こないだ3年ぶりの再会があったの。
ここのところ毎日、わたしは近所の神社へお参りしてる。氏神さんではないのだけど、とってもいい神社なんだよー。
その日は朝、用事が終わった後、神社へ。
鳥居の前まで行くと、普段は降りている神殿の前の白い幕が上がっているのに気付いた。ウエルカムされてるわぁなんて思いながら鳥居をくぐったら、いつもは戸が閉まっている社務所が開いていて、何人かが掃除してた。神主さんの姿もある。
その神社は普段はひとがいない。年始とかの時期だけ近くの神社の神主さんや氏子さんたちがいて社務所を開けてる。
その人たちと軽い挨拶をして、数段の階段を上り参拝しようとしたら、なんか見たことある顔が。
すぐに思い出した、と同時に声かけてた。
「覚えてますか?どこどこでお会いしました!だれだれさんのあの・・!」
って、ドすっぴんでメガネのわたしに気づかれないかもと思い、メガネをあげて顔を見せたら、もちろん、と覚えてくれてて。あの時とは髪型も変わりましたねって。そうだ、ロングだった。
その日はたまたま月次祭(月に一度行われるまつりごと)だということ、その方はその神社のお手伝いをされてるということで、
そこにいたみなさん、宮司さん、(おそらく神さまからも)、よかったらお祭りにどうぞと声をかけてもらい参加させていただいた。
今まで気づかなかったんだけど、いつもお参りしてる横にも小さな神殿があって別の神さまがいることをおしえてもらい、またそことはちがう場所にも別の神さまがいてお参りさせてもらい、いろんな興味深い話も聞かせてもらったり、ほんまなんと有り難いこと。
その方と3年前会った場所もまた印象的な場所で。そういえば今思い出したけど、あの時も同じ神さまがお祭りしていた神社にたまたまみんなで立ち寄ったんだった!おおお
神さまのこと、神話、神事のことなどわたしは全く詳しくないんだけど、小さいころから母の影響でなんとなく触れてきた世界。
母が一緒にみせてくれたものはもう少し厳しいかんじだったけど、今のわたしの感じてる神さまの世界はちょっとちがう。
ほんとは細かく書けば、小さな偶然がたくさん重なってのその日の再会だった。みんなもそうゆう体験してるでしょ?楽しいよね。
何の意味?なんて想像も楽しいかもしらんが、この再会とこの時間を共有させてもらったことがもうめっちゃハッピー!
★★★マルガオリジナルセッション
つながるセッション
★★問い合わせはこちら(スタジオウーヌスのページへ)
タグ: 身体、感情、マインド
小さな子がおしえてくれたこと
数日前に小さいころの記憶を思い出した。
母が家出をしたときのこと。
わたしは小学校1年生くらいだった。
夜、父と母がケンカをしだした。よくあること。けど、その時はいつもとちがった。母が荷物をまとめて出て行くと言い出した。
わたしは泣いて一緒に行くと言った。だけど、連れて行ってもらえなかった。そして母は出て行った。
いつも両親がケンカすると上の兄がとめようとして下の兄は何も言わずじっと固まっていた。
母が家出をしたのはその時だけ。
ほんの数日間だったかもしれない。
数日前にこの記憶を思い出した。今までもあった記憶。
でも今回はその記憶が出てきた途端、身体の一部がぎゅーって痛くなって、感情がどっと出てきて泣いた。思い出す度に何度も涙がでた。
めちゃくちゃ怖かったよね。お母さんが自分をおいて出て行ってしまうなんて。
40年以上も前の記憶。それは忘れていた記憶じゃない。母とも話したことがある思い出。でも、その小さな女の子にはどれほどの痛み。ショックだったのか、今までのわたしは知らなかったんだ。
今の自分に影響を与えていなかったはずはない。自分の人との関わり方、今までの親しい人と繰り返してきたパターンがこの記憶によってスルッとつながった。
おしえてくれてありがとう。
いくらでも泣いていいよ。あなたはもうおいてきぼりにはされない。わたしたちはずっと一緒にいる。
★★★マルガのオリジナルセッション
つながるセッション
★問い合わせはこちらから(スタジオウーヌスのページへ)
頭つかうより筋肉きたえよう
頭ではわかってるんですよ・・でも・・。
ほんとはやりたいんですよ、けど、頭ではわかってるんです、だけど、どうしてもできないんです・・。
言い訳みたいなこと言う時、自分をかばおうとするときにつかう。
やれないのは仕方ないんだと言いたいのだ。
けど、わかったほうがいいのは、
頭ではわかってる・・って、それ自体がほんと?ってこと。
だって、頭ってめちゃ頑固だよ。そんな理解あったっけ?
