感じることは大切。
それは、生きるのに最もといってもいいぐらい、全てのひとが呼び覚ます必要があるものだと感じてる。
だからセッションでもそれをさまざまにサポートさせてもらってる。
小さなころ、感じたことをそのまま表現することをゆるされなかったわたしたちは、大人になってもそのままの状態でいることが多い。
感じることがとても難しい。
それは生きることを困難にしている。
味がしない食べ物を生存のためだけに口に運び続けているとしたら、食べることに興味がわくだろうか。それは苦痛だとおもう。
感じないというのはそんなことのようにおもう。
感じることが難しいというより、
起こっていることに気づくこと受けいれることが難しいという方が本当かもしれない。
考えるとは今実際には起こってないことを想像すること、
感じるとは今実際に起こってることを知覚すること。
今、感じるままに生きているひとにとっては、感じることのなにが難しいのか全くわからないかもしれない。
自分も同じだった、そこから今感じることの楽しさをあじわっているというひとには、感じたいのにどうしていいかわからないというひとたちの気持ちは、少しは想像ができるかもしれない。
どうであれ、わたしたちはだれかのことを全て理解することはできない。
ああ。それ解るよ、知ってるよ、だって経験してきたんだもん。
なんて簡単に決めつけないで。
そんなふうにだれかの体験も自分の体験も粗末に扱わない。
似てるようにみえても異なるもの。
感じることは私的な体験だから。
だれかの悲しみとわたしの悲しみは全くちがう。 悲しんでる内容のことではなく、悲しみと呼ばれる感情をひとくくりにはできない。
みんなちがう。
それをわかっていないと、正解を探し続ける。
こう感じることは合ってますか?
感じるとはこうゆう順番で行っていきますか?
と、感じてるのではなくて考えてることに気づけない。
だれも同じ体験はしていないし、同じような体験をしてるひとたちだけが理解し合えるのでもない。
たくさんの体験をしているひとが多くのひとに寄り添えるとは限らない。
体験に大小はなく、見た目のちっちゃい傷もトラウマもどちらが大きな傷か比べようがない。
なんて、これもわたしだけの感じてること。
理解を示されるより、解らなくてもただただ一緒にいること。
アドバイスもせず、なにかを変えようともせず、そばにいる。
それはかけがえない、忘れない。
受容。
自分が自分にそんなふうにいれたら。
聴いて、見て、味わって、触れて、嗅いで、
気持ちいい、心地悪い、
感情、
どこで感じてるんだろう
身体の変化
匂い、色、触感、温度、明るさ、重量、
それに名前をつけずに、
起こっていることの理由も原因も探さずに、
ただそれと一緒にいること。
自分でいることをゆるされた体験。
昔はゆるされなかったかもしれないけど、
いまはだれの許可もいらない。
今の自分はなにを感じてもいい。
自分自身とただ一緒に。
☆感じるをサポートするセッション
Path of life セッション
サイキックマッサージ
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タグ: マルガ 美しさ つながる 身体 感情 魂
こころは動くもの
だれかの飾らないまっすぐな表現がだれかに届く。
言葉や絵、動きや笑み、
どんな表現であれ、
それに触れた者を動かすことがある。
勇気がわいたり涙が出たり、
ハートに届いたり頭にきたり、
衝撃として騒動が起きることもある、
人生が変わる出会いもある。
意図せずして起こるからこその力強さ。
伝えたいことを魂こめて表したからこその振動。
ぶるぶるぶるぶる
こころが動くこと。
こころは動くもの。一定にしようとするからおかしなことになるのよね。
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なつかしいひとたちと再会
4歳くらいの小さな女の子を右ひざにのせて本を読み聞かせていた。
その本には女性の僧侶の人生が書かれていた。
こんなちっちゃな子にこの内容伝わるかな?
