恵みをいただく

昨日は畑のさつまいもを掘った。

収穫した、と一言で終わることもできるんだけど、 些細なことと思われるようなものの中にたくさんのことがある。

まるで自分がお産婆さんになったみたいに、土の中で育っていた赤ちゃんが生まれる準備が整い、出産を手伝ったかのようないい体験だったよ。

さつまいもの周りの土はかちかちで固くて根っこが深く、少しづつしか掘り進められない。スコップを使うとおいもを傷つけてしまった。だから手で、ちょっとづつ。20cm以上に育っているのもあって、あの小さなひょろひょろの苗がゆっくりじっくり土の中で形を変えながら拡がっていったんだよね。

がんばれがんばれ、そうそうその調子、っておいもに言うような気持ちがわいてきて。そしておいもは無事生まれた、土から出てきた。わたしたちも母親のお腹の中でいろんな準備をして、母親と協力してここへきた。いのちはすごいな、ほんとに。

幼稚園の時のお芋掘りの記憶がある。

さつまいもがあるであろう整列した横に長い一列。その場所の前にわたしたちは並んで座ってた。先生の合図があるまで待ってる。記憶のある場面はそれだけ。

その時の感覚を今のわたしが言葉にするなら、ずらっと並んだ機械の前にいて、それの操作方法を教わりとりかかる号令のベルが鳴るのをだるく待っていて、そしてその機械の前にいる自分も機械の一部のような、そんな無機質な感覚だったとして残っている記憶。

いま、昨日掘ったさつまいもはホイルに包まれ鍋の中。甘いといいな。

秋だねー。

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雨の中の鐘の音

いま、これを書きだした今、 近くの教会の鐘の音がきこえてきました。

毎日同じ時間になると鳴る鐘。

でもここに届かないこともある。届いているかもしれないけどわたしには聞こえないことがある。そしてこうやってわたしの元に届いた時には全身で耳をすます。

この音をきくと、内側の静けさにすーっと戻っていく。昔の記憶からなのかな。そういえばインドのプーナでもコーランの音が響く。とても懐かしくかんじて、好きだったな。

肌で秋を感じれるようになってきた最近。地球暦でいうと1年の半分が終わり、後半の半分のはじまり。

秋になったけど、わたしの肌はまだまだ黒い。この夏の間、何度海に行ったっけ。 いろんな方と一緒にアクアフローティングをした。そして体験しなかった人たちの中にも、アクアフローティングに興味をもってる人たちがたくさんいることを知った。みなさん、ありがとう。

したい!の機会。これ、大切にしてる。 してみたい、行ってみたい。それがなんの役にも立たなくても、立たないと思うのならなおさら、それをしてみる。だって、したい!んだもの。

役に立つ、役に立たないって、それはマインドの声。 マインドって?それは、親の言葉、先生の言葉、社会の言葉、それらを正解、そうだ、答えだと思い込んだもの。普段のマインドはとても固くて小さい。

そのカチカチの固く狭い、自分のものかもどうかわからない言葉の言うことに従ってると、わたしたちはある時点で立ち止まる。

それは自ら立ち止まることもあるけれど、多くがストップさせられる。

そしてしばらく苦しむ。今まで通りできない自分に腹を立て、周りのせいにする。自分の今までを失敗として悲しむ。

そうしてしばらくしたら、気づく。

起こったことはギフトだったってことに、存在の計らいってことに。

なーんだ、プロセスって完璧やん。

したい!を、しないこともすることも、後悔も満足もどれもOK。どの道も美しい。

この世界からのギフト

7月末から、アクアフローティングのセッションやグループを通して、 久しぶりにいろんな方と出会いました。

生身の存在と出会えるということが、稀な機会となった今。 触れ合えるということがとても貴重な大切な時間だと知りました。今の世界からのギフトだな。

前は当たり前だと思っていて、いや、当たり前と思っていることも気づけないほど、だれかと面と向かうということを、当然のこととしていたなと思う。

出来事を通して、わたしたちは賢くなっていく。 出来事を嫌わない方がいいね。ハプニングって、ぱっと見は面倒に感じるんだけど、これが人生を動かしていくんだなとおもう。どんなふうにそれが動いていくかはそれぞれの受け取り方次第で、それぞれにとっての今の最善に。

