Bodywork session ボディワークセッション

このセッションは自分自身とつながるのをサポートするボディワークセッションです。わたしたちのこの生の土台である身体からアプローチします。


養育者がこどもに触れるように、
恋人同士が戯れるように、
泣いている友人の背中にそっと手をあてるように、
触れるとは自然に起こる動き。
考えやテクニックなどは及ばず、愛が伝わっていくことのひとつ。

その温かさ・柔らかさ、力強さは、触れられたものを溶かし、変容をもたらします。

触れること、が自分自身を知る機会だと知っている人は多くありません。
毎日の生活の中で、身体とつながり、その声を聴いている人はどれだけいるでしょうか。


この身体は生きていくための単なる道具ではありません。
わたしというこの存在は肉体でも思考でも霊的な側面だけでもなく、全体。

つながれば、たくさんの知恵を惜しみなく分かち合ってくれるこの身体。

身体は表現者です。
声を出し、手拍子で音を創り、ハグで愛を表し、痛みで伝え、動きたいように自由に踊る。たましいのメッセンジャー。



触れること触れられることに怖れがわくこと、
人と関わることへの怖れもあるかもしれません。

身体は潜在意識と深くかかわっています。
皮膚は肉体の境界線。その境界を越えられたらという不安。
当然かもしれません。それがあっても大丈夫。
心地よさやいろんな感情、触れることでそこからあらわれるものがあります。


畏敬の念、それは怖れにも似たような感覚。
そのものが崇高で尊い存在であることを知っている。
わたしたちはお互いがそうゆう存在であることをきちんと知っているのです。



自分では気づかなかった心身の緊張に気づくと、余分な力がぬけていきます。
リラックスとは自分自身であることのスタート地点。


このセッションはお話をうかがうことからはじまります。
話したいと感じたことは、なんでも話してください。
話したくない時は、その感覚にしたがってその旨をお伝えください。

マッサージの決まった手順などはありません。
身体の一部だけに触れて、全身に触れないこともあります。
このセッションは直接お会いしての対面セッションです。


あなた自身のサポートとなりますよう心をこめて



セッション代金:15.000円

セッションの時間:約2時間


問い合わせ・予約は
CONTACTまで

スタジオウーヌスホームページ

ギフトー究極の癒しセッション・特別価格

普段の感謝を込めて
ギフトとしての究極の癒しのセッションが
2022年1月10日まで特別価格で提供しています。

受けていただいている方たちからのフィードバックもいただいていて、
わたしたちもハッピーです。


究極の癒しと名付けたこのセッションは、
サイキックマッサージと クラニオセイクラルバイオダイナミクスという
二つのセッションが合わさったものです。
この二つを合わせるのはとても相性がいいなと感じています。




マインドから距離をもって、肉体だけでなく、エネルギーだけでもなく、
全体として、ひとつの大きな存在として、ご自身をとらえられる時間になれば、
という想いでこのセッションを用意しました。


サイキックマッサージでは、ダイレクトに触れられることで起こる「感じる、気づく」を、
クラニオバイオダイナミクスでは、宇宙エネルギーとつながることで知る「生きてる歓び」を。

是非、じっくりとご自身をあじわいにいらしてください。



サイキックマッサージは、 セラピストが身体の左側(女性性)、右側(男性性)、7つのチャクラを見て、
それらのリーディングを含め即興で組み立てて、最善に触れていきます。
触れ方に順番や決まりはありません。
瞑想をベースにしたマッサージで、セラピストが寛ぐことでその場をまずは創っていきます。
サイキックマッサージ詳細

クラニオセイクラル・バイオダイナミクスは、
肉体の呼吸(肺呼吸)が起こる前の、原初の呼吸をサポートするセッションです。
わたしたちはひとり残らず、宇宙の呼吸(原初の呼吸)をしています。
その呼吸が止む時、わたしたちは肉体を離れます。

その呼吸は、人間だけでなくこの地球のあらゆるものを創造するエネルギー。
その呼吸を体感した時の感覚はなんとも表現しがたいもの。
愛、慈悲、歓び、そんな言葉がわいてきます。
クラニオセイクラルバイオダイナミクス詳細