女の子は真剣に本をみてわたしの声を聴いている。
年齢なんて関係ないわな。
しばらくすると本を読んでいるわたしたちの周りを女性がうろうろしてる。
気付いてほしそうなかんじが伝わってくる。
視線をあげるとそれは女の子の母親だった。
そっか、そろそろ行く時間か。
女の子とはバイバイした。
女の子を膝にのせていた時の感覚。
やわらかい感触と髪のさらさら。匂い。服の色。
これは昨日みた夢。
その本には僧侶の名前が太字で書かれていた。
覚えておいてねとでも言ってるみたいに。大丈夫、夢からでた今も覚えてる。
小さな女の子は小さいころのわたし。
あの髪のさらさらはまさに自分。細くてまっすぐで柔らかくて、もつれて大変だった。
物語の尼さんもわたし。
登場人物、ぜんいんあたし。
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内なるマスター
ひさしぶりです。
旧暦の新年も過ぎ、暦の上でも気候ともに春ですね。
毎日歩いていて感じるのは、桜の木の香りが日に日に強くなっている。
さくらもちの季節だ。
わたしは最近、過去の記憶をたくさん思い出しています。
覚えていたけれどそれほど気にも留めていなかったこと、完全に忘れていたこと、まあとにかくいろんなこと。
ある記憶をひさしぶりに思い出した。
いままで友人に話したこともあり、小さい頃のかわいいエピソードぐらいにしか思っていなかったのだけど、今回思い出したら泣けてきて、泣いたことにも驚いたけど、その時の想いも思い出して、それがわたしにとってはすごく重要というか大事なことで、こんな大事なことを忘れてたかと。
内なるこどもはわたしのマスターだ。
もう一度その想いにつながれて今とてもしあわせ。
凍結しているエネルギーはわたしたちに気づくものがあることを知らせてる。
それとのコンタクトは最初は痛い。それはひととの関わりの中で起こる。
そしてわたしたちは怒ったり閉じたりする。あいつが悪いと。
マインドはほんっとに巧妙だから、あいつが悪い理由をたくさん教えてくれる。それに乗っかると、ある意味ゲームオーバー。チャンスは次回へ持ち越される。
癒しが必要なことを恥ずかしいことととらえないで。
自分に癒されてない部分があることを自分は不十分だとみるのはなにかの思い込みがあるから。
それと同時に感じるのは、自分を完璧に癒さなければ自分の人生は生きれないと思い込んでないかなということ。そんなわけないよね。
まずはぜんぶ綺麗にしてから生きようというなら、多分今世はその掃除だけで終わる。いや今世だけでは足りんかな。
ベストなタイミングでベストなことが起こる。
ちょうどの時にちょうどのことと出会う。
その時に、だれのせいでもなくなにかが理由でもなく言い訳は置いといて、
真摯に自分とつながろう。
どんな素晴らしいメソッドもそれだけではわたしたちを癒すことはできない。
わたしたち自身のコミットがなければ。
それは、わたしたち自身にすべての力があるということだよ。
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歩くっていいことだらけ
ぷらっと散歩するというのではなくて、
しっかり歩くというのをはじめてしばらく経つ。
朝歩く、とか決まりをつくらずに、その日の予定に合わせて歩く時間を見つける。
スマホに付いてる万歩計で、歩いた距離と歩数を見るのが楽しい。
うちから山崎川という桜の名所まで約15分。
山崎川の周りを歩いて帰ってくる。
それでだいたい5.000歩ほど。
山崎川の周りは車が入れないので、すごくいい。
公園があって子供たちの声やもくもくと走るひととか。
屋外で車の音がしない場所は安心感があり、自分のスペースが拡がる。
万歩計の楽しみもあるけど、とにかく身体が気持ちいい。
めんどくさいなーって思うこともあるけど、歩きはじめると身体がむくむくと喜びだす。
20分歩くとしあわせホルモンが分泌され始めるらしいが、ほんとにしあわせーがやってくる。
身体ってなんでこんなに賢いのかしら。
で、毎日続けてると、そのホルモンが出てくる時間が短くなってる。
身体がもう知ってるから、すぐに反応するのかも。これはわたしの体感ですがね。
まだまだいいことありまっせ。
身体が引き締まった。体重は2キロ減った。すごくない?
