リ・メンバー

サイキックマッサージのセッションの料金を改定しました。




ここしばらくの間、わたしの中にずっとある言葉。

リ・メンバー


REMEMBER 
リメンバー

リ・メンバー
再び、一員となる



自分として生きるとか、
本来のわたしとか、
ありのままとか、
それらのことは、リ・メンバーしていくことなんだな。



闇と光というけれど、 闇というのは、ただ自分が無かったものとして扉を閉めていただけのこと、
窓がなく扉が閉まった空間が真っ暗なように。

その自分が閉じていたもの、
ほったらかしておいたもの、 気にいらんから無かったことにしておいたもの、だれかにかぶせたもの、
それらをひとつづつ拾って自分の元へもどしていく。

リ・メンバー
思いだす。


部分だけの自分から全体にもどっていく。


それは本当に歓びに満ちた旅。




ずっとずっと放っておいたのに、その暗い空間に居続けてくれたこと。
全体としての存在であるために欠かせなかった。


目を向けただけで溶けて自分へ還ってくるもの
じっくりと感じ味わうもの



息を吹き返したいのち
そりゃ嬉しくないわけない
まるではじめての呼吸みたい
息するっておもしろい
歓びがわいてくる
それは悲しみがなくなるということではなく
ぜんぶがある
全部であることの歓び、愛おしさ



リ・メンバー
再び、集まる

わたしとあなた、わたしたちもこの世界で再会しました。
会えてほんとにうれしい。




サイキックマッサージ
Path of life セッション

CONTACT

思い出す

表現したいこと分かち合いたいこと、たくさんある。

だけど、交通渋滞みたいにスムースにいかないことがある。
それは多すぎるから、
言葉を選びすぎるから、
しっかりと伝えたいがために、
照れてしまったから。

でもほんとは上手くなくても、意味がなくても、
表したいことがいっぱいある。
そしてわかってる。
上手く、意味あることだけを表現するなんておもんない。





わたしは愛されている
わたしたちはみな愛されている

こうだから、ああだから、 だれから、どうして、
愛されてる理由も証拠もない。
探しても見つからない、そんなものないから。

いまあなたが存在していること。
あなたが今存在しているなら、 愛されているから。
ただもうそうゆうことなんだよ。

疑って疑って、理由を必死に探したっていいけど。
わたしたちはそうやって証拠探しをする。

欲しかった人からの欲しいかたちでの愛を得られなかったら、
わたしは愛されてないって思う?


無条件に完全に
わたしは愛されていたんだ

証拠探しを諦めた時、力を抜いた時、いつか、
遅かれ早かれ、それを思い出す。
時々忘れても、また思い出す。
思い出したとき、わたしはたくさんの涙を流す。


マルガの提供しているセッション

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感じるとは今を受けいれること

感じることは大切。
それは、生きるのに最もといってもいいぐらい、全てのひとが呼び覚ます必要があるものだと感じてる。
だからセッションでもそれをさまざまにサポートさせてもらってる。


小さなころ、感じたことをそのまま表現することをゆるされなかったわたしたちは、大人になってもそのままの状態でいることが多い。


感じることがとても難しい。
それは生きることを困難にしている。


味がしない食べ物を生存のためだけに口に運び続けているとしたら、食べることに興味がわくだろうか。それは苦痛だとおもう。
感じないというのはそんなことのようにおもう。



感じることが難しいというより、
起こっていることに気づくこと受けいれることが難しいという方が本当かもしれない。


考えるとは今実際には起こってないことを想像すること、
感じるとは今実際に起こってることを知覚すること。




今、感じるままに生きているひとにとっては、感じることのなにが難しいのか全くわからないかもしれない。


自分も同じだった、そこから今感じることの楽しさをあじわっているというひとには、感じたいのにどうしていいかわからないというひとたちの気持ちは、少しは想像ができるかもしれない。



どうであれ、わたしたちはだれかのことを全て理解することはできない。

ああ。それ解るよ、知ってるよ、だって経験してきたんだもん。
なんて簡単に決めつけないで。

そんなふうにだれかの体験も自分の体験も粗末に扱わない。

似てるようにみえても異なるもの。

感じることは私的な体験だから。

だれかの悲しみとわたしの悲しみは全くちがう。 悲しんでる内容のことではなく、悲しみと呼ばれる感情をひとくくりにはできない。



みんなちがう。
それをわかっていないと、正解を探し続ける。

こう感じることは合ってますか?
感じるとはこうゆう順番で行っていきますか?
と、感じてるのではなくて考えてることに気づけない。



だれも同じ体験はしていないし、同じような体験をしてるひとたちだけが理解し合えるのでもない。
たくさんの体験をしているひとが多くのひとに寄り添えるとは限らない。
体験に大小はなく、見た目のちっちゃい傷もトラウマもどちらが大きな傷か比べようがない。
なんて、これもわたしだけの感じてること。