慣れたとはいえ、どこか緊張を強いられている今の状況。
セッションの時間は短いかもしれませんが、
セッションが終わった後も、その余韻を感じて過ごしていただけるとおもいます。

究極の癒しー詳細ウーヌスホームページ


お会いするのを楽しみにしています。
愛と感謝をこめて
STUDIO UNUS marga & giri


予約はウーヌスまで
052-833-1623
あるいは、
問い合わせフォームより


満ちる方へ

少しの時間あるいはたくさんの時間を、
自分の興味あるものへ、喜びを感じることへ、
エネルギーをそそぐ、実際にすること。
それは充足感となる。

量ではなく、質を、
生活の中へ注いでいるから、
だから無駄に不足感に操られない。
足りないもの、無いものに目を向けすぎない。


たくさんの量ー時間を、他の事へつかっているなら、
15分だけでも心が惹かれるものとのスペースをもってみる。
何度も言うけど、量じゃなく質がものを言うから。
ちっちゃいことがいつのまにか大きく育ってることに気づく。


自分とつながる時間を毎日の中に。


ニュートラルなタッチで体験すること。
自分とつながるとは、
だれかと出会うとは。

12/11.12 ニュートラルなタッチ PART1開催
ファシリテーター ぎり&マルガ
日程 12月11日(土)&12月12日(日)
時間 12月11日午前11時〜午後6時    
12月12日午前10時〜午後5時    
*開始時間が異なります。ご注意ください
会場 名古屋市内 スタジオウーヌス

詳細はスタジオウーヌスGiriのブログにて http://www.banyantree8.com/blog/2021/11/1261112-1510238.html

なりたい人になりたいのか

なりたい人になりたいのか?
それとも、自分に戻りたいのか?


忘れてしまったのか。
自分はなにを求めていたんだっけ。


生きてるのがしんどくなって、
どうしたらいいのかわからなくなって、
自分というものを探し始めて、
本を読んだり、だれかに尋ねたりして、
たくさんの出会いと体験をして、
その過程で気づいたり癒えたりして。

そしてその内に、前の自分よりもたくさんのことがわかったような気になる。
もうこのことは知ってる
もうこのことは片付いた
あれもこれも知ってる実践してる。

なんでもかんでも受容したらいいし、波動を上げてぱっと引き寄せて次元上昇して。

って、それでいいの?

ほんとはなにを感じてるんだろう。
なにを怖れてなにを求めてなにが心地よくて心地悪いんだろうか。
正直になっていいんだとしたら
ほんとの自分として生きたいのなら



12/11.12 ニュートラルなタッチ part1 開催します。

このグループはセラピストや援助職の方だけのものだけではなく、
自分自身として生きたいと願いそのプロセスにいる人たちみんなのためのものです。


参加した方たちの声
・・数多く参加したヒーリングのセミナーの中で、 初めて技術ではなく、あり方を教わりました。
・・・自ら何かをしようとしない、 癒し、ヒーリングはしようとするものではなく起こるもの、 それ以上でも以下でもない。 全てがプロセス。 この体感からの気づきはとても大きかったです 。
・・・・くつろいだ自分の創り出すエネルギーフィールドで 人に触れるという体験は ほんとうに不思議で、 ひとことでそれを表すとしたならば、 祈りなのかなと思います 。


ファシリテーター ぎり & マルガ

日程 12月11日(土)&12月12日(日) (1日目の内容を12月6日、11日両日行います。
時間 午前10時〜午後5時
会場 名古屋市内 スタジオウーヌス

詳細はギリのブログで案内しています。
http://www.banyantree8.com/blog/2021/11/1261112-1510238.html

妄想から出る方法

こないだ、久しぶりにたくさん歩いた。
動かすと、身体は元気になっていくのがわかる。
そして身体が元気になると、心もすこやか、考え方も健全。

当たり前のように聞こえるけれど、
そして多分みんなそれを知ってるけど、
そうしない。


自分の足を引っ張るのは、自分以外にいないと言うけれど、
その引っ張るエネルギーは結構な力でやってくる。
実際に起こってる、という錯覚におちいるみたいに。


その時、五感につながることはそこから抜けることをたすける。
目を開けて、今、目の前にある物、人をしっかり見るといい。
匂いを嗅いで、耳を澄ます。

そして、錯覚だと「気づく」存在が必要。
だから人は瞑想をする。

12/6.12 12/11.12
ニュートラルなタッチ、セミナー1

http://www.banyantree8.com/blog/2021/11/1261112-1510238.html
(スタジオウーヌス ぎりのブログ)
職業に関係なく、人と関わる人ーつまりわたしたち皆にとって、
内と外のコミュニケーションの変化のきっかけになる2日間となると思います。


