2020ありがとう

2020年、マルガと、スタジオウーヌスと、出会ってくださったみなさんに感謝します。どうもありがとうございました。

大きな1年でした。きっと多くのひとにとってもそうだったでしょう。


今日の午前、今年最後のセッションでした。
セッションが終わり、部屋の窓を開けたら雪が降っていました。
ちょうどウーヌスのある建物を出たばかりのクライアントの方に「雪!降ってるよ!」とベランダからおもわず大声出して話しかけるほど、なんかとてもいいシチュエーションとタイミングがうれしかったから。今日のセッションに祝福がもたらされたようなそんな光景だったな。


そして熱田神宮へお参り。
ここでも大祓の神事のタイミングにちょうど出会いました。熱田さんはいつもあたたかい。雪の中の神事はすごく美しかった。



わたしの2020年はいままで動かなかったことが動いたというかんじの1年でした。

動かそうと自分なりに一生懸命だったこと、気になってるけど手を付けてなかったこと、怖くて触れられなかったもの、めんどくさかったもの、
そうゆう物事がアクシデントやタイミングやらいろんな条件、プロセスを経て、いくつかのことが済み、いくつかのことが始まりました。


その中には何年間も時間を経たものもあり、済んだものも始まったものも両方にほんとに感慨深い。ほんとうにやっとだよ。
もっと他に言葉はないんか?と探すけれど、わたしのボキャブラリーは今のところ、感慨深いとしか表すものが見つからない。じれったいわー。


何年間もワークし続けたことがひとつの終わりをやっと迎えたこと、ほんとにうれしい。終わりという現時点での結果がうれしいということよりも、ここまでのプロセスを体験してきた自分がしあわせだなと感じる。



終わりははじまり。
終わりというのは一時的な目印みたいなもの。
そう、旅は続いているのだ。
わたしは自分の道を歩いている。

あなたの2020年はどんな1年でしたか?



2020年、ありがとうございました。


マルガ

続けること、流れに沿うこと

寒くなってきて、あたたかいものが有り難くなってきた。
おでん、おふろ、お布団・・。
寒いからこそのおいしさ気持ちよさ。

身体があったまるってなんて気持ちいいんだーって改めて感じれる季節。
身体があたたまると気持ちも穏やかに心地よくなる、つながりの実感。

季節によって身体はほんとに変わるなー。
1年の季節の移り変わりと、わたしという命の動き。
それは今回の肉体がはじまって終わるまでの一生の移り変わりという季節。

この両方の季節がうまい具合に働いて自分も地球もすべてのいのちが今あるんだろうとおもう。そしてそれをより活かすのは自分が自分とどうつながっているかなんだろうな。


ダイナミック瞑想を毎朝続けてひと月半ほど。
秋分辺りからはじめて今日は立冬。冬へ入った。

毎朝続けていることがあるからこそ、季節の変化と身体の変化のリンクがよりわかってきたような気がする。

ずっと同じことをし続けることは、わたしにとってそれほど重要じゃないかもしれない。
いまここの流れを感じてそれに沿うことの方が大事だ。

そのサインはどこからきている?
マインド?あまりに納得する巧妙なトラップではない?それとも身体?ハート?


そしてもひとつ大切なことは、続けることと流れと共にあることは極ではないから。いろいろなことにおいてどっちか一方だけ選ぼうとするのはなんなんだろうか。

気づいていよう。

最近、wifiくんの調子わるくてストレス。彼も変化のときなのかな。そんなときはなんやかんやするよりあったまった方がいいですよ。


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それもほんの一部分。

たとえばだれかに嫉妬を感じるとき、そのひとの一部、いま見えてる(と思ってる)ものだけに意識が向く。

自分が欲しいものを相手が持っているから、自分は欲しくないのに自分は持っててそれを相手は持ってないから、それが苦しくて嫉妬する。

嫉妬してるときって、他の感情を感じてるときもそうだけど、ほんとにいろんなことが見えない。
嫉妬って苦しいんだ。
ちょっとでも感じたくないほどに強烈なもので、もういっぱいいっぱいになる。
経験したことがあるひとは知ってる。

嫉妬するなんて醜いって思ってるかな。けれども、
ああ今わたし嫉妬してるなって気づくだけで、それでもう十分じゃないかとおもうんだよね。

強烈な感情を感じたことで自分を判断しないで。
自分を責めれば責めるほど、嫉妬からは離れられない。
それを感じてる自分も自分という存在のほんの一部分だし。(一部分ですらないかもしらん)

なにを感じても感じなくても劣った者じゃないし、もしそんなことを価値基準にしてるならちょっとそれ厳しくないかね?

そして、その今起こってる感情はなにを思い出せと言ってる?