頭(マインド)が、一番わかってないの。
頭(マインド)がやりたくないのよ。
だから、ほんとにやりたいかどうかはまずマインドからはなれてから。
はなれてからそこで感じてみたほうがいい。(そこってあなたにとってどこ?)
言い訳やめようとするより、無理やりやろうとするより、
その感じる筋肉を鍛えるほうがいい。
お正月は終わったらしい
そういえば今もまだお正月中だなと今日気づいた。
ウーヌスの裏のマンション工事がやっと静かになったのが影響してるのか?
もうそろそろ学校はじまるのかな?とか思ってたけど、もう始まって随分経ってるよね・・。元旦みたいに外も内もなんかすごく静か、不思議な感覚。立春までこれは続くのか?みなさんはどう?
エッセンシャルオイルが好きで、普段の生活の中で、エネルギーをクリーニングしたい時、身体にしっかりつながりたい時、ワークする時など、いろんな場面でつかう。旅に行くときも必ず持っていく。
薬のように、お守りみたいに、植物の命に大きくサポートされていて、その力をめっちゃ信頼してる。
セッションでもよくつかう。わたしはアロマセラピストじゃないから、それをつかってマッサージとかそうゆう使い方はしてない。
ふたを開けてただ嗅ぐ。
香りの分析も起こってることの解釈も放っておいて、ただ嗅ぐ。
香りが必要なことを起こしてくれるので、安心していい。
身体へもどっていくのに、香りはすっごく役立つとおもう。
感情とか記憶とか。その香りが好きか嫌いかってのも身体からのサインだし。
エッセンシャルオイルは超一流のヒーラーなのだ。そりゃそうか、植物だから。自然はわたしたちを癒し、元気にしてくれる仲間。
いいエッセンシャルオイルは、オイルとして抽出されても生(なま)の命のままみたいに力にあふれてる。いいもの選ぼうね。
★★★マルガのセッション
つながるセッション
★★★スタジオウーヌスホームページ
★★★問い合わせはこちらから
ちゃんと辿り着く
セラピストとして自分のスペースをもって独立したとき、身体に触れるセッションとオーラソーマのリーディングの二つをメニューにしていた。
もともと色が好きだった。いろんな色のコンビネーションや色の流れが好き。はじめてボトルがずらーっと並んでるのを見た時、おお!って感動したのを覚えてる。
そのボトルとの出会いからクラスに参加するまで、約10年くらいあったとおもう。なんて長い熟成期間。
わたしはその時、オーラソーマのクラスに参加するか、インテリアコーディネーターの学校に行くか迷って、インテリアの学校に行ったのだ。
2年通うはずだったインテリアの学校は1年でやめた。で、そのインテリア学校で出会った唯一の友人から、その後何年も経ってオーラソーマのティーチャーを紹介してもらってはじめてクラスに参加したという・・。巡り合わせというのか、人生の模様の創られ方っておもしろい。
インテリア学校で学んだことはほとんど覚えてないけど、オーラソーマからもらったものはたくさんある。ひとつは、色のパワー。これはすごいよ。わたしたちは色からたくさんのサポートを得ることができる。色ともっと仲良くなったらいいよ。そして数秘。これも好きだった。自分と関係してる数を理解することは、ちがう側面から自分を知るいい機会だし、生きやすくなるかも。これらはマルガのつながるセッションにも使う時があるので、知りたいことあったら尋ねてちょーだい。あと、人と関わるってどうゆうことなのかとか、教えるということとか、自分にとっての本当・不要とかを、プラクティショナーとしてというより、自分が学ぶクラスの中で解っていった。今の基盤になってる。あの時感じたことをいまだに覚えてたりするから。
本を読んでもわたしはすぐに忘れてしまうことが多いんだけど、その知識を体験すると、自分に残ってるというか身に付いてる。欲張ってたくさん取りいれても、自分にとって必要なものは身になる。安心して、10年後でも出合うもんは出合い、去るものは去るから。
★★★マルガのセッション
つながるセッション
★★★問い合わせフォーム
小さなことをあなどるなかれ~
週に3回ぐらいは銭湯に行く。
お風呂に入るのが小さいころから好き。
わたしは、赤ちゃんのころ湯船に入るといつもうんちをしていたらしい。
なので母はわたしのおしりにガーゼをあてて入っていたって。
その時のことは覚えてないけど、そうなってた理由がなんとなくわかる。
湯船に入った瞬間、気持ちよすぎておもわず声でません?
