お正月は終わったらしい

そういえば今もまだお正月中だなと今日気づいた。
ウーヌスの裏のマンション工事がやっと静かになったのが影響してるのか?
もうそろそろ学校はじまるのかな?とか思ってたけど、もう始まって随分経ってるよね・・。元旦みたいに外も内もなんかすごく静か、不思議な感覚。立春までこれは続くのか?みなさんはどう?



エッセンシャルオイルが好きで、普段の生活の中で、エネルギーをクリーニングしたい時、身体にしっかりつながりたい時、ワークする時など、いろんな場面でつかう。旅に行くときも必ず持っていく。
薬のように、お守りみたいに、植物の命に大きくサポートされていて、その力をめっちゃ信頼してる。


セッションでもよくつかう。わたしはアロマセラピストじゃないから、それをつかってマッサージとかそうゆう使い方はしてない。


ふたを開けてただ嗅ぐ。
香りの分析も起こってることの解釈も放っておいて、ただ嗅ぐ。
香りが必要なことを起こしてくれるので、安心していい。

身体へもどっていくのに、香りはすっごく役立つとおもう。
感情とか記憶とか。その香りが好きか嫌いかってのも身体からのサインだし。

エッセンシャルオイルは超一流のヒーラーなのだ。そりゃそうか、植物だから。自然はわたしたちを癒し、元気にしてくれる仲間。
いいエッセンシャルオイルは、オイルとして抽出されても生(なま)の命のままみたいに力にあふれてる。いいもの選ぼうね。






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ちゃんと辿り着く

セラピストとして自分のスペースをもって独立したとき、身体に触れるセッションとオーラソーマのリーディングの二つをメニューにしていた。


もともと色が好きだった。いろんな色のコンビネーションや色の流れが好き。はじめてボトルがずらーっと並んでるのを見た時、おお!って感動したのを覚えてる。

そのボトルとの出会いからクラスに参加するまで、約10年くらいあったとおもう。なんて長い熟成期間。

わたしはその時、オーラソーマのクラスに参加するか、インテリアコーディネーターの学校に行くか迷って、インテリアの学校に行ったのだ。

2年通うはずだったインテリアの学校は1年でやめた。で、そのインテリア学校で出会った唯一の友人から、その後何年も経ってオーラソーマのティーチャーを紹介してもらってはじめてクラスに参加したという・・。巡り合わせというのか、人生の模様の創られ方っておもしろい。


インテリア学校で学んだことはほとんど覚えてないけど、オーラソーマからもらったものはたくさんある。ひとつは、色のパワー。これはすごいよ。わたしたちは色からたくさんのサポートを得ることができる。色ともっと仲良くなったらいいよ。そして数秘。これも好きだった。自分と関係してる数を理解することは、ちがう側面から自分を知るいい機会だし、生きやすくなるかも。これらはマルガのつながるセッションにも使う時があるので、知りたいことあったら尋ねてちょーだい。あと、人と関わるってどうゆうことなのかとか、教えるということとか、自分にとっての本当・不要とかを、プラクティショナーとしてというより、自分が学ぶクラスの中で解っていった。今の基盤になってる。あの時感じたことをいまだに覚えてたりするから。

本を読んでもわたしはすぐに忘れてしまうことが多いんだけど、その知識を体験すると、自分に残ってるというか身に付いてる。欲張ってたくさん取りいれても、自分にとって必要なものは身になる。安心して、10年後でも出合うもんは出合い、去るものは去るから。




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小さなことをあなどるなかれ~

週に3回ぐらいは銭湯に行く。
お風呂に入るのが小さいころから好き。

わたしは、赤ちゃんのころ湯船に入るといつもうんちをしていたらしい。
なので母はわたしのおしりにガーゼをあてて入っていたって。

その時のことは覚えてないけど、そうなってた理由がなんとなくわかる。
湯船に入った瞬間、気持ちよすぎておもわず声でません?
キバリ系っていうか、ウナリ系っていうのか、奥の方から出るタイプの声。イメージとして、おっさん風。
赤ちゃんはきっとその快がゆえにうんちが出ていたんだろうなって。