そのひとの全体を感じたとき、それまで感じていたものが変化する。
そのひとの全体を感じるとは、自分がそのひとについて見えていないものも想像してみるということ。

想像ってファンタジーだし・・って決めつけるともったいない。
想像ってすっごいパワーだから!だって嫉妬も想像からきたわけだし。

いま自分の目にどう映っていようが、
それはほんの一部かもしれない、一部ですらないかもしれない、
そんなふうな観方はわたしにあなたに世界ぜんぶにやさしいのではないかしら。


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あっちはこっち

ひとに好かれたいと思ってる、
あんなヤツに嫌われたっていいやって思ってる、
どっちもおんなじ。

あっち側かこっち側かっていうだけ。
西か東か、北か南かみたいな?いえ、ちがう。


あっちとこっちは反対側ではなく、同じところ同じもの。


そうやって極を行き来してることにうんざりしたら瞑想と出会うのかもな。



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くつろぎ、三位一体

寛ぐのがわたしたちにとってなぜ難しいのか。
寛ぐというのは簡単にいうと、無駄な力が無く穏やかで中心にいるような状態。ボーっとしたのは寛ぎとは別のもの、寛いでいるとき意識はクリア。

わりと多くのひとが緊張があることに気づかない。いつの間にか身体に力が入ってる。ちょっとしたことで身体は緊張するしね。緊張が当たり前の状態になってるなら、それは気づくのは難しい。


気づくというのは距離・スペースがいる。そこから離れないと見えない。

まず身体をゆるめるために、身体を締めつけるような物を着ないとか、普段の生活の環境を整えることはとても有効。
身体に意識が向きにくい人ほど、締めつけ感のある下着を着けてるようにおもう。
ブラジャーやショーツ、パンストのゴムが身体を圧迫してる。
本人はそれが普通だから気にならない。
緩んでちゃあ生きていけないんだよ、という無意識の怖れもあるのかな。
だから身に着ける物で自分を縛って、ケツをたたく。何者かになれ、もっと頑張れと。
それに慣れすぎてて苦しいとか窮屈と感じないのかもしれない。
感じてるけどやめられないのかもしれない。

で、このケツをたたいているのはマインド。思考やアタマ。
マインド重視のひとはマインドが王様で身体はその下僕となってる。
だから緩むことができない。いや、緩みたくない!ってかんじ。
いつもON、身体の声なんて聴いてたら計画がすすまないからね。


身体やマインドあるいは心が緩んでくると、締めつけのある下着は着けることができなくなる。不快だから。シンプル。
そして締めつけない心地よい下着を身に着けはじめると、身体やマインドは変わっていく。
どちらからでもいける。


寛ぎは身体とマインドの両方が手をつなぐことで起こる。


マインドが王様で身体はその下僕という関係性の中では寛ぎはこない。
マインドと身体がお互いが仲間だと知ること。
その状態で、元々わたしたちにある寛ぎが顔を出す。

身体を道具にしてはいけない。
身体は神殿。魂が降りてこれる場所。
この神殿がなければわたしたちのこの人生のなにもあじわえない。
すべての存在している意図をもう一度思い出して。

寛ぐというのは身体とマインドとそして魂が、ひとつのスペースのそれぞれのいるべき場所にいてそれぞれの真の力を発揮しているということ。
三位一体。
身体は身体の、マインドはマインドの最大限の力の出し方を。
その道のプロフェッショナルがその道を究めて、それが協力したとしたら。
それは最強。寛ぎとはそんなことなんじゃないか、と。


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いい匂いとどけ

はじまりへの旅、という映画を観た。

いい映画だった。
観た後、なにかが残っててじんわり振動してるかんじ。


興味深い(interesting)と言うな、具体的に話せ、というのはこの映画の中のセリフ。
本の感想を求められたときの場面にそのセリフが出てくる。
興味深いという言葉でごまかさずにちゃんと自分が感じたことを話してごらん、というようなかんじでここでは使われてる。


わたしも時々使ってるな。興味深いって。

感想って、感じたこと想ったことを言葉にすることだけど、感じたことって言葉にすると矛盾がでてくる。うまく言えない。
それは上手に言えないという意味ではなく、感じたままをすべて伝えることはむずかしい。感じることは距離も空間もなにも限りがないから。

でもそれでも言葉にしてみるのは挑戦したくなる。限られた中でどれを選択してどう表すことができるか。文字になにをこめるのか。

だれかの文章を読んでると、そのひとを感じられる。面と向かって話すのとはちがうところを感じられたりする。
だからこの文章もわたしの匂いがするんだろう。
どんな匂いであれ、届いていればうれしい。
いや、いい匂いでありますように。

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理屈では動けない

今日は片づけをした。

なんとかしたいなと思いつつ、そのままにしていた場所がある。

どんどんすさんでいくが、やる気なし。


それが昨日ふと思い立ち、片づけをし始めた。


ギリを巻き込みたかったので、あなたの部屋でもあります!と強く誘うが、ギリは全くやる気なし。

そりゃそう、理屈では人の気持ちは動きません。
理屈でせめると、その扉は一層強靭な扉に変わるんだ。ぜんぜん開かない。

それで昨日はひとりでし始めたけど、セッションの時間が近づきタイムオーバー。


そして今日。

ギリがやる気になってきた!

