今、本当はなにを望んでるんだろう。本心は。
それが手に入らないと思いこんで、またはそれが手に入らないことがこわくて、
食べ物や仕事やネット、スケジュールをいっぱいにして、たくさんの人との付き合いや学びなどで満たそうとする。
でもそれはほんとうには欲しいものじゃない。
代用品では満足がこない。いつまでたってもなにかずっと足りない。
自分がその代用品にされるのはいやだ。
そして自分の周りの人や物を代用品としてつかうこともしたくない。
ひとりになりたくなくて、だれかと会う。
ひとと関わりたいのに、だれかとふれあいたいのに、どうしていいかわからなくて、関わることから起こる葛藤がいやで、ひとりでいる。
そのうちになにが本当でなにがごまかしだったのか、わからない。
逃げるための代用品がたくさんある。
だから余計にいろんなことがむずかしくなってるのかな。
ちがう、代用品がたくさんあるのではなく、貪欲さゆえにどんなものでも代用品としてしまうんだな。
自分にとって大切なことを大事にする。
自分自身も、今縁あって出会ってる人たちも。自分の本当の気持ちを。
いつもうまくじょうずにできなくても、何度もトライ。
ひさしぶりに開催します!
ニュートラルのワークショップ
7/2.3(土日)
7/2.6(土水)
@ウーヌス
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マルガの提供しているセッション
身体に触れることで自分とつながる
・Body work session ボデイワークセッション
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感じるを目印にさまざまなツールをつかって自分とつながる
・Individual session 個人セッション
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ふれると、ふれられる。
触れる触れられることについて、
どんなかんじ、あるいはイメージを持っていますか?
わたしはこの仕事をする前、はじめてからもしばらくの間は、
触れられることがすごく苦手だった。
たとえば同じ職場の人に練習のために触れられる時間とか、
ふとした時に唐突に友人から触れられる瞬間とか、
身体が閉じてしまう感覚。
触れるということは、実は触れている者から触れられている、
のだけれど、それに気づくと、触れるということへの感じ方、観方が変わる。
そう、実はわたしは触れることが苦手だったのだ。
でも、同時にとても魅かれていた。
触れるのがこわくて、触れられるのがこわくて、でもそれにつながっていたかった。
今も、気楽に・・触れることはできない。
それぐらい、わたしにとって人という存在はとても畏れ多い。
尊く、繊細で、大きく、未知。
同じ身体は見たことないし、触ったこともない。いつも初めて。
触れる前は、その身体ー存在を迎え入れる部屋を整え、さまざまな準備をする。
それはある意味、わたしにとっての儀式のようだとおもう。
触れるということはとても大切なことだから、
それに見合った準備がいる。
それは深刻ではなく、神聖だから。
いろんな場所にたくさんのマッサージのお店がある。
10分単位で手軽に入れるお店もいっぱいある。
それはやっぱり触れられることを多くの人が求めてるからなんだろうと。
人とのつながりがもてないと、わたしたちは生きていけない、健やかでいれない。
疲れてるのは肉体よりも、先に心の方。
触れられることでどこかが安心する。
だからマッサージのお店は多くあるのだと思う。
oshoがマッサージについて語っています。
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すぐに終わってほしい
1週間、表現アートのワークに参加していました。
名古屋にもどってきて、のどの痛みと体のだるさと風邪の症状ににたものが出て、
わたしの中のいろんな調整が起こっているようでした。