わたしたちは、集団生活の中で自由に身体の欲求を満たせなかったとおもう。
授業中じっとしてないといけないとか、トイレに行けないとか、給食残しちゃいけないとか、学校や所属してる集団のルールみたいなものに身体を合わせるように求められてきた。


身体をある特定のやり方で修練して精神を鍛えるというやり方もあるけど、方法からはじめるんじゃなく、身体からはじめる方がわたしは自然な気がするし好みなのよね。


おしっこしたいときにすぐトイレに行くとか、あまりにシンプルな話だけど、そうゆう小さなことが自分とつながるってことに関係してる。難しいこと考えるより、身体の小さな欲求かなえていこう。身体を「快」にしてあげることたいせつ。



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こころが自由な方を

マルガです。

わたしは夢をよくみる。
夢がみせてくれる、暗示、比喩をわたしはすごーく信頼してる。
だからなのか、夢はより鮮明にいろんなことをおしえてくれる。

夢占いとかあるけど、夢の翻訳はその夢をみた本人がするのがいい。



あるひとに言われたとても印象的なことば。
人生に起こることは、翻訳してもいいけど、解釈はしないこと。
解釈するとややこしくなるよ、シンプルがいちばん。

言われたときはつかめなくて、けどめっちゃ大切なことやなとは感じたんだけど、最近わかってきた。


判らないってなんとも気持ち悪いことなんだよね。だからなんとかアレとコレをくっつけて結果を出そう、みようとする。それがあのひとの言ってた解釈なんだろうなと。

判らないことをそのままにしておけるって、成熟度高めでないとなかなか難しい。難しいんだけど、それが自然とできたときって、こころがとっても自由。


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2020あけましておめでとう

あけましておめでとうございます。


2020年になりました。
春分の日や立春など、1年のスタートは民族や文化によってもいろいろですね。
1月1日はローマ法王が決めた1年のはじまりの日だそうで。
いづれにしても、新しいはじまりって気持ちいい。


大晦日に、2019年にやったこと、学んだことなど1年間を振りかえってみた。どんな1年だったのかをはっきりと目で見るといいという話をどこかで聞いたので。新しいスタートをきるのにいいんだって。


最初は覚えてることだけささっと書きだして、その後はノートを見ながら書き加えてみたら、意外といろんなことを体験してたのよ。これも2019年?って忘れてることもあって。
わたしは印象的な夢をよくみるので朝起きてすぐにノートに書いたりしてる。あとグループとか参加したら感想とか身体の感覚とかその後の少しの間のプロセスを記したり。
そのノートを読み返して書き加えたんだけど、ノート読むのがめっちゃ楽しかった。夢とかほんとにおもしろくって。書きだすより、読み返してる時間がほとんどだったような・・掃除してて古いアルバム開いてもうたーみたいな。おもしろい、延々見てしまう。



で、この書きだしてみるワーク、すごくいい。忘れてたことを思い出すのって、その在処が見つかるかんじ。
やってみて感じたんだけど、満足度が増えるよ。
マインドは小さいことはカウントせずに大きな出来事に目がいきがちなんだけど、少しゆったりと落ち着いて書いてみると、いろいろとやってること思い出すし、真剣に考えてる自分がノートの中にいたりして、そうゆうのと出合うのっていいよ。わたし含め反省ばかりしがちな人は、特にすすめる。


2020年、たくさんの方の美しさを見出すお手伝いをしていきます。
お会いしますのを楽しみにしています!



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知らないを知る

毎日見てる顔なのに、あれ?このひとだれだっけ・・ってなるような、
初めてそのものと出合ったような感覚が時々やってくるんだけど。


自分ではその人のことをよく知ってるとか解ってるとか思ってるけど、本当には理解してない。
そうおもってる自分、解ってないことを知ってる自分がいることは、わたしにとっては大事なことのように感じてる。


それに気づかないと、幻想の世界だけにいることになるから。
幻想の世界とは無意識とかルーティンとか。
自分がいつも自動操縦で動いてるとしたら・・想像したらこわくない?生きてないんだよ。


みんながマイワールドにいるって知ることが、本当の意味でつながりが起こってくるはじまりなんじゃないかなとおもう。
わたしの知ってるあなたと、あなたはちがう存在。
わたしがわたしだとおもってるわたしと、わたしはちがう存在。


まずは、自動操縦のスイッチを切って、そのロボットからヨイショと出て、初めての空気に触れて、感じて、吸って、吐いて。

気の済むまで何度でも、その初めての空気をあじわい、
そして、鏡を見る。

ハロー、こんにちは。はじめまして!
どんなひとがうつってた?




