自分の仕事がある

母方の祖父はとても賢い人でした。
働いてお金を稼いで家族を養うということはできませんでした。
ひとに雇われるとか自分の時間や労力をお金に替えるということが全くできなかったと。
これは母がわたしにした話。

そんなでわたしの母は金銭的にとても貧しい家庭で育った。
わたしは母からそんな話をたくさん聞いた。

母の祖父への尊敬と内に秘めた軽蔑。
祖父が稼がなかったということ、
同時に祖父が智慧を惜しみなく多くのひとに使っていたということ。


わたしの祖父のイメージは、墨をすっている姿、筆でなにか書いている姿、漢方薬の匂い。白いシャツ。 穏やかで静かな雰囲気。



母から刷り込まれた祖父の生き方へのわたしの観方が、ある時変わった。

それはわたしが仕事というものに対しての観方が変わったことも大きく影響してる。



あるセッションでわたしは母方の祖父の思い込みを受け継いでいると言われたことがある。いままで祖父はわたしにとってそれほど近い存在ではなかったから意外だった。
その思い込みは、「ひとには分かってもらえない」
自分の知恵は普通一般の人にはそうそうわかるまい、というようなもの。
!!んまあなんと傲慢な。
けど、その頃なんかその感覚はとても馴染み深かったんだよね。




わたしの祖父と祖母、子供たちは逃げるようにして韓国の済州島から日本へやってきた。母が生まれる前。済州島ではその村では初めて運動靴を履いたひとで、教育を受けていて、跡取りとして大切に育てられた。

その恵まれた環境から、ほとんどなにも持たずに来た。

祖母が子どもたちを育てるために働いた。

稼ぐことはできなかった祖父だけど、たくさんの同胞に頼りにされていたらしい。
字の読めない多くの人たちは祖父に字を読んでもらい書類を書いてもらった。子供の名づけを手伝ってもらった。智慧のある祖父にいろいろな相談をしにきた。父方の祖父もその祖父のことが自慢だったそう。


祖父は自分の仕事をしていたのだ。


お金を稼ぐことはすごいことだとおもう。それが得意なひともいれば得意じゃないひともいる。いろんな所で何桁稼いだという話やお金とは感謝や愛のあらわれだと稼ぐことはスピの高さのようにも言う。


お金がないのは貧しいとわたしたちの多くは思い込んでいる。
貧しいことは恥ずかしいことだと。お金と豊かさと貧しさがつなげられて考えられてる。
少なくともわたしはそう思って生きてきた。祖父のこともそうゆう目で長い間見ていた。


豊かさ
しあわせ
満足

自分にとってそれらはどうゆう状態なんだろう。

それを見直すのに今のこの世界はほんとにいい場所だとおもう。



ひとにはそれぞれの、そのひとだけの仕事がある。


世間でいう失敗や成功の判断を持ち込めない、義務や責任を超えた場所。

どうしてもやらなくちゃいけないこと。
したくてどうしようもないこと。
あきらめきれないこと。
なにかに急き立てられるように衝動として。
否応なく自分の元にやってくることとして。

わたしにもあなたにもある。



あるとき教えてもらった。

智慧というのはそれを分かち合うひとの元にやってくると。
自分だけのものに独占しようとする人にはそもそも智慧はやってこない。

やってくるという表現をしているのは、ほんとに存在から降りてくるから。

それを分かち合える人の元へやってくる。
智慧はこの世界に必要だから。
それを必要としている人・物・場があるから。

それを仕事という。

わたしだけの仕事がある。

あなただけの仕事がある。



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サイキックマッサージ



1/24(日曜)
ニュートラル・ワークショップーBe still and know


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タイミングって?

髪が切りたくなった。もう今すぐに切りたい!から電話したけど予約がすぐにとれなかった。
予約まであと3日もある。。。


当日にセッションの予約をいただくことがたまにある。時間さえ空いていればわたしの方はウエルカム。
わたし自身も、なんとなくとかふととかピンときたとかで動くことも多いから、その急なオファーにタイミングが合い、セッションできた時はよかったなとおもう。


タイミングというワードが出た。
タイミングをやたらと気にするひとがいる。なにかがすんなりといかないと今はタイミングじゃなかったと言う。すんなりってどうゆうの?ドラマティックな起こり方が好きなんだろう。一歩を踏み出すのが怖いんだろう。タイミングを言い訳につかうぐらいのものならば、起こらなくてもいいんだろう。

新月の日とか縁起のいい日とか、それも楽しいけれど、
運試しみたいなことで自分の運を計るのはやめて、
やってみたいとひらめいたことは、いま、何度でも、トライしてみよう。

どんなタイミングであれ、すべて最善。なのであれば、言い訳してたって最善なんだけど。
でもちょっと感じてみて。言い訳ばかりしてるとだんだん自分をイヤになってこない?言い訳ばかり言うひとの話聞きたくないよ。



自分のことをイヤって感じるようなことはなるべくしない、
それは最低限のセルフケア。

自分のことを受け容れにくいというなら、自分を嫌ってしまうようなことをまずやめていく。そしてね、あまりに品行方正だと自分のことをなかなか好きになれない。それは守らなければいけないルールがたくさんある。自分に課してるものが多すぎるから。



一生懸命なひとって美しい。
トライできるものがあるっておもしろい。
やりたいことやっていこーぜー。


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1月24日(日曜日)
ギリが「ニュートラル」をテーマにしたワークショップをします。
ボディワーカー、セラピスト、人と関わる人たちには必須のテーマだとおもう。
瞑想をしたいというひとにも!
ボディワークワークショップ Be still and Know 詳細はこちら


