生きることー自己表現 表現アートワークショップ

もっと自分を自由に表現したい
自分を出して生きたい
自分の才能を見つけたい
直感に導かれて生きたい

そう感じてるひとに。

12月19日 表現アートワークショップ
表現を通して自分と他者とつながる


ほんとはやってみたいことがある。
絵を描いてみたい
感じたことを素直に話したい文章にしたい
好き勝手に踊りたい
あのひとと仲良くしたい
ほんとは怒ってるんだよ
だれかの顔色うかがうのもうイヤ
一生懸命生きたい
もっと遊びたい
創造性を発揮したい
毎日を豊かに暮らしたい

このほんとはやってみたいことは、 マインドではないところからわいています。 それはハート、ビーイング、魂からの呼びかけ。


じゃあ、なぜ、それをやらないのでしょうか?


わたしたちは家庭で学校で、感じるままを表現することをほとんどゆるされてきませんでした。
あなたの踊りは変だよ、歌が下手だから歌わないほうがいい、絵はこうやって描くものだ、怒るなんてバカバカしい、泣くのは恥ずかしい、大声で笑うのはやめなさい。こうでなきゃああでなきゃ。

批判やジャッジメント、失敗などさまざまな理由で、いつの間にか表現は危険なものとなりました。黙っていたほうが生き延びれると。


でも、もうわたしたちは自分のパターン、思い込みに気づき、 新しい方法で人生をすすめることができます。


このグループでは、アタマで考えるのではなく、表現アートというツールで本来の自分とつながっていきます。 自分でないものに気づいていきます。色、描くこと、身体、感覚をつかって。


自分が自分自身の一番の親友に。


表現というのはアートの世界だけのものではなく、
アーティストだけが表現の世界に生きてるわけではない。


わたしたち全員が表現者。
わたしたちは毎日、自分のいのちを生きることー表現ーしています。

創造性はみんなの中にあります。

自分にあるもの全部つかって生きたくない?


感じることをゆるし、感じたことをそのまま表す。


正解を求めてだれかの意見ばかり聞くことに飽きた
内からわく感覚にしたがって自分の人生を生きたい
毎日楽しく生きたい
自分の創造性を開きたい
五感ふくめ直感、自分の感覚をもっと繊細に感じれるようになりたい
ひととのコミュニケーションを楽しみたい
自分の才能をつかって仕事をしたい

そんな想いがあるなら。
感じること、感情を受け容れよう。


表現アートのクリエイティブコネクションというツールをつかい、
ただそのままの表現をゆるすことで、
素直な感情を感じること、
頭での理解ではないリリースが起こる可能性、
自分が感じてることを微細に感じ取れるようになること、
感情や言葉にできないなにかが昇華されること、
表現アートのもつチカラで自分自身を体験していきます。  

今回のこのグループでは、色と紙をつかい、身体の動き、感情、感覚、言葉をもちいて、自分自身と、生命エネルギーを止めているものに気づいたり、本質とつながります。




12月19日土曜日 14:00~18:00頃(開場13:50)
場所 スタジオウーヌス・名古屋市瑞穂区(変更になる可能性があります)
参加費 8.000円
※少人数でのグループです
予約・問い合わせ 
こちらより(スタジオウーヌス問い合わせフォーム)


12/11 サイキックマッサージセッション@東京

サイキックマッサージセッションについて

表現するのは気持ちいいと知った

寒くなりました。寒いと眠りが深くなるね。今朝起きた時、何年間も寝ててとうとう起きたってぐらいの目覚めだったよ。


最近、わりとまめに文章を書いてる。こうやって書いたり、色を使って絵のようなものを紙にあらわしたり、毎日なにかしらその時あるものを表現したいなっておもってやってる。


はじめてブログを書いたのは、神戸で独立したとき。宣伝というより文章を書いてみたかった。
だれにも気づかれませんように、って書いてた、笑。
だれも読まないって思って書くと、するする自由に書けた。
自分をどこにも置かずに、どんな位置からでもなく、なにも纏わず、心にあるものをそのままの言葉で書きたいという想いで書くのは気持ちがよかった。


恋人がいなくて、適齢期とか、世間のいろんなモノサシに計ってもらえるものを何も持っていなくて、今も将来にも不安がいつもあって、孤独と感じていて、友だちに甘えたいけど、向こうの事情を勝手に想像して連絡できない、そして今の仕事のやり方を変えたいけれど、独立する前からずっと来てくださってるクライアントの期待に応えたい、と葛藤していた時期。