理解を示されるより、解らなくてもただただ一緒にいること。
アドバイスもせず、なにかを変えようともせず、そばにいる。
それはかけがえない、忘れない。
受容。
自分が自分にそんなふうにいれたら。



聴いて、見て、味わって、触れて、嗅いで、
気持ちいい、心地悪い、
感情、
どこで感じてるんだろう
身体の変化
匂い、色、触感、温度、明るさ、重量、



それに名前をつけずに、
起こっていることの理由も原因も探さずに、
ただそれと一緒にいること。
自分でいることをゆるされた体験。

昔はゆるされなかったかもしれないけど、
いまはだれの許可もいらない。
今の自分はなにを感じてもいい。
自分自身とただ一緒に。





☆感じるをサポートするセッション
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内なるマスター

ひさしぶりです。
旧暦の新年も過ぎ、暦の上でも気候ともに春ですね。

毎日歩いていて感じるのは、桜の木の香りが日に日に強くなっている。
さくらもちの季節だ。



わたしは最近、過去の記憶をたくさん思い出しています。

覚えていたけれどそれほど気にも留めていなかったこと、完全に忘れていたこと、まあとにかくいろんなこと。


ある記憶をひさしぶりに思い出した。
いままで友人に話したこともあり、小さい頃のかわいいエピソードぐらいにしか思っていなかったのだけど、今回思い出したら泣けてきて、泣いたことにも驚いたけど、その時の想いも思い出して、それがわたしにとってはすごく重要というか大事なことで、こんな大事なことを忘れてたかと。
内なるこどもはわたしのマスターだ。
もう一度その想いにつながれて今とてもしあわせ。



凍結しているエネルギーはわたしたちに気づくものがあることを知らせてる。
それとのコンタクトは最初は痛い。それはひととの関わりの中で起こる。
そしてわたしたちは怒ったり閉じたりする。あいつが悪いと。

マインドはほんっとに巧妙だから、あいつが悪い理由をたくさん教えてくれる。それに乗っかると、ある意味ゲームオーバー。チャンスは次回へ持ち越される。



癒しが必要なことを恥ずかしいことととらえないで。
自分に癒されてない部分があることを自分は不十分だとみるのはなにかの思い込みがあるから。


それと同時に感じるのは、自分を完璧に癒さなければ自分の人生は生きれないと思い込んでないかなということ。そんなわけないよね。
まずはぜんぶ綺麗にしてから生きようというなら、多分今世はその掃除だけで終わる。いや今世だけでは足りんかな。


ベストなタイミングでベストなことが起こる。
ちょうどの時にちょうどのことと出会う。
その時に、だれのせいでもなくなにかが理由でもなく言い訳は置いといて、
真摯に自分とつながろう。


どんな素晴らしいメソッドもそれだけではわたしたちを癒すことはできない。
わたしたち自身のコミットがなければ。

それは、わたしたち自身にすべての力があるということだよ。



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歩くっていいことだらけ

ぷらっと散歩するというのではなくて、
しっかり歩くというのをはじめてしばらく経つ。

朝歩く、とか決まりをつくらずに、その日の予定に合わせて歩く時間を見つける。
スマホに付いてる万歩計で、歩いた距離と歩数を見るのが楽しい。

うちから山崎川という桜の名所まで約15分。
山崎川の周りを歩いて帰ってくる。
それでだいたい5.000歩ほど。




山崎川の周りは車が入れないので、すごくいい。
公園があって子供たちの声やもくもくと走るひととか。

屋外で車の音がしない場所は安心感があり、自分のスペースが拡がる。





万歩計の楽しみもあるけど、とにかく身体が気持ちいい。
めんどくさいなーって思うこともあるけど、歩きはじめると身体がむくむくと喜びだす。

20分歩くとしあわせホルモンが分泌され始めるらしいが、ほんとにしあわせーがやってくる。

身体ってなんでこんなに賢いのかしら。


で、毎日続けてると、そのホルモンが出てくる時間が短くなってる。
身体がもう知ってるから、すぐに反応するのかも。これはわたしの体感ですがね。





まだまだいいことありまっせ。
身体が引き締まった。体重は2キロ減った。すごくない?

