想像よりも大きい

変化の時期といろんなところで言われてる。
ほんとにそうだとおもう。
自分もあっちもそっちも、今までとはちがってきてる。

けど、自分がこないだまで感じてたよりも、もっと大きな変化なんだろうな、
根底から覆すような、ごそっと、内側だけでなく外側も、とにかく存在全体の変化が起こるんだろうなと今日思った。変化というより変容か。

たぶん今起こってることは序章。
だから焦らないで腹にいてハート開いていればいいんだよな。
もっとわがままにいよう、毎日大切に生きよう、って当たり前のことをしていきたい。



つながるセッションでサポートできること、
自分の肉体・感情・思考と仲良くなること、
自分で立てるようになること、つまり自分の感覚を信じて、自分の言葉を話し、自由に選択できるようになること、
自分で自分を癒せること、
自分の本当の望みを知ること、

セッションの中で一緒にするワークはひとりになっても日々行えるプラクティスです。日常にその時間を持つことで、あなたはあなた自身とより深くつながれるようになります。小さな積み重ねだけど、それがオリジナルのしあわせな人生を生きることにつながっていく。気付いた時には、小さなこととは思わなくなるでしょう。

あなたとお会いするのを楽しみにしています!


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今、もう一度願いにつながる

今日の朝、願い、望みについてふと思った。

わたしの願いは本物かな?

本物って言葉をつかうとなーんか逆に本物ではなくなる気もするんだけど、本物、偽物という対比の中の本物でなくて、
言葉を変えると、

その願いはありのままか?




ある人が、自分がずっと長い間願ってたことが実は本当の望みじゃなかったことがわかったんだって話してくれたことがあった。長い間望みと思い込んでたものと本当の望み、その両方を詳しく話してくれたんだけど、本当の願いを聞かせてくれた時、聞いてるわたしのハートも反応した。その人の本質がその願いには表れてた。



昔、あるOshoの弟子が、引き寄せの法則を伝えるワークをしたいとOshoに申し出たそう。今は多くの人が知ってるものだけど、もっともっと前の話。するとOshoは、コミューンの中でそれを他の弟子たちに広めることを許さなかったという。

欲しいものを得ることは簡単 。けどマインドの望みがどれほど叶っても、わたしたちは満たされない。それぞれの存在が感じるそれぞれの豊かさがある。

わたしたちが欲しいと望んでるものは、どこからの願いなんだろう。お母さんが欲しかったものを代わりに得てあげたいといつの間にか自分の望みと思い込んだのかもしれない。社会で認められるからという理由かもしれない。いやもしかしたら神さまの顔色をうかがった願いかもしれない、こう願えばこうなればわたしはこの世界で生かせてもらえるかもしれないと。



「わたし」というものが強くくっきりする前に感じてた望みはなんだったんだろうか。親や教師、社会の影響を受けていないときのそのままの存在はなにをしたくてこの世界へ来ようとしてたんだろう。



もう一度、魂の願いにつながりなおす。
ありのままの願い。

今、それをじっくり感じてみたい。



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ばったり

こないだ3年ぶりの再会があったの。

ここのところ毎日、わたしは近所の神社へお参りしてる。氏神さんではないのだけど、とってもいい神社なんだよー。

その日は朝、用事が終わった後、神社へ。
鳥居の前まで行くと、普段は降りている神殿の前の白い幕が上がっているのに気付いた。ウエルカムされてるわぁなんて思いながら鳥居をくぐったら、いつもは戸が閉まっている社務所が開いていて、何人かが掃除してた。神主さんの姿もある。
その神社は普段はひとがいない。年始とかの時期だけ近くの神社の神主さんや氏子さんたちがいて社務所を開けてる。

その人たちと軽い挨拶をして、数段の階段を上り参拝しようとしたら、なんか見たことある顔が。
すぐに思い出した、と同時に声かけてた。
「覚えてますか?どこどこでお会いしました!だれだれさんのあの・・!」
って、ドすっぴんでメガネのわたしに気づかれないかもと思い、メガネをあげて顔を見せたら、もちろん、と覚えてくれてて。あの時とは髪型も変わりましたねって。そうだ、ロングだった。

その日はたまたま月次祭(月に一度行われるまつりごと)だということ、その方はその神社のお手伝いをされてるということで、
そこにいたみなさん、宮司さん、(おそらく神さまからも)、よかったらお祭りにどうぞと声をかけてもらい参加させていただいた。

今まで気づかなかったんだけど、いつもお参りしてる横にも小さな神殿があって別の神さまがいることをおしえてもらい、またそことはちがう場所にも別の神さまがいてお参りさせてもらい、いろんな興味深い話も聞かせてもらったり、ほんまなんと有り難いこと。


その方と3年前会った場所もまた印象的な場所で。そういえば今思い出したけど、あの時も同じ神さまがお祭りしていた神社にたまたまみんなで立ち寄ったんだった!おおお


神さまのこと、神話、神事のことなどわたしは全く詳しくないんだけど、小さいころから母の影響でなんとなく触れてきた世界。
母が一緒にみせてくれたものはもう少し厳しいかんじだったけど、今のわたしの感じてる神さまの世界はちょっとちがう。



ほんとは細かく書けば、小さな偶然がたくさん重なってのその日の再会だった。みんなもそうゆう体験してるでしょ?楽しいよね。
何の意味?なんて想像も楽しいかもしらんが、この再会とこの時間を共有させてもらったことがもうめっちゃハッピー!