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食べる姿からみえるもの

ハロー、マルガです。


この写真は「聖者たちの食卓」より。



食卓ー食べること、生きること
http://www.banyantree8.com/blog/2019/12/post-1584-1482643.html
ギリのこの記事を読んだらインスパイアされて、わたしも食べることについて書きたくなった。
食べるについては、いろいろと感じることがあるけれど、今回のトピックはこれ。


ひとが食べてる姿を見るのが好き。しあわせ感じませんか?
いつでも、だれのも、というわけではないけど、少なくとも汚い食べ方・キレイに食べるとか、そういった判断ではこのことはじゃまされない。



わたしは躾というものをたくさん受けて育った。
出自や、母親のコンプレックス、考え方やいろんなことから、母の日本社会への恐怖と子供への愛情がそんな形として出てたんだとおもう。
とにかくまぁなにからなにまで、躾という名の「こうゆうかたちが正解です」を身につけさせようと。


その躾は、食べる場面においてのこともたくさん含まれていた。
食べてはいけないものが多くあった。食べ方についても行儀良さを求められた。そして母の努力とわたしの努力で、わたしは「キレイな食べ方」ができるようになっていった。


躾とは
行儀が良い
育ちが良い
他者から良い評価を得ている
そうゆうものを得るためにしているなら、それは大変つらい。


食べ方さえも、自由を奪われる、他者の視線を気にしないといけない、ってどんだけ重症やねん、と思いません?


ひとのことをよく見てます、わたし。自分がそうしているとは知らなくて、言われて気づいた。よく見てるねーって。そうか、よく見てるんか。けど、ひとに興味なかったらこの仕事はしてないよな。マルガってほんとにひとが好きだね、とも言われたな。



食べ方ってそのひととなりが表れる。ぱっとした見た目もそのひとのある部分は見えるんだけど、食べるってもちょっと濃いっていうか。そのままが見えるし装ってることもわかる。


けどそんなことよりわたしが感じるのは尊さ。みんな一生懸命生きてるよなってしっかり感じられるの。ああ、そうだったみんながそれぞれの人生を生きてるって改めて思いだす。命は美しいってことをリアルに感じられる。それが食べてる場。その時の自分はまちがいなくあたたかい。人間のもつ善良さと深くつながってる。感謝があふれてくる。


食べるってなんて奥深いんだろう。こうやって書いててもいろんな方向に枝が伸びるみたいに、あっちもこっちもでてくる。
なにを書いたら、どこを書いたらいいのか、わたしはなんて大変なことを書きだしてしまったんや・・って思ってる。食べるって本能だし生きることだし命をつくってることだしね。


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クリエイション

はろー!マルガです。
ちょっと喋ってたことを残したくて、ここに書く。


どんな世界を創る?




女でいれる場所で生きたい。女で生きたい。

感情は一定じゃない。泣いたり笑ったり怒ったり。感情豊か。
感覚的。身体の生理機能(内側)からも環境(外側)からも影響を受ける。敏感、繊細。
波のよう、バイオリズムとか、季節の移り変わり、四季みたいなもの。
自然とおんなっておんなじ。
女は自然。

自然に生きる。女で生きる。





波があることは、今までの社会では嫌がられてきた。波があるって一定じゃないってこと。
ずっと一定、上向き、ってそれが大切だと思わない。経済、売上がずっとずっと前年比アップ目指すって、なんかどこかおかしい。自分が生きてることはだれかの負担の上、そんなん終わらせる。

海女さんは、海に潜って見つけたもの全部持ってこないんだって。今採るもの、頂くものをちゃんと知ってる。かっこいい。

家族の中で財政つまり豊かさのキーを持ってるのは妻だっていう。妻がゴキゲンさんだったら、その家は安泰だそう。それが家族というコミュニティじゃなくて、もっと大きくとらえられたら。





