまないからね。


身体やマインドあるいは心が緩んでくると、締めつけのある下着は着けることができなくなる。不快だから。シンプル。
そして締めつけない心地よい下着を身に着けはじめると、身体やマインドは変わっていく。
どちらからでもいける。


寛ぎは身体とマインドの両方が手をつなぐことで起こる。


マインドが王様で身体はその下僕という関係性の中では寛ぎはこない。
マインドと身体がお互いが仲間だと知ること。
その状態で、元々わたしたちにある寛ぎが顔を出す。

身体を道具にしてはいけない。
身体は神殿。魂が降りてこれる場所。
この神殿がなければわたしたちのこの人生のなにもあじわえない。
すべての存在している意図をもう一度思い出して。

寛ぐというのは身体とマインドとそして魂が、ひとつのスペースのそれぞれのいるべき場所にいてそれぞれの真の力を発揮しているということ。
三位一体。
身体は身体の、マインドはマインドの最大限の力の出し方を。
その道のプロフェッショナルがその道を究めて、それが協力したとしたら。
それは最強。寛ぎとはそんなことなんじゃないか、と。


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ドント ビー シャイ

美しさ、をすごくリスペクトしてる。とっても大切にしてる。

それはすべてのもの・ことに在る。

それを才能・良さというかもしれない、徳というひともいるだろうし、クセがあるといって顔をしかめることもあるかもしれない、光とよぶひともいる。

そしてそれは五感で感じられる。もちろんそれ以外の感覚でも。

形がなくてもあっても
はっきりと
見れる、嗅げる、触れる、味わう、聴ける。


そして美しさはそのもの独自のもの、オリジナルだ。


同じ言葉であらわすかもしれないけど、同じ美しさはない。
見る者が感じる美しさと、見られるモノの美しさは同じではないとおもう。


美しさは主観的だ。主観はうそでも思い込みでもない。
客観的な視点だけを尊重しすぎた結果は・・・それはこれからも続けたい人たちにおまかせしよう。
わたしたちがやらなくてもいい。


美しさに出会いたくて、触れたくて、わたしはここにいるなっておもう。
美しさに触れることと感動することはわたしには同じ意味の言葉。
それを見つけるのが好きで、それを伝えたくて、こうしてる。


美しさは特別な場所、ひとにあるんじゃなくて、
あなたの中にある。

あなたの美しさを
わたしに
世界に
恥ずかしがらずに
見せてくださいな。

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いい匂いとどけ

はじまりへの旅、という映画を観た。

いい映画だった。
観た後、なにかが残っててじんわり振動してるかんじ。


興味深い(interesting)と言うな、具体的に話せ、というのはこの映画の中のセリフ。
本の感想を求められたときの場面にそのセリフが出てくる。
興味深いという言葉でごまかさずにちゃんと自分が感じたことを話してごらん、というようなかんじでここでは使われてる。


わたしも時々使ってるな。興味深いって。

感想って、感じたこと想ったことを言葉にすることだけど、感じたことって言葉にすると矛盾がでてくる。うまく言えない。
それは上手に言えないという意味ではなく、感じたままをすべて伝えることはむずかしい。感じることは距離も空間もなにも限りがないから。

でもそれでも言葉にしてみるのは挑戦したくなる。限られた中でどれを選択してどう表すことができるか。文字になにをこめるのか。

だれかの文章を読んでると、そのひとを感じられる。面と向かって話すのとはちがうところを感じられたりする。
だからこの文章もわたしの匂いがするんだろう。
どんな匂いであれ、届いていればうれしい。
いや、いい匂いでありますように。

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