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小さな子がおしえてくれたこと

数日前に小さいころの記憶を思い出した。
母が家出をしたときのこと。
わたしは小学校1年生くらいだった。


夜、父と母がケンカをしだした。よくあること。けど、その時はいつもとちがった。母が荷物をまとめて出て行くと言い出した。
わたしは泣いて一緒に行くと言った。だけど、連れて行ってもらえなかった。そして母は出て行った。


いつも両親がケンカすると上の兄がとめようとして下の兄は何も言わずじっと固まっていた。

母が家出をしたのはその時だけ。
ほんの数日間だったかもしれない。


数日前にこの記憶を思い出した。今までもあった記憶。
でも今回はその記憶が出てきた途端、身体の一部がぎゅーって痛くなって、感情がどっと出てきて泣いた。思い出す度に何度も涙がでた。


めちゃくちゃ怖かったよね。お母さんが自分をおいて出て行ってしまうなんて。

40年以上も前の記憶。それは忘れていた記憶じゃない。母とも話したことがある思い出。でも、その小さな女の子にはどれほどの痛み。ショックだったのか、今までのわたしは知らなかったんだ。

今の自分に影響を与えていなかったはずはない。自分の人との関わり方、今までの親しい人と繰り返してきたパターンがこの記憶によってスルッとつながった。
おしえてくれてありがとう。


いくらでも泣いていいよ。あなたはもうおいてきぼりにはされない。わたしたちはずっと一緒にいる。



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頭つかうより筋肉きたえよう

頭ではわかってるんですよ・・でも・・。

ほんとはやりたいんですよ、けど、頭ではわかってるんです、だけど、どうしてもできないんです・・。

言い訳みたいなこと言う時、自分をかばおうとするときにつかう。
やれないのは仕方ないんだと言いたいのだ。


けど、わかったほうがいいのは、
頭ではわかってる・・って、それ自体がほんと?ってこと。
だって、頭ってめちゃ頑固だよ。そんな理解あったっけ?

頭(マインド)が、一番わかってないの。
頭(マインド)がやりたくないのよ。


だから、ほんとにやりたいかどうかはまずマインドからはなれてから。


はなれてからそこで感じてみたほうがいい。(そこってあなたにとってどこ?)

言い訳やめようとするより、無理やりやろうとするより、
その感じる筋肉を鍛えるほうがいい。



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お正月は終わったらしい

そういえば今もまだお正月中だなと今日気づいた。
ウーヌスの裏のマンション工事がやっと静かになったのが影響してるのか?
もうそろそろ学校はじまるのかな?とか思ってたけど、もう始まって随分経ってるよね・・。元旦みたいに外も内もなんかすごく静か、不思議な感覚。立春までこれは続くのか?みなさんはどう?



エッセンシャルオイルが好きで、普段の生活の中で、エネルギーをクリーニングしたい時、身体にしっかりつながりたい時、ワークする時など、いろんな場面でつかう。旅に行くときも必ず持っていく。
薬のように、お守りみたいに、植物の命に大きくサポートされていて、その力をめっちゃ信頼してる。


セッションでもよくつかう。わたしはアロマセラピストじゃないから、それをつかってマッサージとかそうゆう使い方はしてない。


ふたを開けてただ嗅ぐ。
香りの分析も起こってることの解釈も放っておいて、ただ嗅ぐ。
香りが必要なことを起こしてくれるので、安心していい。

身体へもどっていくのに、香りはすっごく役立つとおもう。
感情とか記憶とか。その香りが好きか嫌いかってのも身体からのサインだし。

エッセンシャルオイルは超一流のヒーラーなのだ。そりゃそうか、植物だから。自然はわたしたちを癒し、元気にしてくれる仲間。
いいエッセンシャルオイルは、オイルとして抽出されても生(なま)の命のままみたいに力にあふれてる。いいもの選ぼうね。






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ちゃんと辿り着く

セラピストとして自分のスペースをもって独立したとき、身体に触れるセッションとオーラソーマのリーディングの二つをメニューにしていた。


もともと色が好きだった。いろんな色のコンビネーションや色の流れが好き。はじめてボトルがずらーっと並んでるのを見た時、おお!って感動したのを覚えてる。

そのボトルとの出会いからクラスに参加するまで、約10年くらいあったとおもう。なんて長い熟成期間。

わたしはその時、オーラソーマのクラスに参加するか、インテリアコーディネーターの学校に行くか迷って、インテリアの学校に行ったのだ。

2年通うはずだったインテリアの学校は1年でやめた。で、そのインテリア学校で出会った唯一の友人から、その後何年も経ってオーラソーマのティーチャーを紹介してもらってはじめてクラスに参加したという・・。巡り合わせというのか、人生の模様の創られ方っておもしろい。