わたしは今、更年期という時期でもあり、
身体の内も外も心も変化を感じてるけど、歩くことで得た恩恵にほんとにびっくりしてる。


とにかく気持ちよくて、身体は喜ぶし、気分はいいし、マインドがおとなしくなるし、勘が冴えるし、顔色は良くなるし、身体が引き締まるって、こんなにも変化を感じるとは。

おすすめ。




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くつろぎのセッション

くつろぎというのは、わたしたちの本質。


くつろぎにあるときそれは、存在とひとつ。

だからあんなにも心地がいいのだね。
安心感で満たされ、心強いんだ。




サイキックマッサージはくつろぎの場にもどるマッサージ。

受け手であるあなた、ギバーであるわたし、
あなたとわたしが、
わたしたちになり、
源にかえる。



源、存在とつながりを思い出し、
存在から愛されていることをしっかりと身体に感覚に根付かせて。
そして今日も自分の道を歩く。



つながればいつもここにあるもの。


でもどうしても思い出せない時がある。
さびしくて仕方ない、不安で心許ない時ってある。



大丈夫、わたしたちは愛されてる。

それを思い出せる、
サイキックマッサージはくつろぎのセッションです。

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触れ合わないように

わたしたちは触れ合わないようにするのにとても慣れてる。


それはこの今の状況でそうなったのではない。そのずっと前から。
ほんとに小さい頃か、思春期か、いつからなのか忘れるくらい前から。
だから今の距離を保とうとする状況を、とてもホッとしてるひともいるかもしれない。




触れ合わないように、というのは、
感じないように、ということ。



だれかが困っていても、
言葉をかけること、手を差し伸べることがとても難しい。
そのひとの痛みを感じることがこわい。


自分が苦しくても、そのまま苦しいと言えない。
そう言うと、弱いところを見せると、なぜか負けてしまうような気がして。
相手にというより、もう自分が保てなくなりそうで。




触れ合うことをゆるさなければ、痛みを感じることもない。
けど、それが痛みだ。


感受性が強いというのは、本人にとって楽なことじゃない。
社会にいることが、どれほど大変なことだったか。


その大変さをくぐり抜けるため、
感じるひとたちは、感じないようにすることにした。


触れ合わないように。
だれにも、もちろん自分にも。


目を閉じて、息を最小限にして、耳をふさいで、体をぎゅっと固くして。
油断してはいけない。
すべての感覚、全身を固いコルセットで締め続けなきゃ。




これはわたしの話で、だれかの話でもある。

セッションに来られるのはこうやって生きてきたひとたちがとても多い。
感じないようにして生きたことで守ってきたはずなのに、
なぜか苦しい。
好きなことがわからない、感じるってどうやったらいいのと。

古くなった生き方から脱皮するときがきたよ。
困っていないで、喜んだらいい。お祝いだから。



正解に自分を合わせることから、
感じたことを表現していくことへ。
あっち向きとこっち向きくらいに正反対。


さて、どうやって思い出していこうか。
自分の奥に隠れてる感受性を。



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いろんなもの持ってる

言えなかった言葉、
言ってしまった言葉、
わたしたちの中にはこれらの残骸がたくさんある。

自分を、だれかを、責める気持ち。


伝わらなかった、
伝わった、

自分が伝えたい想いではないものが届くこともある。

わかってほしかった。




勇気が出せなかったことも、
みんなから間違ってると言われたことも、
誤解をされたままのことも、
思い出して苦しくなる出来事も、

ぜんぶ、Deleteキーをタンッと押して終わったら。




わたしはそんなんイヤだ。

いろんなものを持ってる自分でいいよ。


なんでもかんでも、
クリアに、浄化して、消毒して、って、

なにを怖れているのだろう。





節分。
お昼ころ、歩こうと外へ出たら、春のにおい。


明日は立春。
暦ってほんとに賢い。



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自分に集中

自分に集中する
今わたしが日常の中でしていること。

自分に熱中する
までいければいいなという野望もあり、笑




自分に集中すること、いますごく大事だなと感じる。
いまに限らず多分いつもそれはそうなんだろうけど、でもいまわたしは自分に集中してる。

いまその時だ、自分に耳を澄ませ、すべてを見ろ、自分を満たせ、自分をしっかりと知れ、という感覚。




わたしたちはひとの役に立てたとき、とても気分がいい。
相手が喜んでくれたらなおさら。
子どもだったわたしは母親の喜ぶ顔がうれしかった。
それはその原型のようにおもう。

ありがとうと言われたときはうれしい。

けれど、それが過ぎてしまうとおかしなことになってくる。
自分を切り売りしてまでもひとの役に立とうとする。
その経験もよかったけれどね。もういいね。


ありがとうという言葉は魔法にも麻薬にもなるなとおもう。


どんな言葉であっても、それがどこから出てきたのか、自分の言葉を知っていたい。 そしてどんなところから出た言葉だとしても、自分の言葉を知ってたい。

醜いとか美しいとか、どうでも大丈夫。わたしは全体。




ひとの世話を焼くこと、頼まれもしないのに助言すること、だれかを心配すること、起こったことにこだわり続けること、メールの送信返信を過度に気に掛けること、おもしろくもないのについやってること、 そうゆうことから距離をもつ。