頭痛や風邪みたいな症状、なにか普段とは異なることー不調が起きると、すぐにそれを排除したくなります。
薬で抑えようとはしないかもしれないけれど、自然療法のようなものを使って対処しようとする。
すぐに去っていって欲しい。
対処的というのは、ある状況に直面した出会い方のひとつ。
もしそれが身体の不調だとして、薬で抑えるような方法ではなく、自然なツールをつかっていても、それはホリスティックー全体的ではないなと思います。
セッションやグループに参加して、すぐに「効果」「よくなる」を期待する気持ち、
それが出てくるのは当然に思えるし、すごくよくわかる。
実際に一瞬でなにかがシフトすることもある。
でもそればかりじゃない。その期待する気持ちは依存的で対処的でもある。
わたしたちの身体も考え方も時間をかけて繰り返ししてきたことの、今。
なぜ今それが起こってるのか。
理由を考えるのではなくて、
それが今起こっている。それを感じてみる。
早く終わらせようと躍起になっている自分、よくないことが起こっていると判断してる自分、
わたしは弱いと嘆く自分、あいつのせいだと攻撃する自分、もっと大切にされたい、いろんな声、訴えが聞こえる。
より大きな視点・全体として、今起こってることを観たいなと思う。
その視点は自分にとってもだれかにとってもその症状にも、あたたかいはず。
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声に出して呼ぶーー内側を現してみる
何度聴いても涙が出て仕方なくて 一体いつまで泣くんだろう
そう思っていたけど
1週間ずっと聴き続けていたら泣かずに一緒に歌えるようになったんだ
友だちがある歌に出会って、それがすごく響いて聴き続けていたという話。
その友人らしい。
わたしもなにかに響いてふと涙することがよくある。
その友だちのようにダイブするみたいに、っておもしろいなーと思った。
今朝その話を思い出していた。
ふと口に出してみた。
お母さん
声にしようとした瞬間、 すごくざわざわしてわたしの中が大騒ぎしてる。
涙が出る。
なんで、お母さんだったのか。
考えもなく突然に出た。
何回も声に出してみた。
最初はただ音にしただけ。
それでも泣ける。
そして呼んでみた。
お母さん
何回も声に出してその人に呼びかけた。
お母さん
今の年老いた母でなくて、あの時の母に。
わたしが幼かった時のお母さん。
呼んでいるのは小さなわたしなのかな。
ねえねえ
なあなあ
お母さん
こっち見て
小さなわたしはなにを言いたかったのかわからないけど。
お母さんと呼びかけることはすごくしあわせで必死な訴えだったのだと思う。
ただふと湧いてきたものを声に出してみた、それだけのことだけど。
内側のものを現してみるー表現ー
そのプロセスとしてなにかがどこかが起こされ癒され満たされ。
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4/6 瞑想会テイストオブミスティックローズ
4/16 ウーヌスサンガ
4/23.24 ニュートラルなタッチ
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仕事ってなんだろう
仕事について。
仕事ってなんだろう、って一生懸命考えた時期がある。
仕事ということがなんなのわからなくなったから。
わたしの辞書の「仕事」ってどうゆう意味なのか。
つまりわたしにとって、仕事ってなんなのか。
仕事が何なのかわからないなら、仕事はできない。
わからない中でわかっていたことは、仕事はお金を稼ぐだけのものではないということだった。
考えても答えは出ないかもしれない。
けど、なぜ?という疑問がわかないと知らないまま。
その言葉は自分にとってどうゆう意味なのか。
探した者には、答えとは限らないけれど、なにかが与えられる。ご褒美みたいに。
わたしにとっての仕事とは、今は知っている。
そして多分、これからもその意味は変わっていくのかもしれないなぁと思う。
あなたにとって仕事ってなんですか?