マルガの提供するセッション
path of lifeセッション

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小さいことは大きい

些細なこと、すごく小さいこと、が実はとても大きな負荷がかかってる。

すごく久しぶりにトゲが刺さった。はじめは気が付かなくて、なんか少し痛い。
けど、靴下を脱ぐ、も一度履く、というのが面倒で、今やってることが優先で、 それで知らんぷりしていた。

でも薄くではあるけれど、少しの痛みというか違和感みたいなのが、その間もずっとある。
ずっと感じてるわけではないけど、なにかの拍子に出てくる。

で、夜になってお風呂の中で、足親指にささってるトゲを発見。
そりゃ痛いはずだ。あー、自分のやったことに反省。


さかむけとか口内炎とか、小さいことにみえることだけど、
ふとした時に、あっ痛っ、となるようなこと。
ちょっとした心配事、あれしなきゃってすぐできるようなことなのに気になってるのにやってないこと。
これがとても大きなトゲだとかすごく痛いとかならば、すぐになにかの手当てなりする。

けど小さなこと(と自分が思いこんでる)ってなぜかすぐに動かない。無意識に「これぐらい、大丈夫」とスルー。
こうゆうことって日常の中で起こりやすい。


ニュートラルなタッチやアクアフローティングのワークショップでも最初に必ず伝えることがある。
それは自分が心地いい環境、姿勢をつくること。
最大限に身体、体勢の寛ぎ、安全を自分で確保すること。
「まいっか、これぐらい」とやり過ごすと、それは必ずセッションに影響を与える。

自分の心地よさを見つけ、それを創ることは、土台。
普段、心地よさとか身体や感覚に意識を向けていないと、それを見つけることがとても難しい。


小さいこと、と思ってやり過ごしていることは、なにかを優先させているようにみえたり、効率がよいように思うかもしれないけど、実はそれが一番効率を悪くしてる。
その違和感に対する緊張のようなものにずーっとエネルギー(意識)が注がれているから。
小さな小さな穴から、すごく微量だけれども漏れているようなもの。
おしっこを我慢してるみたいな。

わたしがトゲをそうやって放っておいてる間、わたしの心地よさはない。
その間にやっていることのクオリティは寛いでいる時のそれとはやっぱりちがう。

だから面倒くさがらないってすごく大切。
小さなことにちゃんと目を向ける、これをするかしないかで人生は大きく変わるんだね。
小さきことに愛をそそぐ。



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言葉にすること

ニュートラルなタッチというワークショップを定期的に開催しています。
以前はボディワーク講習会としていました。
名前は変わりましたが、マルガ、ギリ、スタジオウーヌスが伝えたい「なにか」は変わっていない、けど同時に変わりつづけてもいます。

その「なにか」を言葉にするのは毎回難しいと感じるのですが、今日はそれを表現できたらと。

これから書くことは(今こうやって書いている時点でなにが出てくるのかわからないけれど)、伝えたいことの一部であり、ある場所から見える側面であり、けれどもそこにはそのエッセンスが顕れていれば、いいなー。


前回のニュートラルなタッチで、ある質問が出ました。
「わたしは感じたことを言葉にするのがすごく苦手なのですが、言葉にすることは大事だと思いますか?」

これに対してどんなことが浮かんでくるのかはきっとそれぞれ異なるでしょう。
それぞれの答えはあるかもしれないけれど、その時の考えや感じ方も変化していきます。


今、あなたはどう感じているでしょう?




