たとえば、自分に還るとか本来のわたしとか、
それはどこかに向かっていくものではないと思う。
よく見聞きするのは、そして以前のわたしは、
なにかある状態になること到達することがスピリチュアルな道のゴールだと思っていた。
それは、例えていうと、
大らかで寛容で明るくて隔たりがなくて
葛藤なんてもちろんなくて特定の能力をもっている人物、みたいな。
それに向けて、そうなるために、精神性を磨く。
もしそうならば、この世界はおもろくない場所になる。
おなじ方向を向いてるひと、おなじような人間ばかり。
結局、学校で学んだことを繰り返してるだけ。
最近、自分を含め、人の容姿や見た目がとても気になる。
なんでこんなにちがうんだろう。
なんでわたしこんな目や鼻の形してるんだろうって。
自分の顔や身体のパーツの形を観察してる。
どの部分もすべてがお気に入りというのでは全くないのだけれど、
この自分を活かすとはどうゆうことなんだろうって、
内側に目を向けることを多くやってきたけど、
この外側もとってもとっても大切な要素なんだろうと思ってる。
わたしはなぜこんな顔で声で体形でいるんだろうって。
それは特徴ともいえる。
みんながみんなそれぞれの特徴を持ってる。
この特徴はどうして与えられた、あるいはこうなったのだろうか。
好き嫌いはどうしてもある。それをいつまでも言ってるよりも、
その特徴を知ることの方がわたしはおもしろい。
それを思いついたままに感じたように表現することの方がきっとたのしい。
いまのこの顔かたち自分である部分を、
それをしっかりと活かせ、
と言われているように最近強く感じるのだ。
それは化粧するとかすっぴんとかの選択もふくめて、
自分という特徴をどのように表現するのか。
その人それぞれの美しさを一番に引き出せる表現が必ずある。
だからみんないろんな形、色をしてる。
7/2~7/4 アクアフローティング@沖縄
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