触れ合わないように

わたしたちは触れ合わないようにするのにとても慣れてる。


それはこの今の状況でそうなったのではない。そのずっと前から。
ほんとに小さい頃か、思春期か、いつからなのか忘れるくらい前から。
だから今の距離を保とうとする状況を、とてもホッとしてるひともいるかもしれない。




触れ合わないように、というのは、
感じないように、ということ。



だれかが困っていても、
言葉をかけること、手を差し伸べることがとても難しい。
そのひとの痛みを感じることがこわい。


自分が苦しくても、そのまま苦しいと言えない。
そう言うと、弱いところを見せると、なぜか負けてしまうような気がして。
相手にというより、もう自分が保てなくなりそうで。




触れ合うことをゆるさなければ、痛みを感じることもない。
けど、それが痛みだ。


感受性が強いというのは、本人にとって楽なことじゃない。
社会にいることが、どれほど大変なことだったか。


その大変さをくぐり抜けるため、
感じるひとたちは、感じないようにすることにした。


触れ合わないように。
だれにも、もちろん自分にも。


目を閉じて、息を最小限にして、耳をふさいで、体をぎゅっと固くして。
油断してはいけない。
すべての感覚、全身を固いコルセットで締め続けなきゃ。




これはわたしの話で、だれかの話でもある。

セッションに来られるのはこうやって生きてきたひとたちがとても多い。
感じないようにして生きたことで守ってきたはずなのに、
なぜか苦しい。
好きなことがわからない、感じるってどうやったらいいのと。

古くなった生き方から脱皮するときがきたよ。
困っていないで、喜んだらいい。お祝いだから。



正解に自分を合わせることから、
感じたことを表現していくことへ。
あっち向きとこっち向きくらいに正反対。


さて、どうやって思い出していこうか。
自分の奥に隠れてる感受性を。



サイキックマッサージ
path of life セッション

スタジオウーヌスHP

いろんなもの持ってる

言えなかった言葉、
言ってしまった言葉、
わたしたちの中にはこれらの残骸がたくさんある。

自分を、だれかを、責める気持ち。


伝わらなかった、
伝わった、

自分が伝えたい想いではないものが届くこともある。

わかってほしかった。




勇気が出せなかったことも、
みんなから間違ってると言われたことも、
誤解をされたままのことも、
思い出して苦しくなる出来事も、

ぜんぶ、Deleteキーをタンッと押して終わったら。




わたしはそんなんイヤだ。

いろんなものを持ってる自分でいいよ。


なんでもかんでも、
クリアに、浄化して、消毒して、って、

なにを怖れているのだろう。





節分。
お昼ころ、歩こうと外へ出たら、春のにおい。


明日は立春。
暦ってほんとに賢い。



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スーホの白い馬

天才か反逆者か
https://banksyexhibition.jp/

楽しみにしてた。 名古屋でも、もうすぐはじまるバンクシー展。



スーホの白い馬という絵本を知ってる?
この本にまつわる思い出。


わたしには甥がいる。
その中のひとりの甥が小学校低学年のころ、
この本が課題図書として宿題で出された。

彼はこの本を読んで号泣して、ひどい、悲しくて読めないと言って、途中から読めなくなってしまったという話を思い出した。

感情がすごく豊かで、ユニークな子。あの感受性は今もつかってるのかな。


この本、わたしも読んでみた。
泣いた。そりゃ泣く。わかる。悲しい。
読みながら、甥のことも思い出して余計に泣けた。

彼らの小さい頃のたくさんの場面を覚えてる。




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へそが溶けた話

去年の6月、実家へ帰ったときに母から渡された。
「これ、もうあんたが持っとき」

へその緒だった。

母はこれをしばらく前から渡すつもりだったらしく準備してた。


なんでへその緒??
突然で驚いて尋ねたけれど、 あんたのものだから、とだけ。


なんか意味ありげやなー。シンボリックなかんじ。




そこから一か月ほど経ったころ、突然にへそが痒くなりだした。

朝起きると、おそらく夜中のうちに出てた膿のようなものが固まってガビガビになってる。
へそがそれで満タンになってる!
(想像力あふれるひとたち、気持ち悪かったらごめん)