言葉にする。わたしには大きなテーマのひとつです。
言葉にすること、別の言い方をするなら、表現、コミュニケーション、伝える、といえるかもしれない。

感じたことを言葉にすると、感じたことのそのままが失われていく。
言葉にする時、わたしはいつもこの葛藤に出会う。
言葉にしないことで、その起こっていることのプロセスを最大限にサポートできる。
これはわたしが体験してきたことの事実で、すごく大切にしている。


わたしは今、表現アートというものを学び、シェアしています。
なぜわたしがこのワークをみんなと分かち合いたいと感じているのか。
それは表現というとてもシンプルで深く高く広大なものの、凄さパワフルさを体験しているから。

生きていることが表現そのもので、わたしたちのいのちはさまざまな表現を瞬間瞬間している。
呼吸だって声も感情も、生きてることの歓びも生きてることがつらいことさえ。

表現アートは分析をしないし、表現されたもの完成品をどうこうともしない。
プロセスこそが表現だから。 わたしたちの生も本来そうですよね?


悲しみという文字でカテゴライズされたものは、その感じる人によって異なる体験で、それはその媒体(人)のオリジナルの表現。悲しみを感じていくと喜びと呼ばれるものがわくこともある。


言葉にするというのは、ただ文字にして並べることじゃない。
文字という共通の記号を使って、わたしの、いのちの、いろいろなものを表している。
その記号の選び方もさまざまで、その選ぶことにどれだけのエネルギーを注いでいるかはそれぞれで。
だから、言葉というのは共通の記号のようにみえるかもしれないけど、それぞれの固有のものなんだ。

だから、言葉にするというのはとても面白くてものすごいプロセスだとおもう。



こうやって書いている時、どう表していいかわからなくて、書いてみてはなにかが合わないかんじがして、また別の文字を置いてみる。そしてそれを見る。それは今わたしが感じているなにかなのか。そしてまた感じて、表して・・。

そうやって言葉ができていく。言葉になっていく。
言葉は文字だけでできていない。感じることで言葉は育っていくし、言葉にすることは感性を育ててもいる。


うまくできてもうまくできなくても、それはわたしにはそれほど大切なことじゃない。
それより、伝えたい、表現したい、それは純粋な願い。
その願いを率直に表せたとき、わたしは満たされてる。





ニュートラルなタッチ@スタジオウーヌス
10月30日(土曜)、31日(日曜)開催します。


マルガの提供しているセッション
・path of lifeセッション
・サイキックマッサージ


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ひとりの時間の必要性

ひとりが好き。ひとりの時間がないとむり。
今までそれはわたしにとってとても大切なことだった。
最優先すべきことのひとつ。確保しなければいけないもの。

ひとり静かに過ごす。好きなように。たまっていた緊張をほどきリラックスできる。
そんな時間、それがひとりの時間。 それは自分がバランスする時間。


ひとりの時間はこれからも大切にしていく。今こうやって書いている時間もすき。


けど、疑問が出てきた。
ひとりの時間になんでそこまでこだわるんだろうかと。
それを楽しむというより、こだわってる。

わたしの思い込みや関わることのパターンそんないろんなものが、ひとりの時間を求めてるのだろうなと。
もし、それらが溶けていったら。
ひとりの時間の必要性にわたしはこだわらないかもしれない。
独りあること、というのは周りに人がいるいないは関係ない。


最近、変化を感じてる。
友だちは少なくていい、本当に理解しあえる人が一人でもいればいい、
そんなふうにずっと思っていたし、実際にそうゆう関わり方をしてきたのだけど、
いろんな人たちと付き合ってみたいって思うようになった。
そしたら気づいたら周りに人がいる。
いや、そうじゃなくて、今までもいた人たちに今さらだけど気づくようになったんだ。そして新しい人たちとも出会うようになった。

わたしたちはひとりでは生きていけないと言うけれど、その意味がやっと解りだしてきたのかもしれない。


わたしはそれがうれしい。
理解しはじめたことも、好き嫌いだけの世界から出てきた自分も。
たのしい、おっかなびっくりですが。
これからも、みなさん、よろしくね。

人間てすげぇー2日間の冒険を終えて

ウーヌスで開催したニュートラルのワークショップに参加した方から感想をいただきました。
ご本人がわたしたちのブログに載せて、みなさんにシェアすることに快く受けてくださいました。
ありがとうございます!

グループ初日の朝、osho禅タロットを一枚引きました。
でてきたカードは、
ADVENTURE 冒険

そして、今朝わたしが描いたものは写真の中のタロットの後ろの絵。
なんの意図もせず描いたものですが、いただいた感想を載せようと思いつき、
アドベンチャーのカードを写真に撮ってそれも載せようとしたら、絵とカードのシンクロに気づく!


