思い出す

表現したいこと分かち合いたいこと、たくさんある。

だけど、交通渋滞みたいにスムースにいかないことがある。
それは多すぎるから、
言葉を選びすぎるから、
しっかりと伝えたいがために、
照れてしまったから。

でもほんとは上手くなくても、意味がなくても、
表したいことがいっぱいある。
そしてわかってる。
上手く、意味あることだけを表現するなんておもんない。





わたしは愛されている
わたしたちはみな愛されている

こうだから、ああだから、 だれから、どうして、
愛されてる理由も証拠もない。
探しても見つからない、そんなものないから。

いまあなたが存在していること。
あなたが今存在しているなら、 愛されているから。
ただもうそうゆうことなんだよ。

疑って疑って、理由を必死に探したっていいけど。
わたしたちはそうやって証拠探しをする。

欲しかった人からの欲しいかたちでの愛を得られなかったら、
わたしは愛されてないって思う?


無条件に完全に
わたしは愛されていたんだ

証拠探しを諦めた時、力を抜いた時、いつか、
遅かれ早かれ、それを思い出す。
時々忘れても、また思い出す。
思い出したとき、わたしはたくさんの涙を流す。


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なつかしいひとたちと再会

4歳くらいの小さな女の子を右ひざにのせて本を読み聞かせていた。

その本には女性の僧侶の人生が書かれていた。


こんなちっちゃな子にこの内容伝わるかな?
女の子は真剣に本をみてわたしの声を聴いている。
年齢なんて関係ないわな。


しばらくすると本を読んでいるわたしたちの周りを女性がうろうろしてる。
気付いてほしそうなかんじが伝わってくる。

視線をあげるとそれは女の子の母親だった。

そっか、そろそろ行く時間か。

女の子とはバイバイした。


女の子を膝にのせていた時の感覚。
やわらかい感触と髪のさらさら。匂い。服の色。


これは昨日みた夢。


その本には僧侶の名前が太字で書かれていた。
覚えておいてねとでも言ってるみたいに。大丈夫、夢からでた今も覚えてる。


小さな女の子は小さいころのわたし。
あの髪のさらさらはまさに自分。細くてまっすぐで柔らかくて、もつれて大変だった。

物語の尼さんもわたし。

登場人物、ぜんいんあたし。




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内なるマスター

ひさしぶりです。
旧暦の新年も過ぎ、暦の上でも気候ともに春ですね。

毎日歩いていて感じるのは、桜の木の香りが日に日に強くなっている。
さくらもちの季節だ。



わたしは最近、過去の記憶をたくさん思い出しています。

覚えていたけれどそれほど気にも留めていなかったこと、完全に忘れていたこと、まあとにかくいろんなこと。


ある記憶をひさしぶりに思い出した。
いままで友人に話したこともあり、小さい頃のかわいいエピソードぐらいにしか思っていなかったのだけど、今回思い出したら泣けてきて、泣いたことにも驚いたけど、その時の想いも思い出して、それがわたしにとってはすごく重要というか大事なことで、こんな大事なことを忘れてたかと。
内なるこどもはわたしのマスターだ。
もう一度その想いにつながれて今とてもしあわせ。



凍結しているエネルギーはわたしたちに気づくものがあることを知らせてる。
それとのコンタクトは最初は痛い。それはひととの関わりの中で起こる。
そしてわたしたちは怒ったり閉じたりする。あいつが悪いと。

マインドはほんっとに巧妙だから、あいつが悪い理由をたくさん教えてくれる。それに乗っかると、ある意味ゲームオーバー。チャンスは次回へ持ち越される。



癒しが必要なことを恥ずかしいことととらえないで。
自分に癒されてない部分があることを自分は不十分だとみるのはなにかの思い込みがあるから。


それと同時に感じるのは、自分を完璧に癒さなければ自分の人生は生きれないと思い込んでないかなということ。そんなわけないよね。
まずはぜんぶ綺麗にしてから生きようというなら、多分今世はその掃除だけで終わる。いや今世だけでは足りんかな。