アクアフローティングは、ひとりではできない。

水に浮かんで気持ちよくなるというだけならひとりで遊べるけれど、これはちがう。必ず相手が必要。だからこそ素晴らしいツールなんだとおもう。

「関わり」の中で起こっていく。関わることって多くのひとにとって面倒なもののような気がする。どうやったらひとと関わらないで済むか?ってくらい、関わりを苦手なものにして、避けているひとは多いと思う。それは自分自身に対してもそう。自分の一部ともなるべく関わらないようにしてる。特にいろんな感情や痛み、好きになれない部分、自分の美しさからも逃げようとする。 心が動くことがこわいんだ。

でも本当はわたしたちは触れ合うことを渇望してる。自分の中にあるすべてと、目の前にいるこの人と、世界にあふれてる美しい醜いものたちと。

触れ合いたいって本能だよね。

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雨女?晴れ女?

雨、よく降っていますね。

明日は知多半島でアクアフローティングのグループ。

来週は知多半島の少し先の篠島で個人セッションと1泊2日のリトリート。

どんな天気になるのかな?

雨女ですか?それとも晴れ女ですか?と尋ねられたことがある。

どっちかなんて気にしたことがなかったから、思い出してみてもわからなかった。だって雨も晴れも両方好きだから。

けど、明日からしばらくは、わたしは晴れ女です。

今日はマヤの暦では1年のはじまりの日。

美しい時間を過ごしましょうね。

8/2.3.4 アクアフローティングリトリート@篠島 http://www.banyantree8.com/blog/2020/07/post-1609-1495076.html

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元気ですか?

元気にお過ごしでしょうか。
ほぼ二月ぶりに、これを書いています。
パソコン触るのもいつぶり?さて、なにを書くのかな。

長い期間休んでいましたが、スタジオウーヌスはセッションを再開しています。

突然与えられた休み、
のんびりするのに慣れなかった方もいるんじゃないでしょうか。
わたしはそうでした。
なにかをしなければならない、という無意識の縛り。
それに気づいてみると、その縛りはずっとずっと自分をかなりの強度で縛りつけていたんだなとわかりました。

たとえば、働かざる者食うべからず、という考え。
これはとても根深く、働かないと生きていけないというより、生きていてはいけない、とわたしは思っていたようです。そんな奴は生きる価値がないと、自分が思ってる以上に自分のケツを叩いて生きていたんでしょう。
働いてその対価でお金をもらい、そのお金があったから生きてこられた。
けれど、そうじゃないのかもしれない、
働いてきたから今も生きているんじゃない、
存在がいのちの面倒をみてくれていたから今ここにいる、ということが腑に落ちた日々でした。以前までとはちがう理解にいたったように感じています。

働くことはお金を稼ぐことだけがイコールではないと言われますが、ほんとにそうですよね。
働くとはどういうこと?お金を稼がなかった期間にたくさん考えていました。



2月から畑を借りて野菜をつくっています。
これね、つくっていると書いてるけど、わたしは作ってないんですよ。
自然が作ってくれてるの。ほんとに自然ってすごい。
それを知れたことがとても嬉しい。すこし賢くなれたかもしれない。

少し前に「21世紀の資本」という映画を観たんですけど、それを観て一番感じたことは、みんなひとりひとりが本当に賢くならないといけないなということ。わたしたちが賢くなることでこの世界はもっと美しくなるんだなって。
自分の中に本当の知恵を育てなきゃいけない。当たり前とも思わないほど自動的に思い込んでいる物事に気づくことが大切だなと思います。えらい人たちの言うことばっかり聞いてても賢くなれない。

それにはやはり「感じる」ことがキーなんだろうと。そしてその感じるのはわたしたちのこの身体を通して。
自分の感性を育て、自分の感覚を信じて生きていく。いいと思いません?


愛をこめて


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初収穫

こんにちは。
ここ数日の暑さ。夏が近づいてきましたね。

今日の散歩で感じた空気。
お、このかんじは好きやぞ、と数日前とはちがうエネルギー、新しい風を感じました。自分の歩く足音とこのエネルギーにつつまれた世界。気持ちがよかった。


2月から畑を借りています。
3月のはじめに種を蒔いたり苗を植えたり。
畑に行ってあれこれするのが最近の楽しみ。
土に触れる、太陽浴びる、作業してるうちにいつのまにか無心になってる、そうゆうことが肉体も心も健やかにしてくれる。

そしてこないだは初収穫!

