毎日見てる顔なのに、あれ?このひとだれだっけ・・ってなるような、
初めてそのものと出合ったような感覚が時々やってくるんだけど。
自分ではその人のことをよく知ってるとか解ってるとか思ってるけど、本当には理解してない。
そうおもってる自分、解ってないことを知ってる自分がいることは、わたしにとっては大事なことのように感じてる。
それに気づかないと、幻想の世界だけにいることになるから。
幻想の世界とは無意識とかルーティンとか。
自分がいつも自動操縦で動いてるとしたら・・想像したらこわくない?生きてないんだよ。
みんながマイワールドにいるって知ることが、本当の意味でつながりが起こってくるはじまりなんじゃないかなとおもう。
わたしの知ってるあなたと、あなたはちがう存在。
わたしがわたしだとおもってるわたしと、わたしはちがう存在。
まずは、自動操縦のスイッチを切って、そのロボットからヨイショと出て、初めての空気に触れて、感じて、吸って、吐いて。
気の済むまで何度でも、その初めての空気をあじわい、
そして、鏡を見る。
ハロー、こんにちは。はじめまして!
どんなひとがうつってた?
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クリエイション
はろー!マルガです。
ちょっと喋ってたことを残したくて、ここに書く。
どんな世界を創る?
女でいれる場所で生きたい。女で生きたい。
感情は一定じゃない。泣いたり笑ったり怒ったり。感情豊か。
感覚的。身体の生理機能(内側)からも環境(外側)からも影響を受ける。敏感、繊細。
波のよう、バイオリズムとか、季節の移り変わり、四季みたいなもの。
自然とおんなっておんなじ。
女は自然。
自然に生きる。女で生きる。
波があることは、今までの社会では嫌がられてきた。波があるって一定じゃないってこと。
ずっと一定、上向き、ってそれが大切だと思わない。経済、売上がずっとずっと前年比アップ目指すって、なんかどこかおかしい。自分が生きてることはだれかの負担の上、そんなん終わらせる。
海女さんは、海に潜って見つけたもの全部持ってこないんだって。今採るもの、頂くものをちゃんと知ってる。かっこいい。
家族の中で財政つまり豊かさのキーを持ってるのは妻だっていう。妻がゴキゲンさんだったら、その家は安泰だそう。それが家族というコミュニティじゃなくて、もっと大きくとらえられたら。
人には波があるもんだってもし理解していたら、協力がうまれる。協力って力の無いところに力を貸すんじゃなくて、それぞれの力の出し処が最適ってこと。だからそれぞれの色、才能がより開いていく。
それぞれにリズムがあること、それはわかっているようで、普段の生活ではなかなか難しい。 当たり前で自然なことを、わたしたちは抑えてきたんだよな。我慢とか、薬とかを使って。だれかの良い悪いの基準に沿って。
そして自然がなにかわからなくなって。だから自然からはずれないこと大事。自然って、ただの自分。ありのまま、そのままの。自然、自分、女という言葉はおなじ意味。アイデンティティや女性性の話じゃないよ。
愛って叫んでもいい
昨日、友人が来て、今彼女が学んでることの練習として、セッションを受けた。
わたしは愛の交流をする
このために生きてるんだってことだった。
なんていうのかな、あまりにするっと身体からでてきたもんやから拍子抜けっていうのか、どこかで使い古されたようなかんじもするし、マインドがもっとすごいもん出せよみたいな欲求もあり、その時はまぁねーってかんじで。
で、友人が帰り、
それもまたさらっと、
それ、わたしずっとやってるやん、って。
セッションでも、メール送るときでも、ごはんつくってても。
あ、わたしは生きたいように、魂の願うままに、今いるんだ。
それを知った。
泣けてくる。
でもね、気づいたときは、ずっと解きたくていつもいつも探してた難しいクイズの答えが実はすでに知ってたみたいな拍子抜けしたかんじで。
新しい出会いではないけど、最近離れててすごく久しぶりに会ったような感覚で、でもそれは新たな出会いで。なぜならわたしが前とはちがうから。 わたしたちは何度もそうゆう出会いを体験してる。理解するってそうゆう出会いのようなものだと感じる。円ではなくて螺旋。まだクリアしてなかったか、まだ知らなかったのか、ではなく、深く高く広く理解が起こってるの。
愛って言葉、ずっと使いづらかった、今も。
言うのも書くのも。出そうとすると一瞬ひるむというか迷うというか。おまえなんかがそんなこと言っていいのーー?って声がどこかからきこえて。
いいの。いいんですよ、愛って言っても書いても叫んでも。
もぞもぞしたって、言葉にひるんだとしても。
おまえなんかでも、あんなヤツなんかでも。
だって、本当のことだから。愛なんだから。
出せない言葉ほど、本当はわたしたちは出したい言葉なんじゃない?
