内側の火

愛されたことがある人は強いとおもう。

愛してくれた人は肉親じゃないかもしれない。

友人、先生、知り合い、伴侶、大きな存在

血のつながりも、その時間が長い短いも関係ない。

愛された、大切にしてもらった、

それを知ってる人は、

自分のいのちを生きてる。

どんな状況であっても、その経験を知ってるのはわたしたち自身。

愛されたのか、愛されなかったのか。

どこを見るのか。

愛されなかったって、本当?

愛されなかった、愛が足りなかったって言ってる人は、被害者になりたがる。

自分の権威、尊厳を手放す。

自分には力がないのでどうしようもないと思ってる。

すべて、だれかの、なにかの、影響を受ける。

だから、まだ自分のいのちを生きない。

愛されたって思いこむ、っていうのとちがうの。

愛されたことは身体で神経でどこかでちゃんと記憶されてる。

その経験は、わたしたちの中にある。

そこにつながる、思い出すだけ。

それは、

あたたかいやわらかい灯かもしれない、

ぼーぼー燃え盛る炎かもしれない、

人生のいろんな場面で、その灯り、炎、を思い出せないってとき、

そんなときもあるよな。

そして

思い出したら、

その火を内側に感じて自分のいのちを生きる。

愛の目印。

ここですよー、って。

その火は、情熱、エネルギー。

自分で立って歩いて、

そして、誰かと出会って、何かと出合って、

愛がいろんなかたちで起こる

そして、そこからなにかが生まれる。

わたしは知らない、愛ってなんなのか。

けど、体験してる。

(2016.03.08 記)