キバリ系っていうか、ウナリ系っていうのか、奥の方から出るタイプの声。イメージとして、おっさん風。
赤ちゃんはきっとその快がゆえにうんちが出ていたんだろうなって。
わたしたちは、集団生活の中で自由に身体の欲求を満たせなかったとおもう。
授業中じっとしてないといけないとか、トイレに行けないとか、給食残しちゃいけないとか、学校や所属してる集団のルールみたいなものに身体を合わせるように求められてきた。
身体をある特定のやり方で修練して精神を鍛えるというやり方もあるけど、方法からはじめるんじゃなく、身体からはじめる方がわたしは自然な気がするし好みなのよね。
おしっこしたいときにすぐトイレに行くとか、あまりにシンプルな話だけど、そうゆう小さなことが自分とつながるってことに関係してる。難しいこと考えるより、身体の小さな欲求かなえていこう。身体を「快」にしてあげることたいせつ。
★★★マルガのセッション
つながるセッション
★★★スタジオウーヌスのホームページ
★★★予約、問い合わせはこちら
問い合わせフォーム
こころが自由な方を
マルガです。
わたしは夢をよくみる。
夢がみせてくれる、暗示、比喩をわたしはすごーく信頼してる。
だからなのか、夢はより鮮明にいろんなことをおしえてくれる。
夢占いとかあるけど、夢の翻訳はその夢をみた本人がするのがいい。
あるひとに言われたとても印象的なことば。
人生に起こることは、翻訳してもいいけど、解釈はしないこと。
解釈するとややこしくなるよ、シンプルがいちばん。
言われたときはつかめなくて、けどめっちゃ大切なことやなとは感じたんだけど、最近わかってきた。
判らないってなんとも気持ち悪いことなんだよね。だからなんとかアレとコレをくっつけて結果を出そう、みようとする。それがあのひとの言ってた解釈なんだろうなと。
判らないことをそのままにしておけるって、成熟度高めでないとなかなか難しい。難しいんだけど、それが自然とできたときって、こころがとっても自由。
★★★マルガのセッション
つながるセッション
★★★スタジオウーヌスのホームページ
★★★問い合わせはこちら
2020あけましておめでとう
あけましておめでとうございます。
2020年になりました。
春分の日や立春など、1年のスタートは民族や文化によってもいろいろですね。
1月1日はローマ法王が決めた1年のはじまりの日だそうで。
いづれにしても、新しいはじまりって気持ちいい。
大晦日に、2019年にやったこと、学んだことなど1年間を振りかえってみた。どんな1年だったのかをはっきりと目で見るといいという話をどこかで聞いたので。新しいスタートをきるのにいいんだって。
最初は覚えてることだけささっと書きだして、その後はノートを見ながら書き加えてみたら、意外といろんなことを体験してたのよ。これも2019年?って忘れてることもあって。
わたしは印象的な夢をよくみるので朝起きてすぐにノートに書いたりしてる。あとグループとか参加したら感想とか身体の感覚とかその後の少しの間のプロセスを記したり。
そのノートを読み返して書き加えたんだけど、ノート読むのがめっちゃ楽しかった。夢とかほんとにおもしろくって。書きだすより、読み返してる時間がほとんどだったような・・掃除してて古いアルバム開いてもうたーみたいな。おもしろい、延々見てしまう。
で、この書きだしてみるワーク、すごくいい。忘れてたことを思い出すのって、その在処が見つかるかんじ。
やってみて感じたんだけど、満足度が増えるよ。
マインドは小さいことはカウントせずに大きな出来事に目がいきがちなんだけど、少しゆったりと落ち着いて書いてみると、いろいろとやってること思い出すし、真剣に考えてる自分がノートの中にいたりして、そうゆうのと出合うのっていいよ。わたし含め反省ばかりしがちな人は、特にすすめる。
2020年、たくさんの方の美しさを見出すお手伝いをしていきます。
お会いしますのを楽しみにしています!