怒鳴ってる言葉の奥にある想いみたいに。
その想いの言葉を出していきたい、そしてだれかのその想いの言葉の存在を知ってあげれるといいなっておもう。
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並べてみた
ハロー、マルガです。
いま毎日スクワットしてる。今日で3日目。明日もすれば3日坊主ではなくなる。
きっかけは夢のお告げ。
夢の中で、わたしはスクワットしてて、するとどんどん第1チャクラあたりがボワー!って燃えるような感覚になっていった。で、これはすごいぞ!と感じているって内容。
朝、目が覚めてからその夢を思い出し、なんとなくピンときてそして今やってる。第1チャクラがボワーとなるかな?
12月に入っていろいろあったなぁ。
みなさんはいかがです?
鳥羽の方にアクアフローティングできる場所探しに1泊した。(プールがいまいち、プールが一番大事なのに)
女性の願いをひとつだけ叶えてくれるという石神さんという神社へお参りした。(とてもいい場所、海女さんのすごさ、海女さんのこともっと知りたい)
友だちに甘えてみた。(話聞いてーって)
長い間いろんな意味でたくさんのスペースをつかってた仕事が終わった。
あるセッションを受けた。(数か月前に予約してた、なんというタイミング、ほんとすべて最善)
すっごく心揺さぶられたドキュメンタリー映画を2つ観た。(ああ)
たくさんの人にメールをした。(あたたかい返信もらった、涙、感謝)
実家へ大掃除のお手伝いに行った。
wordpressのサーバー更新した。(ちゃんと創ろうと思いながらぐずぐずしてたら開いてから1年経ってた!)
と、出来事だけ少し書いてみた。
並べただけ。今日はこれにておしまい。
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伝えたいものは
はろー、マルガです。
20代のころ、めっちゃ好きになった人がいてね。それまでのわたしだったら信じられないくらいに一生懸命に自分の想いを伝えてた。
その人は遠く離れたところに暮らしてた。そう、これはスマホもスカイプもなかった頃の話でございます。
そんなに頻繁に会いに行くことができなくて、相手となにか約束をしたわけでも、言葉で確認しあったわけでもなかった。
それは不安だったけど、それよりもその人が好きということが、わたしにとって大事なことだった。
仕事の帰り、コインをたくさん用意して、ゆっくりと話せる国際電話のできる公衆電話によく行った。
たくさん用意したわりには、長く話せないときもしょっちゅうあって、がっくりしたり、楽しい会話をしたあとはルンルンだったし。
彼の生活の中に別の女性が登場したりして、それは悲しいんだけど、そこまで気持ちが大変になることはなかった。それよりも、わたしと彼との間で起こることにはめちゃくちゃ揺さぶられてた。一喜一憂。
手紙もよく書いた。
わたしはある時から、当たり障りのないことを書くのをやめた。きっかけはなんだったか忘れたけど、わたしの想いをちゃんと手紙にのせて送ろうって思ったんよね。
それは好きという気持ちももちろんそうだけど、ここにあなたを大切におもってる、あなたがしあわせでいることを望んでる人がいるからね!って伝えたかった。人を信用できない彼にわたしを信じてと言うことはできなかったけど、その代わりというのか、わたしはあなたがいてくれて本当に嬉しい、あなたはわたしに愛されています、ということ。
ダイレクトな表現もあれば、そうでないものもあったとおもう。けど、わたしはど真ん中にある想いをいつも手紙にのせた。
相手がそれを受けとるかどうか、どんなふうに受けとるのか、照れくささ、嫌われたらどうしよう・・