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明かされていく
ものを書く時間は普段からあるけれど、ブログとして書くことが減った。
だれかに自分の言葉を見てもらうのが、しばらくの間必要に感じていなかった。
わたしは、「表現」に興味や葛藤があり、それに気づいたのは大人になってから。
興味というより、ロンギング、渇望。
そして、それはわたしだけでなく、多くの人にとってもそうかもしれないと解りだした。
表現することで明かされていくものがある。
自分は今なにを感じているのか。
なにを怖れているのか。
なにが心地よくて心地悪いのか。
自分にとっては慣れ親しんだものだったとしても、
それを例えば文章にしてみる。
すると、思わぬかたちで、それが展開されていく。
感じることを言葉にすることはとても難しい。
なぜなら感じているものは言葉を超えたものだから。
言葉にしないことで明かされていくものがある。
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2/27 数秘リーディング&瞑想の会
2月27日(日曜日に数秘リーディングと瞑想の会をウーヌスにて開催します。
1月からスタートした瞑想の会。
今回2月は数秘リーディングと合わせて企画しました。
数秘術は自分を知っていくためのひとつのツール。
古代からの知恵。
自分にまつわる数を言い訳やレッテル貼りにつかうのでなく、
人生を活かすためにつかえれば、とてもパワフルです。
どれだけいいものを持っていたとしても、 それに気づいて使わなければ、それは持っているとは言いがたい。
どんなものもそうですよね。
自分に関わる数を、自分で育てていく。
数や天体などの古代の知恵やさまざまなメソッド、そして自分の才能や資質。
それを自分が実際に体験していくことがそれらを知るコツ。
今回のリーディングは短い時間ですが、あなたにまつわる数を共に読み解いていきます。
数からみる人生のテーマは?自分の人生のサイクルは?なにを深めたい?
自分を知ることは、ある意味、諦めることだと思います。
自分の持つすべてのパーツを並べて、それをニュートラルな視点(!!)で観て、 それを活かしている時、
わたしたちは満足を感じているのではないでしょうか。
この日の瞑想はOshoクンダリーニ瞑想を予定しています。
この瞑想は日没に行われる瞑想です。 初めての方も参加していただけます。
数秘リーディングと瞑想会はひとつだけの参加も両方の参加も可能です。
もし予定が可能なら是非、両方にご参加ください。
1部 数秘ミニ講座
2/27(日曜) 14:00〜15:30
参加費 2.000円
参加希望の方は、生年月日とお名前(ローマ字で表記)を事前にお知らせください。
☆もし氏名が変わったことがある方は出生時と現在の両方
2部 瞑想会
2/27(日曜) 15:30~17:00
参加費 1.000円
予約・問い合わせは
CONTACT
または
スタジオウーヌスまで
2/27瞑想会&数秘リーディング
2/27日曜日 数秘リーディング&瞑想会をウーヌスにて開催します。
数秘術、おそらく多くの人が一度は聞いたことがあると思います。
わたしが数秘術と出会ったのは約15年前。オーラソーマのクラスが初めての出会い。
めっちゃおもしろい!そう感じて、 自分に関わる数字をもっと理解したくて、
講座に参加したり本を読み、友人たちにも数をよんであげたりして、セッションでも数の神秘を伝えてきました。
今は数秘だけのセッションは提供していませんが、 変わらず今もセッションのサポートとしてつかっています。
自分の誕生日も名前も全部自分で決めてきた。
数秘術ではそう言われます。 自分の数からさまざまなことがみえてきます。
これまで生きてきた道のりを数秘をもちいて解いていくと、本当に感心します。
よくできてるなーと。
この賢い知恵を、生きるうえでの目印やツールとして、自分の数を知っているのはとてもいいと思います。
わたしは久しぶりに数秘術にふれる機会をもち、今までとは異なる数の体験をしまして。
そのことがリーディングによい効果をうむのではないかと思って、シェアする機会を用意しました。
当日はそれほど長い時間ではないですが、参加者それぞれ個人の数にまつわることをしっかりと読んでいきます。
あなたの数はあなたに何を伝えてくれるんでしょう。
魂の目的、才能、人生のサイクル。
自分を知る新しい視点が加わったらいいですよね。
この日の瞑想はOshoクンダリーニ瞑想を予定しています。
この瞑想は日没に行われる瞑想です。
初めての方も参加していただけます。
数秘リーディングと瞑想会はひとつだけの参加も両方の参加も可能です。
もし予定が可能なら是非、両方にご参加ください。
1部 数秘ミニ講座
2/27(日曜) 14:00〜15:30
募集人数 3名
参加費 2.000円
参加希望の方は、生年月日とお名前(ローマ字で表記)を事前にお知らせください。
☆もし氏名が変わったことがある方は出生時と現在の両方
2部 瞑想会
2/27(日曜) 15:30~17:00
参加費 1.000円
予約・問い合わせは
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または
スタジオウーヌスまで
そのままーくつろぎ
寛ぎというのは、人が存在している時の状態だとおもう。
元々の、自然な姿として。
ただ在ること、在りのまま、それは必ず寛ぎがある。
存在と寛ぎというのは切り離せない。
寛ぎはわたしたち本来の自然な状態。赤ちゃんみたいに。
けど、成長していく過程で、わたしたちは寛ぐことがなかなかできなくなった。
寛ぐってなんだっけ?どうするんだった? わたしってだれ?