★★★マルガのオリジナルセッション
つながるセッション
★★★スタジオウーヌスのホームページ
★★問い合わせフォーム
知らないを知る
毎日見てる顔なのに、あれ?このひとだれだっけ・・ってなるような、
初めてそのものと出合ったような感覚が時々やってくるんだけど。
自分ではその人のことをよく知ってるとか解ってるとか思ってるけど、本当には理解してない。
そうおもってる自分、解ってないことを知ってる自分がいることは、わたしにとっては大事なことのように感じてる。
それに気づかないと、幻想の世界だけにいることになるから。
幻想の世界とは無意識とかルーティンとか。
自分がいつも自動操縦で動いてるとしたら・・想像したらこわくない?生きてないんだよ。
みんながマイワールドにいるって知ることが、本当の意味でつながりが起こってくるはじまりなんじゃないかなとおもう。
わたしの知ってるあなたと、あなたはちがう存在。
わたしがわたしだとおもってるわたしと、わたしはちがう存在。
まずは、自動操縦のスイッチを切って、そのロボットからヨイショと出て、初めての空気に触れて、感じて、吸って、吐いて。
気の済むまで何度でも、その初めての空気をあじわい、
そして、鏡を見る。
ハロー、こんにちは。はじめまして!
どんなひとがうつってた?
★★★つながるセッション
スタジオウーヌスのページ
予約、問い合わせはこちらから。
クリエイション
はろー!マルガです。
ちょっと喋ってたことを残したくて、ここに書く。
どんな世界を創る?
女でいれる場所で生きたい。女で生きたい。
感情は一定じゃない。泣いたり笑ったり怒ったり。感情豊か。
感覚的。身体の生理機能(内側)からも環境(外側)からも影響を受ける。敏感、繊細。
波のよう、バイオリズムとか、季節の移り変わり、四季みたいなもの。
自然とおんなっておんなじ。
女は自然。
自然に生きる。女で生きる。
波があることは、今までの社会では嫌がられてきた。波があるって一定じゃないってこと。
ずっと一定、上向き、ってそれが大切だと思わない。経済、売上がずっとずっと前年比アップ目指すって、なんかどこかおかしい。自分が生きてることはだれかの負担の上、そんなん終わらせる。
海女さんは、海に潜って見つけたもの全部持ってこないんだって。今採るもの、頂くものをちゃんと知ってる。かっこいい。
家族の中で財政つまり豊かさのキーを持ってるのは妻だっていう。妻がゴキゲンさんだったら、その家は安泰だそう。それが家族というコミュニティじゃなくて、もっと大きくとらえられたら。
人には波があるもんだってもし理解していたら、協力がうまれる。協力って力の無いところに力を貸すんじゃなくて、それぞれの力の出し処が最適ってこと。だからそれぞれの色、才能がより開いていく。
それぞれにリズムがあること、それはわかっているようで、普段の生活ではなかなか難しい。 当たり前で自然なことを、わたしたちは抑えてきたんだよな。我慢とか、薬とかを使って。だれかの良い悪いの基準に沿って。
そして自然がなにかわからなくなって。だから自然からはずれないこと大事。自然って、ただの自分。ありのまま、そのままの。自然、自分、女という言葉はおなじ意味。アイデンティティや女性性の話じゃないよ。