無意識にしているから、意識してみるとみえてくる。なにげなくやってることに結構なエネルギーを使ってる。
そんなことをやめるだけ。心配なんて相手にとっては迷惑な話だから。そこへ費やしてたエネルギーを自分につかう。





自分に集中してると、いい気分でいること満たされてる感覚、不満のときの状態を知ってるってすごく重要だ。
それをより知っていくこと自体が集中してるということでもあるかな。


そのいい気分とか、満ちてるとか・・・塩梅がある。
なにかをごまかすためのいい気分、いやなことを避けるための満足は後で必ず不満になる。

自分のプロセスを経たからこそ知ってる、自分のええ塩梅。

料理の塩加減も、だいたいとか、なんとなくとか、経験したからつかんだ自分にとってのおいしいの加減ってあるやん。 そうゆうの。



自分にとって大切なことを大切にして優先する。
そうゆうことがいまのわたしの集中です。
ひとが好きだからこそ、
大切なひとたちと本当に関わるためにも自分に集中することが必要。

自分に集中してます。
けど、だからこそ、
あなたからの呼びかけにはまっすぐ真剣にこたえるからね!

楽しいよ、集中。



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どこまでもくつろぎがやってくる

身体がくつろいでいること、
この人生にくつろいでいること、
そこには信頼がある。


ひとことでリラックスといっても、なかなかむずかしいな、
と自分の体験やいろんな方に触れさせてもらったことから感じてる。


リラックス・くつろぎというのは、プレゼンス。



先週のギリのニュートラルのWSで、セラピスト側としてパートナーになった方の身体に触れさせてもらった。クライアント側として触れてもらった。


ニュートラルであるとき、身体はくつろいでいる。
くつろぎとは力が抜けているということもあるが、入るべきところには力強さがあり、無駄な力や不要なエネルギーを使わずに真ん中にいる状態。わたしの体験ではこんなかんじ。


今回の中でとても印象に残ったのは、
くつろいでもくつろいでもくつろぎが起こっていったこと。
それは別のほうから見れば、アタマの中身体中に気づいていない緊張があって、ゆったりしたスペースで安心していれば、それらが抜けていくことが可能だということ。

ただここに今にいるとき、いつまでもどこまでもくつろぎがやってくる、深まっていく。





去年の夏、奄美大島の南に位置する加計呂麻島へ行った。
空港から高速艇の出ている港まで島を縦断する。
空港そばでレンタカーを借りた。 全員で4人。運転できるのはマルガとギリ。 軽い気持ちでわたしは運転することにした。 お天気もいいかんじ。

進んでいくうちに雨が降りだし、みるみる強くなる。台風がやってきてたから。
昼間だけどライトはつけっぱなし。ワイパーも最大。
雨も風もすごくて少し先しか見えない。所々で水が洪水みたいに大暴れ。風がすごくてハンドルをもってかれそうになる。


だけど実はわたしにとっての難関はトンネル。
閉所が怖いわたしはとにかくトンネルが・・。

怖いにフォーカスすると一瞬で発狂しそうなぐらい。なんとかいろんなことを駆使して毎回しのぐ。 もちろんこの時もトンネルが怖いなんて話は一切しない。


奄美大島の南の方は自然がたくさん残っている。だからトンネルがものすごく多い。出たと思ったらまたすぐ現れる。



ものすごい緊張とプレッシャー。
自分はみんなの命を預かってるんだからしっかり運転しなきゃ、という考えになってた。

力が入ってるときって考え方まで狭まっているから、 その縮こまったマインドだけでどうこうしようとする。


命はわたしが預かってるんじゃなくて、存在が護ってるんだよ。
みんなの命はみんなのハイアーセルフが護ってるのです。
正気に戻った。


でもあるひとにとってはそれは正気ではないだろうね。自分がなんとかしなくちゃ大変なことになる。力を抜いてはいけないと。




「自分」がしようとすることでじゃまになることがある。
それはセッションのヒーリングの場でも、表現でも、問題解決でも。



いまここにいる安心を感じて、
力を抜いて、
宇宙の知恵が自分を通して起こることを信頼する。
すべてにとって最善が起こることを。

くつろぐってそうゆうプロセスでもある。



くつろいでる・リラックスしてるときに最大のポテンシャルが発揮されると言われるのはそうゆうことだとおもう。

ポテンシャルとはひとそれぞれが持ってるというよりも、だれもがアクセス可能な宇宙のことだ。

リラックスというツールをつかえば自動的に宇宙につながる。
すると最善最高のものが顕れる。

わたしたちがどれだけリラックスして信頼があるかということをポテンシャルというのかもしれない。

宇宙は限りがない。




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