わたしは今、更年期という時期でもあり、
身体の内も外も心も変化を感じてるけど、歩くことで得た恩恵にほんとにびっくりしてる。
とにかく気持ちよくて、身体は喜ぶし、気分はいいし、マインドがおとなしくなるし、勘が冴えるし、顔色は良くなるし、身体が引き締まるって、こんなにも変化を感じるとは。
おすすめ。
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くつろぎのセッション
くつろぎというのは、わたしたちの本質。
くつろぎにあるときそれは、存在とひとつ。
だからあんなにも心地がいいのだね。
安心感で満たされ、心強いんだ。
サイキックマッサージはくつろぎの場にもどるマッサージ。
受け手であるあなた、ギバーであるわたし、
あなたとわたしが、
わたしたちになり、
源にかえる。
源、存在とつながりを思い出し、
存在から愛されていることをしっかりと身体に感覚に根付かせて。
そして今日も自分の道を歩く。
つながればいつもここにあるもの。
でもどうしても思い出せない時がある。
さびしくて仕方ない、不安で心許ない時ってある。
大丈夫、わたしたちは愛されてる。
それを思い出せる、
サイキックマッサージはくつろぎのセッションです。
サイキックマッサージ
触れ合わないように
わたしたちは触れ合わないようにするのにとても慣れてる。
それはこの今の状況でそうなったのではない。そのずっと前から。
ほんとに小さい頃か、思春期か、いつからなのか忘れるくらい前から。
だから今の距離を保とうとする状況を、とてもホッとしてるひともいるかもしれない。
触れ合わないように、というのは、
感じないように、ということ。
だれかが困っていても、
言葉をかけること、手を差し伸べることがとても難しい。
そのひとの痛みを感じることがこわい。
自分が苦しくても、そのまま苦しいと言えない。
そう言うと、弱いところを見せると、なぜか負けてしまうような気がして。
相手にというより、もう自分が保てなくなりそうで。
触れ合うことをゆるさなければ、痛みを感じることもない。
けど、それが痛みだ。
感受性が強いというのは、本人にとって楽なことじゃない。
社会にいることが、どれほど大変なことだったか。
その大変さをくぐり抜けるため、
感じるひとたちは、感じないようにすることにした。
触れ合わないように。
だれにも、もちろん自分にも。
目を閉じて、息を最小限にして、耳をふさいで、体をぎゅっと固くして。
油断してはいけない。
すべての感覚、全身を固いコルセットで締め続けなきゃ。
これはわたしの話で、だれかの話でもある。
セッションに来られるのはこうやって生きてきたひとたちがとても多い。
感じないようにして生きたことで守ってきたはずなのに、
なぜか苦しい。
好きなことがわからない、感じるってどうやったらいいのと。
古くなった生き方から脱皮するときがきたよ。
困っていないで、喜んだらいい。お祝いだから。
正解に自分を合わせることから、
感じたことを表現していくことへ。
あっち向きとこっち向きくらいに正反対。
さて、どうやって思い出していこうか。
自分の奥に隠れてる感受性を。
いろんなもの持ってる
言えなかった言葉、
言ってしまった言葉、
わたしたちの中にはこれらの残骸がたくさんある。
自分を、だれかを、責める気持ち。
伝わらなかった、
伝わった、
自分が伝えたい想いではないものが届くこともある。
わかってほしかった。
勇気が出せなかったことも、
みんなから間違ってると言われたことも、
誤解をされたままのことも、
思い出して苦しくなる出来事も、
ぜんぶ、Deleteキーをタンッと押して終わったら。
わたしはそんなんイヤだ。
いろんなものを持ってる自分でいいよ。
なんでもかんでも、
クリアに、浄化して、消毒して、って、
なにを怖れているのだろう。
節分。
お昼ころ、歩こうと外へ出たら、春のにおい。
明日は立春。
暦ってほんとに賢い。
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セッションの予約、問い合わせはここからどうぞ。
スーホの白い馬
天才か反逆者か
https://banksyexhibition.jp/
楽しみにしてた。 名古屋でも、もうすぐはじまるバンクシー展。
スーホの白い馬という絵本を知ってる?