あの時期、文章を書くこともそうだけど、わたしはたくさんのジャンプをした。えいっっって、怖くて目も開けられないまま飛び込むってことを。
ひとからはジャンプには見えてなかったかもしれないこともわたしには大きな一跳び。

あの時期だけじゃないな、それは今もおんなじ。わたしの繊細さ敏感さは以前とおなじ、変わらなくて。
ちっちゃなことにジャンプして、たまに後ずさりして。
でもあの時みたいに葛藤で苦しくなることは少なくなった。今はまた別のかたちをしてるけれど、それはもうジャマなものではなく。

繊細すぎて生きるのが大変ってひと、ここから応援してる!!!

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元気ですか?

元気にお過ごしでしょうか。
ほぼ二月ぶりに、これを書いています。
パソコン触るのもいつぶり?さて、なにを書くのかな。

長い期間休んでいましたが、スタジオウーヌスはセッションを再開しています。

突然与えられた休み、
のんびりするのに慣れなかった方もいるんじゃないでしょうか。
わたしはそうでした。
なにかをしなければならない、という無意識の縛り。
それに気づいてみると、その縛りはずっとずっと自分をかなりの強度で縛りつけていたんだなとわかりました。

たとえば、働かざる者食うべからず、という考え。
これはとても根深く、働かないと生きていけないというより、生きていてはいけない、とわたしは思っていたようです。そんな奴は生きる価値がないと、自分が思ってる以上に自分のケツを叩いて生きていたんでしょう。
働いてその対価でお金をもらい、そのお金があったから生きてこられた。
けれど、そうじゃないのかもしれない、
働いてきたから今も生きているんじゃない、
存在がいのちの面倒をみてくれていたから今ここにいる、ということが腑に落ちた日々でした。以前までとはちがう理解にいたったように感じています。

働くことはお金を稼ぐことだけがイコールではないと言われますが、ほんとにそうですよね。
働くとはどういうこと?お金を稼がなかった期間にたくさん考えていました。



2月から畑を借りて野菜をつくっています。
これね、つくっていると書いてるけど、わたしは作ってないんですよ。
自然が作ってくれてるの。ほんとに自然ってすごい。
それを知れたことがとても嬉しい。すこし賢くなれたかもしれない。

少し前に「21世紀の資本」という映画を観たんですけど、それを観て一番感じたことは、みんなひとりひとりが本当に賢くならないといけないなということ。わたしたちが賢くなることでこの世界はもっと美しくなるんだなって。
自分の中に本当の知恵を育てなきゃいけない。当たり前とも思わないほど自動的に思い込んでいる物事に気づくことが大切だなと思います。えらい人たちの言うことばっかり聞いてても賢くなれない。

それにはやはり「感じる」ことがキーなんだろうと。そしてその感じるのはわたしたちのこの身体を通して。
自分の感性を育て、自分の感覚を信じて生きていく。いいと思いません?


愛をこめて


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魔法をつかう

なにかが詰まってしまいスムースに流れない、最初のその詰まりさえ出ればあとは簡単にスルスルっといくはずなのにー、

ってまるで便秘のようなんだけど、
ここのところのわたしはしょっちゅうこんなかんじでした。
実際にはお通じだけの話ではなく、身体と心のこと。


ウイルスが世界で拡がっているということが自分自身が考えている以上に身体と心を縮ませている。
あなたはどうですか?


ウイルスに伝染するかもしれないという怖さではなく、この状況が長引くかもしれないということへの怖れ。
これはわたしにとっては閉じ込められるような感覚があり、それが本当にイヤ。自由を奪われるような怖さ。
それを感じてるとき、わたしの身体はエネルギー体も含め縮んでいる。自分が狭くてとても息苦しい。