そのへそから出た膿のようなもので、へその周り全体が炎症をおこして真っ赤。
それもまた痒い。
へその内側も周りも痒 い。
腫れあがってるからへその形まで変わってるやん。


めっちゃ昔に聞いた友だちがへそのバイキンが入って大変なことになった話、
ギリが話してた、へそが無くなったひとの話を思い出す。
こわいよー。



原因がわからない。 なにが起こってる?
へその緒がわたしに戻ってきたことが関係してることはわかる。


こわいし痒いけど、病院に行って炎症を無理に止められたくない。
出たがってるものがあるのなら出るのを手伝いたい。
デトックスであってほしい。へそよ、無事でいておくれ。


あんなにもおへそを日に何度も見ることなんて無かったというぐらい観察してた。今日もこんなにへそと連発してる。

毎日一進一退を繰り返してるようなへそ。
あかんと思いつつ、つい触ってしまうし。



そして12月に入り、
新しいへそ完成!



長かったな。
今でも気になって時々見てしまう。




2016年の夏、サイキックマッサージの創始者サガプリヤのイタリアでのグループに参加した。
わたしは大きな課題を持って日本に帰ってきた。

課題という言い方をしたけど、その時そんなふうには思ってない。
わたしはあまりにショックで帰国後悶絶した。受け容れられなかった。


この話はわたしの女性性の話で、いつかのタイミングでシェアしたいな。



そこから約4年経ち、ちょうど去年の夏ごろ、わたしはそのときの課題が、ある段階にきたような気がしてた。どう言っていいのか、課題が課題ではなくなったっていうのか。

それと同時期にへその緒が母から渡され、へそが生まれ変わりの準備をはじめた。



へそがぐちゅぐちゅいわなくなってきた頃、わたしはあることがきっかけで母へ手紙を書いた。
母へ渡すつもりはなかったけど、ただ自分が母へ言えなかったことを言うために。1通書いて、また書きたくなってもう1通書いた。
書いてよかった。

それが12月。


それから少しして、へそが完成した。




こないだ、内なる女性性の話を書いたけど、このへその話もそことつながってる、たぶん。
わたしの女性性がすべて癒されたからあの記事を書いたんじゃない。
なにかを教えようと思ってここがあるわけじゃなくて。まあ、時々は押しつけがましいけれど。


みんなといろんなことを共有したい。

体験してもない正解の話じゃなくて。マインドの都合のええ話じゃなくて。

自分が今感じてること、失敗したこと、しあわせーとか、自分たちひとりひとりが持ってる美しさ・パワーを思い出す方法とか。


それは役に立つかどうかはわからん。実は、役に立つことを書こうと思うと言葉が出てこなくて書けない。


マルガという媒体を通して、感じたこと、思ったこと、体験したこと、
それを素直に表現することがわたしのよろこびでチャレンジ。

この表現というチャレンジがわたしは大好きなのだ。


へその話、読んでくれてありがとう。



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自分に集中

自分に集中する
今わたしが日常の中でしていること。

自分に熱中する
までいければいいなという野望もあり、笑




自分に集中すること、いますごく大事だなと感じる。
いまに限らず多分いつもそれはそうなんだろうけど、でもいまわたしは自分に集中してる。

いまその時だ、自分に耳を澄ませ、すべてを見ろ、自分を満たせ、自分をしっかりと知れ、という感覚。




わたしたちはひとの役に立てたとき、とても気分がいい。
相手が喜んでくれたらなおさら。
子どもだったわたしは母親の喜ぶ顔がうれしかった。
それはその原型のようにおもう。

ありがとうと言われたときはうれしい。

けれど、それが過ぎてしまうとおかしなことになってくる。
自分を切り売りしてまでもひとの役に立とうとする。
その経験もよかったけれどね。もういいね。


ありがとうという言葉は魔法にも麻薬にもなるなとおもう。


どんな言葉であっても、それがどこから出てきたのか、自分の言葉を知っていたい。 そしてどんなところから出た言葉だとしても、自分の言葉を知ってたい。

醜いとか美しいとか、どうでも大丈夫。わたしは全体。




ひとの世話を焼くこと、頼まれもしないのに助言すること、だれかを心配すること、起こったことにこだわり続けること、メールの送信返信を過度に気に掛けること、おもしろくもないのについやってること、 そうゆうことから距離をもつ。