ベストなタイミングでベストなことが起こる。
ちょうどの時にちょうどのことと出会う。
その時に、だれのせいでもなくなにかが理由でもなく言い訳は置いといて、
真摯に自分とつながろう。


どんな素晴らしいメソッドもそれだけではわたしたちを癒すことはできない。
わたしたち自身のコミットがなければ。

それは、わたしたち自身にすべての力があるということだよ。



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歩くっていいことだらけ

ぷらっと散歩するというのではなくて、
しっかり歩くというのをはじめてしばらく経つ。

朝歩く、とか決まりをつくらずに、その日の予定に合わせて歩く時間を見つける。
スマホに付いてる万歩計で、歩いた距離と歩数を見るのが楽しい。

うちから山崎川という桜の名所まで約15分。
山崎川の周りを歩いて帰ってくる。
それでだいたい5.000歩ほど。




山崎川の周りは車が入れないので、すごくいい。
公園があって子供たちの声やもくもくと走るひととか。

屋外で車の音がしない場所は安心感があり、自分のスペースが拡がる。





万歩計の楽しみもあるけど、とにかく身体が気持ちいい。
めんどくさいなーって思うこともあるけど、歩きはじめると身体がむくむくと喜びだす。

20分歩くとしあわせホルモンが分泌され始めるらしいが、ほんとにしあわせーがやってくる。

身体ってなんでこんなに賢いのかしら。


で、毎日続けてると、そのホルモンが出てくる時間が短くなってる。
身体がもう知ってるから、すぐに反応するのかも。これはわたしの体感ですがね。





まだまだいいことありまっせ。
身体が引き締まった。体重は2キロ減った。すごくない?

わたしは今、更年期という時期でもあり、
身体の内も外も心も変化を感じてるけど、歩くことで得た恩恵にほんとにびっくりしてる。


とにかく気持ちよくて、身体は喜ぶし、気分はいいし、マインドがおとなしくなるし、勘が冴えるし、顔色は良くなるし、身体が引き締まるって、こんなにも変化を感じるとは。

おすすめ。




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くつろぎのセッション

くつろぎというのは、わたしたちの本質。


くつろぎにあるときそれは、存在とひとつ。

だからあんなにも心地がいいのだね。
安心感で満たされ、心強いんだ。




サイキックマッサージはくつろぎの場にもどるマッサージ。

受け手であるあなた、ギバーであるわたし、
あなたとわたしが、
わたしたちになり、
源にかえる。



源、存在とつながりを思い出し、
存在から愛されていることをしっかりと身体に感覚に根付かせて。
そして今日も自分の道を歩く。



つながればいつもここにあるもの。


でもどうしても思い出せない時がある。
さびしくて仕方ない、不安で心許ない時ってある。



大丈夫、わたしたちは愛されてる。

それを思い出せる、
サイキックマッサージはくつろぎのセッションです。

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触れ合わないように

わたしたちは触れ合わないようにするのにとても慣れてる。


それはこの今の状況でそうなったのではない。そのずっと前から。
ほんとに小さい頃か、思春期か、いつからなのか忘れるくらい前から。
だから今の距離を保とうとする状況を、とてもホッとしてるひともいるかもしれない。




触れ合わないように、というのは、
感じないように、ということ。



だれかが困っていても、
言葉をかけること、手を差し伸べることがとても難しい。
そのひとの痛みを感じることがこわい。


自分が苦しくても、そのまま苦しいと言えない。
そう言うと、弱いところを見せると、なぜか負けてしまうような気がして。
相手にというより、もう自分が保てなくなりそうで。




触れ合うことをゆるさなければ、痛みを感じることもない。
けど、それが痛みだ。


感受性が強いというのは、本人にとって楽なことじゃない。
社会にいることが、どれほど大変なことだったか。


その大変さをくぐり抜けるため、
感じるひとたちは、感じないようにすることにした。


触れ合わないように。
だれにも、もちろん自分にも。


目を閉じて、息を最小限にして、耳をふさいで、体をぎゅっと固くして。
油断してはいけない。
すべての感覚、全身を固いコルセットで締め続けなきゃ。




これはわたしの話で、だれかの話でもある。

セッションに来られるのはこうやって生きてきたひとたちがとても多い。
感じないようにして生きたことで守ってきたはずなのに、
なぜか苦しい。
好きなことがわからない、感じるってどうやったらいいのと。