ほとんどなーんもしてないのに、野菜ができた。
すごくない?
なんでこんなんできるん?
一体なにが起こってんねん?
だれがこんなことしてくれたのですか??
不思議すぎる。
まさに神業。
生命の神秘とめっちゃおいしい野菜をあじわってるよん。

50年近く生きて、知らんことだらけやわとますます気づく。


毎日、自分の身体と心に気持ちいいことを。


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美しさってなんですか

こんにちは!
元気で過ごしていますか?
わたしは時々の欲求不満が起こったりしながら元気ですよ。



フィジカルな接触に距離をもって、家で過ごす時間が増えたことは今あなたにとってどんなふうに感じているのでしょうか。なにが起こっていますか。



わたしはですね、
ウーヌスにだれもいらっしゃらないことがめちゃさびしい!


ひとと触れ合うことが大好きです。それは実際に肌にさわるということだけでなく、そのひとという存在に触れるのが。
それは別の言葉で言うと、そのひとの美しさに出会うのがたまらなく好き。

セッションでその機会をもらえてることは、これはもう存在からのご褒美やなって感じてる。
それは自分自身の美しさを思いだす瞬間もいっしょ。
美しさに出会うこの時、自分が自分、わたしという個人、ではなくなる。いままで自分と思ってたのは「考え」で、その美しさが「本当の存在」だったって。



美しさ

わたしにとって大切なもの。この言葉を見、聞き、感じるとなぜか涙がでてくることがあるのよね。わたしの人生を変えたものだからかな。
このブログも前に書いてたものも、タイトルに入れてる。


みーんなが自分自身の美しさに気づけば、
この世界はグルンと一変する。

美しさに気づいたときから、
あなたの世界は変わってる。グルンが始まった。
表面的には変わってないように思っても実際には変わってる。


美しさということがどういうことかはひとそれぞれ。
だから世界は美しいのよね。

もしも、美しさの定義に自分以外のものがまぎれていたら。
世間とか社会とかCMとかの刷り込みが入っていたら。
きっとわたしたちは美しさを見誤るんだろうな。


怒ることは醜いし
毛深いのも太りすぎも醜いし
くちゃくちゃと音をたてて食べるのは醜いし
卑怯なことは醜いし
ってほんまかな。

だれかに決定権を渡したらあきまへん。

存在からの目で見て聞いて嗅ぐとどんなふうに見えるだろうか。



愛をこめて
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魔法をつかう

なにかが詰まってしまいスムースに流れない、最初のその詰まりさえ出ればあとは簡単にスルスルっといくはずなのにー、

ってまるで便秘のようなんだけど、
ここのところのわたしはしょっちゅうこんなかんじでした。
実際にはお通じだけの話ではなく、身体と心のこと。


ウイルスが世界で拡がっているということが自分自身が考えている以上に身体と心を縮ませている。
あなたはどうですか?


ウイルスに伝染するかもしれないという怖さではなく、この状況が長引くかもしれないということへの怖れ。
これはわたしにとっては閉じ込められるような感覚があり、それが本当にイヤ。自由を奪われるような怖さ。
それを感じてるとき、わたしの身体はエネルギー体も含め縮んでいる。自分が狭くてとても息苦しい。



この身体の緊張、無理に解こうとしたってなかなか大変。
なんてことはなく、すぐに解ける方法がある。



それは今起こっていることに意識を向けること。


呼吸に意識をむけて
自分が考えていることに気づいて
自分が感じていることに気づいて
身体に起こっていることに気づいて


身体全体に
身体のパーツに
感覚に
わいている感情に
考えていることに
起こってることに
気づいて


それらを
判断をもちこまず
追い出さず
入り込まず

そのままそのまま
居場所をあげて



どんなものであれ、
今わたしに起こっていることに間違いはない
自分が良い悪いと判断することはあったとしても

そう感じてみるとなにかがほどけていく。



自分を変えようとするのをやめると変容は起こる。

やってみたひとだけがその魔法を知る。
魔法ってシンプル。



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ハートの先端は手。手は表現者。

あたたかくなりました!
春分が過ぎ、うちの地球暦も2020年バージョンに。
新しいはじまりは清々しい。

そして今回もお味噌つくったよ。
今年はだれかに声かけずにわたしたちだけで。
たくさんの量の大豆をつぶすのに大変で、いま腕が筋肉痛。
1年は寝かせておいしくなったら好きなひとたちにシェアする予定。