この身体の緊張、無理に解こうとしたってなかなか大変。
なんてことはなく、すぐに解ける方法がある。



それは今起こっていることに意識を向けること。


呼吸に意識をむけて
自分が考えていることに気づいて
自分が感じていることに気づいて
身体に起こっていることに気づいて


身体全体に
身体のパーツに
感覚に
わいている感情に
考えていることに
起こってることに
気づいて


それらを
判断をもちこまず
追い出さず
入り込まず

そのままそのまま
居場所をあげて



どんなものであれ、
今わたしに起こっていることに間違いはない
自分が良い悪いと判断することはあったとしても

そう感じてみるとなにかがほどけていく。



自分を変えようとするのをやめると変容は起こる。

やってみたひとだけがその魔法を知る。
魔法ってシンプル。



★★★スタジオウーヌスHP
http://www.banyantree8.com/

頭から身体へ

節分。暦では冬が終わる。明日から春の季節へ。
1月2月3月あたりの時期は、はじまりのエネルギーがあって気持ちいいね。

終わり、はじまる。なにが終わり、なにがはじまる?そもそも終わるものがあるのか、はじまるものがあるのか。なにを終わらせ、なにをはじめる?

今年50歳になる。ひとつの区切りとして、今考えもしない想像もしないものと50代の間に出会って深く体験できたら楽しいだろうなとおもってる。初心者として、全く未知のものと。

今自分が知ってると思ってるものにも知らないはたくさんあり、だからそのものとの新しい出会いも、いつも自分が初体験だということを忘れてなければ未知と出会い体験がある。
知ってるという考えは、体験させないからね。考えは頭にあり、体験は身体にあるから。


あるワークをしてるとき、その経験者のひとりが、
「どうしたんだろ、おかしいな。今日はいつもとちがう、なんでだろ?」
その人はいつもと同じじゃないことがおかしいと言った。

そりゃいつも同じじゃないよね。一定とか、安定とか、いつも同じ効果とか、それが正しいとすれば、不安定はおかしなことで、いつもとちがうのはなにか理由があるわけで。知ってるマインドは、いつもと同じか、ちがうならその理由を知って安心したい。

体験、って奥深いわ。




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クリエイション

はろー!マルガです。
ちょっと喋ってたことを残したくて、ここに書く。


どんな世界を創る?




女でいれる場所で生きたい。女で生きたい。

感情は一定じゃない。泣いたり笑ったり怒ったり。感情豊か。
感覚的。身体の生理機能(内側)からも環境(外側)からも影響を受ける。敏感、繊細。
波のよう、バイオリズムとか、季節の移り変わり、四季みたいなもの。
自然とおんなっておんなじ。
女は自然。

自然に生きる。女で生きる。





波があることは、今までの社会では嫌がられてきた。波があるって一定じゃないってこと。
ずっと一定、上向き、ってそれが大切だと思わない。経済、売上がずっとずっと前年比アップ目指すって、なんかどこかおかしい。自分が生きてることはだれかの負担の上、そんなん終わらせる。

海女さんは、海に潜って見つけたもの全部持ってこないんだって。今採るもの、頂くものをちゃんと知ってる。かっこいい。

家族の中で財政つまり豊かさのキーを持ってるのは妻だっていう。妻がゴキゲンさんだったら、その家は安泰だそう。それが家族というコミュニティじゃなくて、もっと大きくとらえられたら。





人には波があるもんだってもし理解していたら、協力がうまれる。協力って力の無いところに力を貸すんじゃなくて、それぞれの力の出し処が最適ってこと。だからそれぞれの色、才能がより開いていく。


それぞれにリズムがあること、それはわかっているようで、普段の生活ではなかなか難しい。 当たり前で自然なことを、わたしたちは抑えてきたんだよな。我慢とか、薬とかを使って。だれかの良い悪いの基準に沿って。

そして自然がなにかわからなくなって。だから自然からはずれないこと大事。自然って、ただの自分。ありのまま、そのままの。自然、自分、女という言葉はおなじ意味。アイデンティティや女性性の話じゃないよ。



いろんな表れ方

創造すること

表現すること

受け身の中で起こるこれらの話。

 

好きって感じる絵や言葉や、動き、わたしが心動かされるものって、なにかしら神聖さのようなものがある。この神聖さっていうのは、清いってことではないよ。いまは他の言葉が見つからないけど、混沌にも神聖さがあるから。その表現者のパーソナリティだけではない本質が見える創造、表現。そこには何者かが加担してる。存在とか宇宙とか神さまと呼ぶような。

 

自分を明け渡す、チャネルになる、空っぽになったところにエネルギーがやってきて、受容の器である表現者を通して創造、表現がうまれる。

 

今日はそうゆう表現についてインスピレーションを感じた日でした。