人には波があるもんだってもし理解していたら、協力がうまれる。協力って力の無いところに力を貸すんじゃなくて、それぞれの力の出し処が最適ってこと。だからそれぞれの色、才能がより開いていく。


それぞれにリズムがあること、それはわかっているようで、普段の生活ではなかなか難しい。 当たり前で自然なことを、わたしたちは抑えてきたんだよな。我慢とか、薬とかを使って。だれかの良い悪いの基準に沿って。

そして自然がなにかわからなくなって。だから自然からはずれないこと大事。自然って、ただの自分。ありのまま、そのままの。自然、自分、女という言葉はおなじ意味。アイデンティティや女性性の話じゃないよ。



愛って叫んでもいい

昨日、友人が来て、今彼女が学んでることの練習として、セッションを受けた。





わたしは愛の交流をする

このために生きてるんだってことだった。

なんていうのかな、あまりにするっと身体からでてきたもんやから拍子抜けっていうのか、どこかで使い古されたようなかんじもするし、マインドがもっとすごいもん出せよみたいな欲求もあり、その時はまぁねーってかんじで。


で、友人が帰り、

それもまたさらっと、

それ、わたしずっとやってるやん、って。

セッションでも、メール送るときでも、ごはんつくってても。

あ、わたしは生きたいように、魂の願うままに、今いるんだ。

それを知った。

泣けてくる。

でもね、気づいたときは、ずっと解きたくていつもいつも探してた難しいクイズの答えが実はすでに知ってたみたいな拍子抜けしたかんじで。



新しい出会いではないけど、最近離れててすごく久しぶりに会ったような感覚で、でもそれは新たな出会いで。なぜならわたしが前とはちがうから。 わたしたちは何度もそうゆう出会いを体験してる。理解するってそうゆう出会いのようなものだと感じる。円ではなくて螺旋。まだクリアしてなかったか、まだ知らなかったのか、ではなく、深く高く広く理解が起こってるの。






愛って言葉、ずっと使いづらかった、今も。

言うのも書くのも。出そうとすると一瞬ひるむというか迷うというか。おまえなんかがそんなこと言っていいのーー?って声がどこかからきこえて。


いいの。いいんですよ、愛って言っても書いても叫んでも。

もぞもぞしたって、言葉にひるんだとしても。

おまえなんかでも、あんなヤツなんかでも。

だって、本当のことだから。愛なんだから。

出せない言葉ほど、本当はわたしたちは出したい言葉なんじゃない?

怒鳴ってる言葉の奥にある想いみたいに。

その想いの言葉を出していきたい、そしてだれかのその想いの言葉の存在を知ってあげれるといいなっておもう。


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並べてみた

ハロー、マルガです。

いま毎日スクワットしてる。今日で3日目。明日もすれば3日坊主ではなくなる。

きっかけは夢のお告げ。

夢の中で、わたしはスクワットしてて、するとどんどん第1チャクラあたりがボワー!って燃えるような感覚になっていった。で、これはすごいぞ!と感じているって内容。

朝、目が覚めてからその夢を思い出し、なんとなくピンときてそして今やってる。第1チャクラがボワーとなるかな?



12月に入っていろいろあったなぁ。

みなさんはいかがです?



鳥羽の方にアクアフローティングできる場所探しに1泊した。(プールがいまいち、プールが一番大事なのに)

女性の願いをひとつだけ叶えてくれるという石神さんという神社へお参りした。(とてもいい場所、海女さんのすごさ、海女さんのこともっと知りたい)

友だちに甘えてみた。(話聞いてーって)

長い間いろんな意味でたくさんのスペースをつかってた仕事が終わった。

あるセッションを受けた。(数か月前に予約してた、なんというタイミング、ほんとすべて最善)

すっごく心揺さぶられたドキュメンタリー映画を2つ観た。(ああ)

たくさんの人にメールをした。(あたたかい返信もらった、涙、感謝)

実家へ大掃除のお手伝いに行った。

wordpressのサーバー更新した。(ちゃんと創ろうと思いながらぐずぐずしてたら開いてから1年経ってた!)




と、出来事だけ少し書いてみた。

並べただけ。今日はこれにておしまい。



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