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感じて決めて動く

2021年、あけましておめでとうございます。
こころからだすこやかに。
わたしたちの美しさがこの世界を創っていること、その魂の灯がこの世界のすべてだということ、みんながその灯を受けとり灯し続けると約束して今ここにいること、いのちを生きよう。



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感じて決めて動く

それは、
自分が感じたことを、
そこから選択して、
実際にやってみる
ということ。

生きていく最強の知恵が自分にあるのだとしたら。

感じて決めて動く
わたしたちに必要な土台となるものだとおもう。



感じるってどうゆうこと?
感情ってなに?喜怒哀楽のこと?
これらになにか難しさを感じている、 ということなので、
今日はそれについてマルガが感じてることを書いてみる。


感じることを言葉であらわすということは、感じることを考えてるというような矛盾があるけども。感じたようにできるかしら。


まず、 考えるということ。
考えるはアタマ、マインドから出てくる。
それはほぼ自分のものじゃない。
親、教師、世間、マスコミ、本、無意識に受けとった情報。
あれは正しい、あれは間違い、あれはああゆうもの。
ほとんどのひとが、本には正しいことが書かれていて、マスコミは正しいことを報道していて、成功者は人間として素晴らしくて、男はこうで女はああで、高次元が低次元が・・となんとなくどこかでそうだと言われていることをそのままそうだと思っているふしがある。

親や社会に違和感や反発を感じながらも無意識に親や社会の考えを元に生きてる。
サブリミナル効果みたいに刷り込まれて自動操縦。
洗脳とも言えるかもしれないそのそれは、はっきりとYESとNOと標識があり、すすむべき正しい道があり、行ってはならない間違いの道があり、多くのひとが標識通りにすすんでいるからごっついぶっとい轍ができていて、まるで舗装されているアスファルトの道。安全な道と思われている。


そして、 感じるということ。
まず、感じること自体、パーソナルなこと、オリジナル。
みんな感じ方がちがうんだよ。思考が強いひとは感じ方にも順序とゴールがあるように思ってるけど、みんな本当にちがうんだよ。
同じ場面でもあるひとには強い感情がわくけれど、あるひとには居心地の悪さを感じるかもしれない。こうだからこう、というものはない。

もし道に例えるとすれば、轍なんてない。だれも同じところを歩かないから。真っ暗な場所で自分の感覚という灯りを頼りにすすむようなもの。「こう感じたんですけど、合ってますか?」と尋ねてもだれも正解を知らない。だからあなたの内側に聴くんだよ。感じるというツールを使って。だれかに任さないで自分で。そのツールはみんなに与えられてる。身体の感覚、感情、直感を通して。そしてその感じて決めて動いたことは正しい。それはあなたの感じたことが正解で目の前のひとの感じたことは不正解ということではなく。間違いようのない世界。感じる世界の道は二つに分かれてはない。

いままで思考で物事をすすめてきたひとには、感じることは不安定にみえ不快かもしれない。ファジーだし。 保障もない。けど、マインドの世界にも保障なんてない安全でもない。ただサバイブの感覚に鈍くなってるだけ。

そして感覚を意識的につかってこなかったのだから、感じるということがつかめない。そう、つかもうとする。
アタマの習慣で、感じるをしようとする。
そして余計に自分の感覚を信じられない。これ、感じれてないんじゃない?って。

感じれてないのではなくて、いま感じてることを意識にとらえてないだけなのでは?いままでの人生でピンときたことや、ふと感じたことを、感覚にしたがってすすんできた経験はあるはず。
意識がマインド、考えるときの位置にあると、それはとらえられない。
アタマではなく身体で起こってるから。

感じるというのはとっても心許ないかんじなのです、最初は。 名前もつかない、カテゴライズできないもの。 いままでとは異なる場、ツールなのだから。


決定的にちがうのは、アタマの世界は、外側に正解があってそれを内側に取り入れる。内側を矯正する。
感じる世界は、内側(身体・感覚・感情・直感)で起こったことを外へ表現する。方向が逆。


ごはん食べてて、お風呂入ってて、つまんなくてネットサーフィンしてて、これ読んでて、
それぞれのとき、その今していることを本当に体験してる?
五体満足だから、見える聞こえる味わえるわけではないのよ。
ごはん食べるとき、ほんとに食べてる?
考え事してない?なにか観ながら?

感じれてないと感じているとき、どんな気分、かんじ?

あたたかい、冷たい、固い、やわらかい?気持ちわるい、心地いい、のどが詰まるかんじ、つまらない、ドキドキする、お腹に力を感じる、不安、むかつく、なつかしいようなかんじ、胸が痛い、怖い、そわそわする、うれしい、恥ずかしい、あの時の感覚とおんなじ、イヤ、好き、きらい、気をそらしたくなる、言葉にできないけどなにかこのかんじ、なにも感じなくていいしなにを感じてもいい、


自分になにが起こってるんだろうと気にするより、
今していることを今しっかりと身体・五感で体験してみて。
そして少しの変化をちゃんとみとめるのはとても大切。これはなにかを育てるときと同じ。

長々と書いたから、マインド寄りになってしまったかもしれない。
なにかが伝わるといいな。
今日はここらへんで。


スタジオウーヌスは2021年セッションをスタートしています!
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ニュートラルのワークショップ
クラニオに興味のある方、宇宙エネルギーを感じたい方、
人と関わる仕事をしている方、とてもおすすめです!
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