無意識にしているから、意識してみるとみえてくる。なにげなくやってることに結構なエネルギーを使ってる。
そんなことをやめるだけ。心配なんて相手にとっては迷惑な話だから。そこへ費やしてたエネルギーを自分につかう。





自分に集中してると、いい気分でいること満たされてる感覚、不満のときの状態を知ってるってすごく重要だ。
それをより知っていくこと自体が集中してるということでもあるかな。


そのいい気分とか、満ちてるとか・・・塩梅がある。
なにかをごまかすためのいい気分、いやなことを避けるための満足は後で必ず不満になる。

自分のプロセスを経たからこそ知ってる、自分のええ塩梅。

料理の塩加減も、だいたいとか、なんとなくとか、経験したからつかんだ自分にとってのおいしいの加減ってあるやん。 そうゆうの。



自分にとって大切なことを大切にして優先する。
そうゆうことがいまのわたしの集中です。
ひとが好きだからこそ、
大切なひとたちと本当に関わるためにも自分に集中することが必要。

自分に集中してます。
けど、だからこそ、
あなたからの呼びかけにはまっすぐ真剣にこたえるからね!

楽しいよ、集中。



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どこまでもくつろぎがやってくる

身体がくつろいでいること、
この人生にくつろいでいること、
そこには信頼がある。


ひとことでリラックスといっても、なかなかむずかしいな、
と自分の体験やいろんな方に触れさせてもらったことから感じてる。


リラックス・くつろぎというのは、プレゼンス。



先週のギリのニュートラルのWSで、セラピスト側としてパートナーになった方の身体に触れさせてもらった。クライアント側として触れてもらった。


ニュートラルであるとき、身体はくつろいでいる。
くつろぎとは力が抜けているということもあるが、入るべきところには力強さがあり、無駄な力や不要なエネルギーを使わずに真ん中にいる状態。わたしの体験ではこんなかんじ。


今回の中でとても印象に残ったのは、
くつろいでもくつろいでもくつろぎが起こっていったこと。
それは別のほうから見れば、アタマの中身体中に気づいていない緊張があって、ゆったりしたスペースで安心していれば、それらが抜けていくことが可能だということ。

ただここに今にいるとき、いつまでもどこまでもくつろぎがやってくる、深まっていく。





去年の夏、奄美大島の南に位置する加計呂麻島へ行った。
空港から高速艇の出ている港まで島を縦断する。
空港そばでレンタカーを借りた。 全員で4人。運転できるのはマルガとギリ。 軽い気持ちでわたしは運転することにした。 お天気もいいかんじ。

進んでいくうちに雨が降りだし、みるみる強くなる。台風がやってきてたから。
昼間だけどライトはつけっぱなし。ワイパーも最大。
雨も風もすごくて少し先しか見えない。所々で水が洪水みたいに大暴れ。風がすごくてハンドルをもってかれそうになる。