あと甘夏マーマレードも。無農薬のものでそのままだとめっちゃ酸っぱかったんだけど、ジャムにしたら酸味と苦みと甘みの加減が最高。



ものを創るというのは、すごくいい。

文章を書くでも、ごはん作るでも、マッサージでも、
なにか創るときは手をつかう。
なにか伝えるときは手をつかう。

その「なにか」とは、
愛、感謝、励まし
いろんな言葉がでてくる。


あなたの「なにか」はなんという言葉で表せる?
あなたが伝えたいものはなんですか?
もしかしたら言葉では表現できないけどしっかりと感じれる「なにか」。


手はハートの先にある。ハートの先端部分が手。
手は表現者。
そのあなたの伝えたいものを手にのせてね。
だれかの手から伝わってくるものをちゃんと受けとってね。


言葉で伝えるのが難しいと感じてるときは手をつかおう。
伝える相手はだれかだけじゃないよ、自分にも。

手をつかうほどにハートもゆるんでよろこぶ。
手をつかおう、しっかりとその心を込めて。
恥ずかしがってないで。
ほんとは伝えたいこと、愛、を伝えよう。



近くにいるひとが怖がって固くなっていたら、
手で背中を撫でてさすってあげよう。

自分がどうしようもなく不安でだれにも言えないなら、
手のひらでそっとゆっくりと頬っぺたを包んであげよう。

大丈夫、怖がっても大丈夫、泣いても怒っても大丈夫。
その呼吸で、その身体で、その癖で、その強さで、大丈夫。
その手は、そのままのあなたが大好きなんです。




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マイパワースポットと効果

今日はずっと雨が降っていたけど、夕方散歩に出かけたら、太陽がひょいっと顔をだして、ダブルレインボウが!
虹見るとなんでこんなにハッピーになるんだろうね。


ハッピーといえば、わたしの日常のハッピーのひとつは銭湯!
スーパー銭湯じゃなく、銭湯。手軽で、行けば必ず気分爽快になる。
けど、気分だけじゃない。身体もハートも満たされる場所。パワースポット。

単純に大きなお風呂が好きだけど、
銭湯には人の日々の暮らしがある。そこがとっても好きなところ。

おばあさんもおばちゃんも若い娘もみんなが素っ裸。みんなちがう身体をもってる。でっかいちっちゃいおっぱい、片方だけのおっぱい。大きな手術跡、タトゥー、贅肉いっぱい、ガリガリ。この生を生きてきた証。老いててもぴちぴちしててもそれぞれの歴史。生きてるわたしたち。裸を見てると、わたしたちはだれひとり間違った身体を身に着けてきてないなっておもう。みんな今の自分にぴったりの身体。

汚れを落として洗って温めて、心身ともにほぐれてすっきりして上がっていく。
今日一日の疲れをとる人もいれば、夜の商売にむけて養分を得るかのように仕事前に来る人もいる。

昔からある日本の暮らしの一部。そこで年寄りから赤ちゃんまでいて、女としてのこと、育児や暮らしその土地のこと、いろんなことを教わったんだろう。


生きてるってええなーって思うの。銭湯にいると。


わたしにとっての銭湯パワースポットは、身体があったまるという効果も大きい。

身体が冷えてるときと、あったかい時の気分の違いは明らか。

気分が落ち込みやすい人は、特に胃から下、下半身をゆったりと温めてみて。鼠径部はしっかりと。
そして温まってからの気分の違いを感じてみて。

大きな変化を求めてるなら、シンプルなことをやってみるといいよ。
身体と心は密接。
身体と心を心地よくさせると、本当にやるべきことをたやるための力が内から湧いてくる。




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