古くなった生き方から脱皮するときがきたよ。
困っていないで、喜んだらいい。お祝いだから。



正解に自分を合わせることから、
感じたことを表現していくことへ。
あっち向きとこっち向きくらいに正反対。


さて、どうやって思い出していこうか。
自分の奥に隠れてる感受性を。



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いろんなもの持ってる

言えなかった言葉、
言ってしまった言葉、
わたしたちの中にはこれらの残骸がたくさんある。

自分を、だれかを、責める気持ち。


伝わらなかった、
伝わった、

自分が伝えたい想いではないものが届くこともある。

わかってほしかった。




勇気が出せなかったことも、
みんなから間違ってると言われたことも、
誤解をされたままのことも、
思い出して苦しくなる出来事も、

ぜんぶ、Deleteキーをタンッと押して終わったら。




わたしはそんなんイヤだ。

いろんなものを持ってる自分でいいよ。


なんでもかんでも、
クリアに、浄化して、消毒して、って、

なにを怖れているのだろう。





節分。
お昼ころ、歩こうと外へ出たら、春のにおい。


明日は立春。
暦ってほんとに賢い。



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スーホの白い馬

天才か反逆者か
https://banksyexhibition.jp/

楽しみにしてた。 名古屋でも、もうすぐはじまるバンクシー展。



スーホの白い馬という絵本を知ってる?
この本にまつわる思い出。


わたしには甥がいる。
その中のひとりの甥が小学校低学年のころ、
この本が課題図書として宿題で出された。

彼はこの本を読んで号泣して、ひどい、悲しくて読めないと言って、途中から読めなくなってしまったという話を思い出した。

感情がすごく豊かで、ユニークな子。あの感受性は今もつかってるのかな。


この本、わたしも読んでみた。
泣いた。そりゃ泣く。わかる。悲しい。
読みながら、甥のことも思い出して余計に泣けた。

彼らの小さい頃のたくさんの場面を覚えてる。




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へそが溶けた話

去年の6月、実家へ帰ったときに母から渡された。
「これ、もうあんたが持っとき」

へその緒だった。

母はこれをしばらく前から渡すつもりだったらしく準備してた。


なんでへその緒??
突然で驚いて尋ねたけれど、 あんたのものだから、とだけ。


なんか意味ありげやなー。シンボリックなかんじ。




そこから一か月ほど経ったころ、突然にへそが痒くなりだした。

朝起きると、おそらく夜中のうちに出てた膿のようなものが固まってガビガビになってる。
へそがそれで満タンになってる!
(想像力あふれるひとたち、気持ち悪かったらごめん)


そのへそから出た膿のようなもので、へその周り全体が炎症をおこして真っ赤。
それもまた痒い。
へその内側も周りも痒 い。
腫れあがってるからへその形まで変わってるやん。


めっちゃ昔に聞いた友だちがへそのバイキンが入って大変なことになった話、
ギリが話してた、へそが無くなったひとの話を思い出す。
こわいよー。



原因がわからない。 なにが起こってる?
へその緒がわたしに戻ってきたことが関係してることはわかる。


こわいし痒いけど、病院に行って炎症を無理に止められたくない。
出たがってるものがあるのなら出るのを手伝いたい。
デトックスであってほしい。へそよ、無事でいておくれ。


あんなにもおへそを日に何度も見ることなんて無かったというぐらい観察してた。今日もこんなにへそと連発してる。

毎日一進一退を繰り返してるようなへそ。
あかんと思いつつ、つい触ってしまうし。



そして12月に入り、
新しいへそ完成!