だけど実はわたしにとっての難関はトンネル。
閉所が怖いわたしはとにかくトンネルが・・。

怖いにフォーカスすると一瞬で発狂しそうなぐらい。なんとかいろんなことを駆使して毎回しのぐ。 もちろんこの時もトンネルが怖いなんて話は一切しない。


奄美大島の南の方は自然がたくさん残っている。だからトンネルがものすごく多い。出たと思ったらまたすぐ現れる。



ものすごい緊張とプレッシャー。
自分はみんなの命を預かってるんだからしっかり運転しなきゃ、という考えになってた。

力が入ってるときって考え方まで狭まっているから、 その縮こまったマインドだけでどうこうしようとする。


命はわたしが預かってるんじゃなくて、存在が護ってるんだよ。
みんなの命はみんなのハイアーセルフが護ってるのです。
正気に戻った。


でもあるひとにとってはそれは正気ではないだろうね。自分がなんとかしなくちゃ大変なことになる。力を抜いてはいけないと。




「自分」がしようとすることでじゃまになることがある。
それはセッションのヒーリングの場でも、表現でも、問題解決でも。



いまここにいる安心を感じて、
力を抜いて、
宇宙の知恵が自分を通して起こることを信頼する。
すべてにとって最善が起こることを。

くつろぐってそうゆうプロセスでもある。



くつろいでる・リラックスしてるときに最大のポテンシャルが発揮されると言われるのはそうゆうことだとおもう。

ポテンシャルとはひとそれぞれが持ってるというよりも、だれもがアクセス可能な宇宙のことだ。

リラックスというツールをつかえば自動的に宇宙につながる。
すると最善最高のものが顕れる。

わたしたちがどれだけリラックスして信頼があるかということをポテンシャルというのかもしれない。

宇宙は限りがない。




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感じたとおり。

今日の名古屋はくもってる。空はグレー。
だけど、なんかとってもクリアなエナジーを朝から感じてる。



明日は新月。それも関係してるのかな。

クリアで気持ちよくて理由もなくワクワクしてて、
新しい、はじまり、スタートってかんじが濃ゆい。



外から家に帰ったら、うれしい便りが届いていて、
久しぶりの友人にも会えて、
やっぱり感じたとおりのいい日だ。



最近、自分の奥にあって気づかなかった思い込みとか、この人生のはじまりから、もしかしたら何世もにわたってー魂として、家系・血としてー持ち続けて受け継いできたものが、いくつも姿をあらわしてる。
それはこの人生において、わたしの振る舞い、言動、すべてに関わってきた。


その思い込みたちは今まで全く気付いてなかったというよりも、前から知っていたもの。気付けば癒えるというけれど、やはりそこにはなにかしらのプロセスが必要。


気付いたとき、そしてそこからの過程で段階を経るかのように意識にしっかりと上がり、身体から抜けていく。

こうやってみれば、最初の気づきと思ってたものは、あ、全然わかってなかったわとわかる。



頭だけでは今までのルートからは出れない。
そこにはボディでの体験がいる。
ボディだけの体験でも足りない。
意識の使い方も重要。
頭もボディも意識もその全部に覚めていること。
おおげさに聞こえたかもしれないけど、すごくシンプルなこと。


自分に戻っていくって、そうゆう小さなことを丁寧にしていくことで起こる。
難しいテクニックとか特別なメソッドでもいいけど、
もっと簡単に起こってもいいよね。


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真剣にほめろ

自分のケアをするというのはすごくたいせつ。
自分で自分のケアをしていないと、ひとにそれを求める。

ほめてー、みとめてー。
親に、セラピストに、クライアントに、先生に、上司に、部下に、恋人に、友人に・・・。

自分のことをだれかから認めてもらおう褒めてもらおうと無意識に行動する。



そして自分が思ったような言動がそのひとたちからもらえないとごねる。


ごねてる理由は正当だと思ってる。
自分が認めてもらえなかったからだとは気づきにくい。
というか、自分がごねてるなんて思ってもない。
すべてはあいてのせい。


ね、耳が痛い話ですけど。

多くのひとが体験したことあるんじゃないかな。



もし自分がごねてることに気づいたら、
愛情不足のサインがピコピコしてたら、

自分を褒めてあげるのだ。
ギューしてチューしてあげるんだ。

自分のいいところ見つけて褒める。

適当にどこでもいいから褒めるんじゃなくて、
真剣にいいところを見つけて褒める!


思ってもないこと感じてもないことで褒めたらあきません。
自分についたうそは即効でばれますから。
そうすると、自分をイヤになってしまうかもしれない。



ひとから認められるようにするのってすごく難しいよね。
相手がなにを褒めて認めてくれるかはわからないから。



認めて褒めてという気持ち。
わたしはいい評価をもらったり褒められたらすごくうれしい。
そして認められたいとも思ってる。(なにに?だれに???)


