それが才能なのだとしたら

才能を活かしたい、というのは多くの人が願ってる。
それを実現してる人もいると思うし、自分の才能がわからないと思っている人もいる。

才能を活かして生きるというのは、願い以上のもののように感じる。
本能というか、個人を超えて、魂の、大いなる存在のよろこび。
全存在がそれ自身の才能を表現すること、が全存在の共生のベース。


だから、才能という言葉がこんなにも多くのひとの目に留まり、気になるトピックとなり、ビジネスのネタになっているんだと思う。

そういう意味でも、才能というのものは、とても魅惑的だとおもう。
勘違いがおこりやすいものでもあるんじゃないかと。


自分の才能がわからないと言ってる人は、才能というのはスペシャルで、それを発揮すると多くの人に認められて、すべてがうまくいく魔法みたいなものととらえているようにわたしにはみえる。

だから探す。自分をしあわせにしてくれるその金貨があるはずだと。


けども、自分がどうしてもやりたいこと、やってしまうこと、が才能だとしたら、どうだろう。

それは自分が思うレベルほど上手じゃないかもしれない。人から褒められないかもしれない。けど、やらずにいれない。
周りがなんと言おうが、どうしてもあきらめきれないもの。
認められるとか認められないなんてことも思い浮かばないような、自然とやっちゃうこと、内から起こってくるもの。
それを才能というのだとしたら。


すぐ近くにいる人だけにその才能が発揮されてることもあるだろうし、
それがすんなりと世界へ拡がっていくこともあるだろう。
周りに認められなくて、これはちがうのかなと疑うこともある。
うまくいかない、と何度もあきらめたくなることもあるかもしれない。



夢中に、一生懸命に、才能という言葉や、自信がとか、自己肯定感がどうとか、そんなことを思い浮かぶこともなく、自分を生きれたら。
それはすっごくしあわせなことですごい才能だとおもう。

疑うことも、自信がないことも、人と比べて落ち込むことも、それらが才能をじゃまするのではなくて、自分が自分のやりたいことを見捨てること、自分と忍耐強くそばにいてじっくりと育てることをせず、その場の結果で評価をくだしプロセスを無視することが、わたしは怖い。

どれだけいい環境をもらおうが、励ましをもらおうが、才能を活かすのはやっぱり自分なんだよな。

表現すると、だれかに評価されることを気にしてる自分がいる。
自分の表現がつまらなく見える時がある。
それらたくさんのいろんな内側の動きが、また表現へと向かう。


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