長かったな。
今でも気になって時々見てしまう。




2016年の夏、サイキックマッサージの創始者サガプリヤのイタリアでのグループに参加した。
わたしは大きな課題を持って日本に帰ってきた。

課題という言い方をしたけど、その時そんなふうには思ってない。
わたしはあまりにショックで帰国後悶絶した。受け容れられなかった。


この話はわたしの女性性の話で、いつかのタイミングでシェアしたいな。



そこから約4年経ち、ちょうど去年の夏ごろ、わたしはそのときの課題が、ある段階にきたような気がしてた。どう言っていいのか、課題が課題ではなくなったっていうのか。

それと同時期にへその緒が母から渡され、へそが生まれ変わりの準備をはじめた。



へそがぐちゅぐちゅいわなくなってきた頃、わたしはあることがきっかけで母へ手紙を書いた。
母へ渡すつもりはなかったけど、ただ自分が母へ言えなかったことを言うために。1通書いて、また書きたくなってもう1通書いた。
書いてよかった。

それが12月。


それから少しして、へそが完成した。




こないだ、内なる女性性の話を書いたけど、このへその話もそことつながってる、たぶん。
わたしの女性性がすべて癒されたからあの記事を書いたんじゃない。
なにかを教えようと思ってここがあるわけじゃなくて。まあ、時々は押しつけがましいけれど。


みんなといろんなことを共有したい。

体験してもない正解の話じゃなくて。マインドの都合のええ話じゃなくて。

自分が今感じてること、失敗したこと、しあわせーとか、自分たちひとりひとりが持ってる美しさ・パワーを思い出す方法とか。


それは役に立つかどうかはわからん。実は、役に立つことを書こうと思うと言葉が出てこなくて書けない。


マルガという媒体を通して、感じたこと、思ったこと、体験したこと、
それを素直に表現することがわたしのよろこびでチャレンジ。

この表現というチャレンジがわたしは大好きなのだ。


へその話、読んでくれてありがとう。



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自分に集中

自分に集中する
今わたしが日常の中でしていること。

自分に熱中する
までいければいいなという野望もあり、笑




自分に集中すること、いますごく大事だなと感じる。
いまに限らず多分いつもそれはそうなんだろうけど、でもいまわたしは自分に集中してる。

いまその時だ、自分に耳を澄ませ、すべてを見ろ、自分を満たせ、自分をしっかりと知れ、という感覚。




わたしたちはひとの役に立てたとき、とても気分がいい。
相手が喜んでくれたらなおさら。
子どもだったわたしは母親の喜ぶ顔がうれしかった。
それはその原型のようにおもう。

ありがとうと言われたときはうれしい。

けれど、それが過ぎてしまうとおかしなことになってくる。
自分を切り売りしてまでもひとの役に立とうとする。
その経験もよかったけれどね。もういいね。


ありがとうという言葉は魔法にも麻薬にもなるなとおもう。


どんな言葉であっても、それがどこから出てきたのか、自分の言葉を知っていたい。 そしてどんなところから出た言葉だとしても、自分の言葉を知ってたい。

醜いとか美しいとか、どうでも大丈夫。わたしは全体。




ひとの世話を焼くこと、頼まれもしないのに助言すること、だれかを心配すること、起こったことにこだわり続けること、メールの送信返信を過度に気に掛けること、おもしろくもないのについやってること、 そうゆうことから距離をもつ。

無意識にしているから、意識してみるとみえてくる。なにげなくやってることに結構なエネルギーを使ってる。
そんなことをやめるだけ。心配なんて相手にとっては迷惑な話だから。そこへ費やしてたエネルギーを自分につかう。





自分に集中してると、いい気分でいること満たされてる感覚、不満のときの状態を知ってるってすごく重要だ。
それをより知っていくこと自体が集中してるということでもあるかな。


そのいい気分とか、満ちてるとか・・・塩梅がある。
なにかをごまかすためのいい気分、いやなことを避けるための満足は後で必ず不満になる。

自分のプロセスを経たからこそ知ってる、自分のええ塩梅。

料理の塩加減も、だいたいとか、なんとなくとか、経験したからつかんだ自分にとってのおいしいの加減ってあるやん。 そうゆうの。



自分にとって大切なことを大切にして優先する。
そうゆうことがいまのわたしの集中です。
ひとが好きだからこそ、
大切なひとたちと本当に関わるためにも自分に集中することが必要。

自分に集中してます。
けど、だからこそ、
あなたからの呼びかけにはまっすぐ真剣にこたえるからね!

楽しいよ、集中。



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