でもそれらがあまりに大きくなるとむなしい。
自分の考える力や感じる能力がどんどん失くなっていく。


みんなそれぞれの感じたことを表現してるだけ。評価もそのひとつ。



自分の美しさを知る。
それを自分で見つける。
するとそれはあなたの内側にアンパンマンを見つけたようなものです。



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リソースを見つけた

一昨日はギリのニュートラルのワークショップをウーヌスで開催しました。
わたしも一緒に楽しませてもらいましたよん。


グループの中でリソースの話が出た。


わたしは毎日しっかり歩くようにしていて、それはリフレッシュ法でもある。



今日歩いていて、自分にとってのリソースをひとつ見つけた。



わたしにとって、リソースとは元気の素のようなもの。
それに触れると、それを思い出すだけで、ぶわーっとハートが拡がる感覚や、ハラがすわるかんじとか、よっしゃ!って元気がわいたり、自分が愛だと思い出す。



で、今日歩きながらあるひとの顔が浮かんだ。
あ、このひとはわたしのリソースだ!

今まで全然気づいてなかった。でも思い出す度に、ふっと身体が緩みホッと胸が温かくなってたわ。


そのひとが存在してることがうれしい、わたしにとってそんな存在。出会えてよかったな、ああ美しいなってそのひとを感じてたら、涙がでた。




まだ気づいてないものも、自分はたくさんのリソースがあるんだろうとおもう。それは自分が愛されてるってことだ。
自分が大切だと感じるひとたちがいる、自分が愛するひとたちがいる、それこそが自分が愛されているということ。


そのひとの肉体があろうが、もう無くなっていたとしてもどちらでもいい。
肉体として会えないということはどうでもいいことだなって、今日はそう感じた。そのひとの存在があるだけでいい。

もっと深いところでのつながりを感じて、そしたら別れを恐れなくてもいいんだって気づいて、「大丈夫」を全身で感じた。



自分が愛だと思い出せる存在がリソースだと言ったけど、自分にとってリソースも愛。
それは愛だから形を変えても本質は変わらない。




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わかりあえないことがギフトー内なる女性性

母親とはわかりあえないもの、
それを理解したときにわたしはすごく楽になった。


理解しあうこと、はとてもいいことだとおもう。
それが起こればすごくうれしいし素晴らしい。

けど、理解しあうことを求めた途端、理想とした途端から、固くて息苦しくなる。



母親とわかりあえないからこそ、結果として、自分の人生を生きる。

母親とは全くちがう考え方だから、したいことを反対されるから、したいことをしてくれないから、母親の理想を押し付けられるから 、

反抗が起こる。

わたしはお母さんとはちがう!
こうやって独立に向けて準備がはじまっていく。



お空の上で今回の人生を決めてくるとき、母親には自分とは理解しあえない部分をもってるひとを選んできてるんじゃないかなっておもうんだよね。 そうやって協力してもらったんだろうなって。
わかりあえないことは、母からの愛だったなと。
母が理解できない生き方はわたしたちから母への愛。



多くのひとは内側の女性性が母親のままだ。
母親も内なる女性性は祖母のまま。
それは綿々と女性性を受け継いでいるということ。
家系のなにかを繰り返しているということ。


肉体として似ていることはわかる。 でも口ぐせ、態度、考え方、生き方が似てるというのは、自然なこととはおもえない。



肉体のルーツとして母親がいる。
魂としては?




必ず人生の中で母親と自分を切り離すときがくる。 最初はへその緒を切るとき。肉体を離す。 けれど、エネルギー体としては切り離されていない。


結婚したから、仲がいいから、仲が悪いから、距離をとったから、
母親と自分が離れてるかどうかは、これらとは関係ない。

物理的な距離をもつことはひとつのプロセスで、それがきっかけになることはある。
けどいくつになっても母親と離れてないひとはわんさかといる。
年齢とか職業とか関係ない。



母親を自分の内側から追い出さないといけない。
一度も離れたことがないままで、どうやってそのひとを認識するの?
どうやって自分がわかるの?




母親からの本当の独立は簡単だとはおもわない。
でもやらなくちゃいけない。
みんながやらなくちゃいけないと強くそうおもう。


自分を生きること。
それがこの肉体をもらったことの母親へのお礼だ。
母だけでなく、祖母、血の繋がりも超えた女たちへの感謝とリスペクト。
あなたのそのプロセスが過去現在未来の女たちを癒す。




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