それもほんの一部分。

たとえばだれかに嫉妬を感じるとき、そのひとの一部、いま見えてる(と思ってる)ものだけに意識が向く。

自分が欲しいものを相手が持っているから、自分は欲しくないのに自分は持っててそれを相手は持ってないから、それが苦しくて嫉妬する。

嫉妬してるときって、他の感情を感じてるときもそうだけど、ほんとにいろんなことが見えない。
嫉妬って苦しいんだ。
ちょっとでも感じたくないほどに強烈なもので、もういっぱいいっぱいになる。
経験したことがあるひとは知ってる。

嫉妬するなんて醜いって思ってるかな。けれども、
ああ今わたし嫉妬してるなって気づくだけで、それでもう十分じゃないかとおもうんだよね。

強烈な感情を感じたことで自分を判断しないで。
自分を責めれば責めるほど、嫉妬からは離れられない。
それを感じてる自分も自分という存在のほんの一部分だし。(一部分ですらないかもしらん)

なにを感じても感じなくても劣った者じゃないし、もしそんなことを価値基準にしてるならちょっとそれ厳しくないかね?

そして、その今起こってる感情はなにを思い出せと言ってる?

そのひとの全体を感じたとき、それまで感じていたものが変化する。
そのひとの全体を感じるとは、自分がそのひとについて見えていないものも想像してみるということ。

想像ってファンタジーだし・・って決めつけるともったいない。
想像ってすっごいパワーだから!だって嫉妬も想像からきたわけだし。

いま自分の目にどう映っていようが、
それはほんの一部かもしれない、一部ですらないかもしれない、
そんなふうな観方はわたしにあなたに世界ぜんぶにやさしいのではないかしら。


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