インテリア学校で学んだことはほとんど覚えてないけど、オーラソーマからもらったものはたくさんある。ひとつは、色のパワー。これはすごいよ。わたしたちは色からたくさんのサポートを得ることができる。色ともっと仲良くなったらいいよ。そして数秘。これも好きだった。自分と関係してる数を理解することは、ちがう側面から自分を知るいい機会だし、生きやすくなるかも。これらはマルガのつながるセッションにも使う時があるので、知りたいことあったら尋ねてちょーだい。あと、人と関わるってどうゆうことなのかとか、教えるということとか、自分にとっての本当・不要とかを、プラクティショナーとしてというより、自分が学ぶクラスの中で解っていった。今の基盤になってる。あの時感じたことをいまだに覚えてたりするから。

本を読んでもわたしはすぐに忘れてしまうことが多いんだけど、その知識を体験すると、自分に残ってるというか身に付いてる。欲張ってたくさん取りいれても、自分にとって必要なものは身になる。安心して、10年後でも出合うもんは出合い、去るものは去るから。




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小さなことをあなどるなかれ~

週に3回ぐらいは銭湯に行く。
お風呂に入るのが小さいころから好き。

わたしは、赤ちゃんのころ湯船に入るといつもうんちをしていたらしい。
なので母はわたしのおしりにガーゼをあてて入っていたって。

その時のことは覚えてないけど、そうなってた理由がなんとなくわかる。
湯船に入った瞬間、気持ちよすぎておもわず声でません?
キバリ系っていうか、ウナリ系っていうのか、奥の方から出るタイプの声。イメージとして、おっさん風。
赤ちゃんはきっとその快がゆえにうんちが出ていたんだろうなって。



わたしたちは、集団生活の中で自由に身体の欲求を満たせなかったとおもう。
授業中じっとしてないといけないとか、トイレに行けないとか、給食残しちゃいけないとか、学校や所属してる集団のルールみたいなものに身体を合わせるように求められてきた。


身体をある特定のやり方で修練して精神を鍛えるというやり方もあるけど、方法からはじめるんじゃなく、身体からはじめる方がわたしは自然な気がするし好みなのよね。


おしっこしたいときにすぐトイレに行くとか、あまりにシンプルな話だけど、そうゆう小さなことが自分とつながるってことに関係してる。難しいこと考えるより、身体の小さな欲求かなえていこう。身体を「快」にしてあげることたいせつ。



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食べる姿からみえるもの

ハロー、マルガです。


この写真は「聖者たちの食卓」より。



食卓ー食べること、生きること
http://www.banyantree8.com/blog/2019/12/post-1584-1482643.html
ギリのこの記事を読んだらインスパイアされて、わたしも食べることについて書きたくなった。
食べるについては、いろいろと感じることがあるけれど、今回のトピックはこれ。


ひとが食べてる姿を見るのが好き。しあわせ感じませんか?
いつでも、だれのも、というわけではないけど、少なくとも汚い食べ方・キレイに食べるとか、そういった判断ではこのことはじゃまされない。



わたしは躾というものをたくさん受けて育った。
出自や、母親のコンプレックス、考え方やいろんなことから、母の日本社会への恐怖と子供への愛情がそんな形として出てたんだとおもう。
とにかくまぁなにからなにまで、躾という名の「こうゆうかたちが正解です」を身につけさせようと。


その躾は、食べる場面においてのこともたくさん含まれていた。
食べてはいけないものが多くあった。食べ方についても行儀良さを求められた。そして母の努力とわたしの努力で、わたしは「キレイな食べ方」ができるようになっていった。


躾とは
行儀が良い
育ちが良い
他者から良い評価を得ている
そうゆうものを得るためにしているなら、それは大変つらい。


食べ方さえも、自由を奪われる、他者の視線を気にしないといけない、ってどんだけ重症やねん、と思いません?


ひとのことをよく見てます、わたし。自分がそうしているとは知らなくて、言われて気づいた。よく見てるねーって。そうか、よく見てるんか。けど、ひとに興味なかったらこの仕事はしてないよな。マルガってほんとにひとが好きだね、とも言われたな。



食べ方ってそのひととなりが表れる。ぱっとした見た目もそのひとのある部分は見えるんだけど、食べるってもちょっと濃いっていうか。そのままが見えるし装ってることもわかる。


けどそんなことよりわたしが感じるのは尊さ。みんな一生懸命生きてるよなってしっかり感じられるの。ああ、そうだったみんながそれぞれの人生を生きてるって改めて思いだす。命は美しいってことをリアルに感じられる。それが食べてる場。その時の自分はまちがいなくあたたかい。人間のもつ善良さと深くつながってる。感謝があふれてくる。


食べるってなんて奥深いんだろう。こうやって書いててもいろんな方向に枝が伸びるみたいに、あっちもこっちもでてくる。
なにを書いたら、どこを書いたらいいのか、わたしはなんて大変なことを書きだしてしまったんや・・って思ってる。食べるって本能だし生きることだし命をつくってることだしね。


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