Oさんから出てきた
「人間てすげぇ」

うん、わたしもめちゃ同感!
Oさん、ありがとうございます。



親愛なるぎり&マルガさま
濃密な2日間、お二人の創り出す愛の空間にいつしか安心して身を委ね、
気がつけば自分の意識がどんどん変化していき、振り返ればまさに冒険だった2日間でした。

最後、駐車場でAさんとハグをして別れ、ひとり歩き出したときにふいに出てきた言葉は、
人間てすげぇ、でした笑

人間讃歌のような2日間、大満足でこころから満たされて、
人間てすげぇ〜と何度もつぶやきながら歩きました。

ただ今のそのままの自分で居ること、
感じたことをそのまま出すことの
清々しさ、のびやかさ、うれしさ。

純粋な柔らかいところを出し合って、
お互いをこころから尊重して生まれる愛の空間の、なんともいえない愛おしさ。

Aさんの癒しというものは起こるもの という体験。
Aさんの体験に共振するように
わたしの中でも何かが起こり、深い感動がありました。

くつろいだ自分の創り出すエネルギーフィールドで人に触れるという体験は
ほんとうに不思議で、ひとことでそれを表すとしたならば、祈りなのかなと思います。

セッションのとき、どんな状態がより自分が心地よく、バランス良く、
天地と繫がりを感じながらも自分に居られるかというのも、
回を重ねるごとに体験が違い、体感を通して自分なりに深めることができたかなぁと思います。

癒やしとは、ということを自分の体感から、Aさん、Uさんのシェアから、
マルガさん、ぎりさんの言葉から感じることができ、
わたしがこれから誰かに触れるときの土台になるような、
かけがえのない体験をほんとうにありがとうございました

2日間、深い深いふか〜い愛とわたしたちへの絶対的な肯定感、
素晴らしい人間力の ぎりさん、マルガさんの創り出す空間に居ることができて、
ほんとうに素晴らしかったです。

参加を決めた自分をこころから讃えたいです

最後の温かすぎるハグもほんとうにありがとうございました!

繋がったご縁にこころから感謝感謝です!

また良きタイミングでお二人にお会いできるときを楽しみにしています!!

こころからの感謝をたくさんたくさんこめて

O

7月2日(金)~4日(日)@沖縄
アクアフローティング マジカルリトリート


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祖母とわたし

祖母との思い出が思わぬところからわたしの元へやってきた。

わたしの記憶にはないのだけれど、ある人の記憶に残っている祖母とわたし。

祖母はわりと近所に暮らしていた。
けれど、わたしたちの家にはほとんど来ることはなかった。

わたしが生まれたとき、毎日祖母は夜遅くに家にやってきたそうだ。
なぜ夜遅くかというと、すぐ近くにある父方の家に遠慮していたから。
普段から家にこないのもそうゆう理由。
そんな人だった、祖母はとても控えめな人だった。
そしてそれと同じくらいにとても強い人という印象が残ってる。


わたしを産んですぐの娘である母の身体をおもって、
夜遅くにわたしたちの家にやってきて、
わたしの面倒をみてくれる。
その間、少しでも母が休めるように。


母の友人が生まれたばかりのわたしに会いにきた時も祖母は家にいた。
その方の記憶の中の祖母とわたし。

祖母がわたしをやさしく見て、触れ、いろんなことを語りかけていた光景。
嬉しそうにわたしのことを宝物みたいに大切にしあわせそうに抱いていた祖母。


その方にとって忘れられない場面。
50年前のその場面をその日ふと思い出して泣けて仕方ないと、母に話してくれた。


母からその話をききながらわたしも泣いた。
祖母の匂いや一緒に寝たときの感触がなつかしくて、
そしてほんとに有り難くて泣いた。
今もちゃんと在る祖母から受け取った愛を感じて泣けた。
おばあちゃんありがとう。

今自分がここに存在してることはほんとに愛の連鎖なんだと。
血の繋がりも血を超えたつながりもすべてと出会えたから。


7/2~7/4 アクアフローティング@沖縄

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