この本にまつわる思い出。
わたしには甥がいる。
その中のひとりの甥が小学校低学年のころ、
この本が課題図書として宿題で出された。
彼はこの本を読んで号泣して、ひどい、悲しくて読めないと言って、途中から読めなくなってしまったという話を思い出した。
感情がすごく豊かで、ユニークな子。あの感受性は今もつかってるのかな。
この本、わたしも読んでみた。
泣いた。そりゃ泣く。わかる。悲しい。
読みながら、甥のことも思い出して余計に泣けた。
彼らの小さい頃のたくさんの場面を覚えてる。
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へそが溶けた話
去年の6月、実家へ帰ったときに母から渡された。
「これ、もうあんたが持っとき」
へその緒だった。
母はこれをしばらく前から渡すつもりだったらしく準備してた。
なんでへその緒??
突然で驚いて尋ねたけれど、 あんたのものだから、とだけ。
なんか意味ありげやなー。シンボリックなかんじ。
そこから一か月ほど経ったころ、突然にへそが痒くなりだした。
朝起きると、おそらく夜中のうちに出てた膿のようなものが固まってガビガビになってる。
へそがそれで満タンになってる!
(想像力あふれるひとたち、気持ち悪かったらごめん)
そのへそから出た膿のようなもので、へその周り全体が炎症をおこして真っ赤。
それもまた痒い。
へその内側も周りも痒 い。
腫れあがってるからへその形まで変わってるやん。
めっちゃ昔に聞いた友だちがへそのバイキンが入って大変なことになった話、
ギリが話してた、へそが無くなったひとの話を思い出す。
こわいよー。
原因がわからない。 なにが起こってる?
へその緒がわたしに戻ってきたことが関係してることはわかる。
こわいし痒いけど、病院に行って炎症を無理に止められたくない。
出たがってるものがあるのなら出るのを手伝いたい。
デトックスであってほしい。へそよ、無事でいておくれ。
あんなにもおへそを日に何度も見ることなんて無かったというぐらい観察してた。今日もこんなにへそと連発してる。
毎日一進一退を繰り返してるようなへそ。
あかんと思いつつ、つい触ってしまうし。
そして12月に入り、
新しいへそ完成!
長かったな。
今でも気になって時々見てしまう。
2016年の夏、サイキックマッサージの創始者サガプリヤのイタリアでのグループに参加した。
わたしは大きな課題を持って日本に帰ってきた。
課題という言い方をしたけど、その時そんなふうには思ってない。
わたしはあまりにショックで帰国後悶絶した。受け容れられなかった。
この話はわたしの女性性の話で、いつかのタイミングでシェアしたいな。
そこから約4年経ち、ちょうど去年の夏ごろ、わたしはそのときの課題が、ある段階にきたような気がしてた。どう言っていいのか、課題が課題ではなくなったっていうのか。
それと同時期にへその緒が母から渡され、へそが生まれ変わりの準備をはじめた。
へそがぐちゅぐちゅいわなくなってきた頃、わたしはあることがきっかけで母へ手紙を書いた。
母へ渡すつもりはなかったけど、ただ自分が母へ言えなかったことを言うために。1通書いて、また書きたくなってもう1通書いた。
書いてよかった。
それが12月。
それから少しして、へそが完成した。
こないだ、内なる女性性の話を書いたけど、このへその話もそことつながってる、たぶん。
わたしの女性性がすべて癒されたからあの記事を書いたんじゃない。
なにかを教えようと思ってここがあるわけじゃなくて。まあ、時々は押しつけがましいけれど。
みんなといろんなことを共有したい。
体験してもない正解の話じゃなくて。マインドの都合のええ話じゃなくて。
自分が今感じてること、失敗したこと、しあわせーとか、自分たちひとりひとりが持ってる美しさ・パワーを思い出す方法とか。
それは役に立つかどうかはわからん。実は、役に立つことを書こうと思うと言葉が出てこなくて書けない。
マルガという媒体を通して、感じたこと、思ったこと、体験したこと、
それを素直に表現することがわたしのよろこびでチャレンジ。
この表現というチャレンジがわたしは大好きなのだ。
へその話、読んでくれてありがとう。
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