わたしたちは触れ合わないようにするのにとても慣れてる。
それはこの今の状況でそうなったのではない。そのずっと前から。
ほんとに小さい頃か、思春期か、いつからなのか忘れるくらい前から。
だから今の距離を保とうとする状況を、とてもホッとしてるひともいるかもしれない。
触れ合わないように、というのは、
感じないように、ということ。
だれかが困っていても、
言葉をかけること、手を差し伸べることがとても難しい。
そのひとの痛みを感じることがこわい。
自分が苦しくても、そのまま苦しいと言えない。
そう言うと、弱いところを見せると、なぜか負けてしまうような気がして。
相手にというより、もう自分が保てなくなりそうで。
触れ合うことをゆるさなければ、痛みを感じることもない。
けど、それが痛みだ。
感受性が強いというのは、本人にとって楽なことじゃない。
社会にいることが、どれほど大変なことだったか。
その大変さをくぐり抜けるため、
感じるひとたちは、感じないようにすることにした。
触れ合わないように。
だれにも、もちろん自分にも。
目を閉じて、息を最小限にして、耳をふさいで、体をぎゅっと固くして。
油断してはいけない。
すべての感覚、全身を固いコルセットで締め続けなきゃ。
これはわたしの話で、だれかの話でもある。
セッションに来られるのはこうやって生きてきたひとたちがとても多い。
感じないようにして生きたことで守ってきたはずなのに、
なぜか苦しい。
好きなことがわからない、感じるってどうやったらいいのと。
古くなった生き方から脱皮するときがきたよ。
困っていないで、喜んだらいい。お祝いだから。
正解に自分を合わせることから、
感じたことを表現していくことへ。
あっち向きとこっち向きくらいに正反対。
さて、どうやって思い出していこうか。
自分の奥に隠れてる感受性を。