寛ごうとすればするほど、どんどん固くなる。
知ろうとすればするほど、わからなくなる。
内からの自然な欲求、外からの要求。
そのバランスがどんどん傾いていく。
いつのまにか、外からの要求にこたえることが当たり前で、
もしかしたらその方が楽ちんとまで思うようになったりして。
そうしているうちに内からの欲求が、よくわからない。
そんなふうに、寛ぎから自分から離れていくのかなとおもう。
けども、寛ぎはわたしたちの本来の状態なのであれば、
そこへ戻ろうとするはず。
ほんとはむっちゃ簡単だ、寛ぐって。
ただ力を抜けばいい。
もし力が抜けないなら、今よりもっともっと力を入れてみる。
それでパッと力を落とせば、あら簡単、寛ぎがやってくる。
緊張に気づいてみて。
自分がなんとかしなきゃとコントロールしてることに。
だれかになろうとしてることに。
小さな欲求にこたえてみて。
ほんのちょっとのことに。
小さいことを小さいと見ないで。
そして、寛ごうとせずに、今のリアルな自分をただ感じてみる。
そう、わたしのまま、そのままでいいんだった。
ニュートラルなタッチ 2/5.6開催します。
2022年2月5日(土)午前11時〜午後6時
2022年2月6日(日)午前10時〜午後5時
場所:スタジオウーヌス 名古屋市内
寛ぐこととは、
自分の欲求を大切にすることとは、
自分と人との双方の欲求を満たすこととは、
セラピストやボディワーカー
自分を知りたい方、自分を表現したい方、
セラピストになりたい方、
人との関係性に難しさを感じている方、
みんなで集まり、分かち合い体験するフィールド。
詳細は
http://www.banyantree8.com/blog/2022/01/2022-1511548.html
問い合わせ・申込:CONTACT
対面したら
条件付けから自由になるということ。
人のことは見えやすいのに、自分のことってそれほどでもなく。
自分の行動をよくみると、なにかニーズが隠れてることがある。
ほんとはなにが欲しいんだろう?
素直になってみたら意外とたくさん出てくる。
それを人が知ったら笑うかバカにするか嫌われるだろう、と自分が思っている。
だからそのニーズを隠す。いつの間にか、自分にも隠している。
自分の中の秘密。
誰かにではなく自分が自分にクローズしてる。
こころをちょこっとだけ開いて目を合わせて秘密と対面してみると、
すごく気が楽になる。
なんだか誰かにゆるされたような気持ち。
わたしがわたしにゆるされたのかもな。
ニュートラルなタッチ開催します。
自分にとって心地よいとは心地悪いとはどういう状態なのか。
心地いよいとはどうやって創りだすのか。
コミュニケーションするとはどうゆうことなのか。
自分と、他者とつながるとは。。
探究、体験する場。
2月5日(土)午前11時〜午後6時
2月6日(日)午前10時〜午後5時
@スタジオウーヌス(名古屋
詳細はこちらより
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