人とのコミュニケーションでは、今まで経験した痛み、怖れが出てくる。それらがそのままのそれを表現させないようにするけど、本当のことを伝えよう、とそう感じる。
あの時のわたしは人との関わりで起こった痛みを持っていなかったわけじゃない。けど痛みにごまかされないほどのものがあったんだとおもう。愛とか情熱とか真っ直ぐな気持ちとか、どんな言葉で表すかは今はあまり重要には感じなないけど。ただ、そのものたちはわたしのエッセンスで、忘れていたとしても無くならない。こうやって20年以上前の物語を書いたことで再びつながりなおす。
今、人生の切り替わりにいる。これ読んでるひとの中にもいるかな。ここに書いたことを思いだしたのは、今日ブログを書こうとしてふとなんだけど。
ブログでこうやって言葉で表現することの意図というか、なんでわたしは書いてんのかなーってしばらくずっとわからなくなってて、当たり障りのないことをいつの間にか書いて、するとほんとに書くことが面白くなくて、書くことから逃げはじめて。書くことだけじゃなくて、なんで生きてんのかなー、いつの間にか気づかんうちに生きてるふりしてたのかもしれないということにも気づき。そうしたら、思わぬ場所で人生について問いかけられ。なんで生かされてる?
あの頃彼に送った手紙の一通が、彼だけじゃなく他の人の人生にも大きく影響してたことをずっと後になって知ったことを、今朝ふと思い出した。
で、そこからあの時の自分を思い出したんだよね。
ああ、あの時のわたしは本気で人に話しかけてたなって。人と付き合うのがへたくそで失敗ばっかりしてたけど、真っ直ぐにそのままを、愛を伝えてたな。
わたしの原点。
わたしはここで愛する人に話しかけよう。仲間に語りかけよう。
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かまぼこに癒される
こないだスーパーで会計をしていたときのこと。
言われた金額をお財布から出して、レジ担当のひとに渡した。
その女性はわたしが渡した金額を確認しようとして言い間違えた、、っぽい。
ちゃんと聞いてなかったのでよくわからなかったけど、
女性は、「きゃー、やだー間違えちゃったよー」と大きな声で言って、すごく楽しそうに笑った。
その言い方がこどもみたいで可愛かった。わたしも一緒に笑った。
その時の女性の目がかまぼこみたいで、それもまた可愛かった。
少しブルーだったわたしは、その出来事とかまぼこに癒された。
かわいげがあるとか、そんな言葉があるけど、かわいげってほんと大切。無敵なんじゃない?
自然な姿
2週間のギリシャでのリトリートのあと、パリで1週間滞在して、数日前に日本へ戻ってきた。
ひと月ぶりの銭湯!ああ、たまりません。お風呂好きでよかった、と湯船につかりながらしみじみ。
銭湯ってほんとに平和なんよな。みんなそれぞれのやり方で洗ったりこすったり。みんな裸。隠したり、隠さなかったり。
大好きな場所のひとつ。
ギリシャのリトリートでアクアフローティングするビーチにはヌーディストビーチがあって。
リトリートに参加するひとの中には、それを楽しみにしてるひともいる。
ここも好きな場所のひとつ。
海の中の裸も気持ちいい。
裸は自然。わたしたちそれぞれの形。そのひとがそうである様子。
だからその人にぴったりに創られてる。あなたという存在がその姿かたちを選んできた。
その人として一番自然にできている、本来は。
だから裸から水着をつけるとおかしな気分になるんだよね。
あれ?みたいな。
自然じゃないから、違和感が出てくる。
で、なんか照れたりする。服を身に着けると社会性も一緒に着てしまうのかな。
いままで裸で子供のときみたいに遊んでたのに、いきなり距離ができてしまうかんじ。
おもしろいなって思う。
裸は気持ちいいって話。