わたしも昨日みたいにいらんこと言わなかったからね!賢い、学んだ。


よかった~、やる気が起こって。彼のものを片付けないと、この片づけが進まないのよ。


どれくらいぶりかな。こんなに片づけたのって。

まだプロセスはあるけれど、今の時点では大満足。
用もないけど、片づけた場所へ行く。よし!


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21日目、

先月から毎朝、ダイナミック瞑想をしている。

ひさびさにダイナミックしたいなーって思っていたタイミングで、シッダがファシリテートするzoomでの瞑想会があったからそれに参加した。

瞑想はそのひとつのものをまずは7日間続けてみるといいと言われる。

それができたら、21日間、3か月・・。

これ、瞑想に限らず物事を理解・習得しようとするときにつかわれる。

zoomの瞑想会。

zoomでダイナミックをするのははじめてで(ダイナミック瞑想するのも1年半ぶり!)、どんなふうなんだろうと思っていたけど、良かった。
みんなとつながってやるってほんといいね。

毎回、インストラクションがあり、ダイナミックに関してのoshoの音声か言葉が流れる。リッチだ~。

何度もやってる瞑想でも、毎回毎にインストラクションがあるっていい。

そのzoomの瞑想会が終わり、しばらくひとりで続けていた。

そして今日はダイナミック瞑想をスタートして21日目。

イエイ!気持ちええぞ。


ダイナミック瞑想は5つのパートで構成されている。

最後の第5ステージは、祝祭。

その祝祭を今日一日携えて生きる。

こうやって書いているだけで、ぶわわーっと歓びがわいてくる。生きるってこうゆうことだったな。


今回の瞑想会で流してくれたoshoの言葉。


祝祭とは植物に水をやるようなもの、思い煩うことはその根を切るようなものだ。

みなさん、今日も美しい一日を。

Feel happy!




ダイナミック瞑想について

表現するのは気持ちいいと知った

寒くなりました。寒いと眠りが深くなるね。今朝起きた時、何年間も寝ててとうとう起きたってぐらいの目覚めだったよ。


最近、わりとまめに文章を書いてる。こうやって書いたり、色を使って絵のようなものを紙にあらわしたり、毎日なにかしらその時あるものを表現したいなっておもってやってる。


はじめてブログを書いたのは、神戸で独立したとき。宣伝というより文章を書いてみたかった。
だれにも気づかれませんように、って書いてた、笑。
だれも読まないって思って書くと、するする自由に書けた。
自分をどこにも置かずに、どんな位置からでもなく、なにも纏わず、心にあるものをそのままの言葉で書きたいという想いで書くのは気持ちがよかった。


恋人がいなくて、適齢期とか、世間のいろんなモノサシに計ってもらえるものを何も持っていなくて、今も将来にも不安がいつもあって、孤独と感じていて、友だちに甘えたいけど、向こうの事情を勝手に想像して連絡できない、そして今の仕事のやり方を変えたいけれど、独立する前からずっと来てくださってるクライアントの期待に応えたい、と葛藤していた時期。

あの時期、文章を書くこともそうだけど、わたしはたくさんのジャンプをした。えいっっって、怖くて目も開けられないまま飛び込むってことを。
ひとからはジャンプには見えてなかったかもしれないこともわたしには大きな一跳び。

あの時期だけじゃないな、それは今もおんなじ。わたしの繊細さ敏感さは以前とおなじ、変わらなくて。
ちっちゃなことにジャンプして、たまに後ずさりして。
でもあの時みたいに葛藤で苦しくなることは少なくなった。今はまた別のかたちをしてるけれど、それはもうジャマなものではなく。

繊細すぎて生きるのが大変ってひと、ここから応援してる!!!

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バランス

だいたい秋のはじまりくらいから次の夏がはじまる辺りまで、ゆっくりじっくり体重が増えていく、というのがここ数年のわたしの身体。

毎年4キロほど。結構大きい。

だからシーズンを問わない服の中でもピチピチで入らなくなる服が増える。

そして夏がはじまるとゆっくりと体重が減っていく。

夏がはじまるころというよりも海に入りだすと。

アクアフローティングは夏の海ですることがほとんど。

海という自然と触れ合うと、身体も自らが自然であることを思い出していくのかな。

それに海も水も塩分もどれも強い浄化作用がある。

出る必要のあるもの不要なものが出ていく。

肉体的なもの、感情的なもの、いろいろ。

そしてわたしの場合、好きなことアクアフローティングをシェアできる時間だからすごく満足感がある。

満足してるとき、しあわせと感じてるとき、それはエネルギーの循環が起こっているときで、その時、わたしはそれほど食べ物がいらない。

逆に、足りないという感覚の時、身体を気持ちよく動かせてない時とか、わたしはよく食べ物で補おうとする。

そうゆうとき、多分その辺の男性よりも食べる。


今年はなんと気づくと6キロも増えてた。見たことのない体重になってた。
久しぶりに会った母からは、ええ~っと驚かれ、一緒に暮らしてるギリからは、マルガ大きくなったね!と・・。

ええ、かなり。

ビッグマルガがいいと言う人もわりといるよ。


精神とか人生とか身体やホルモンとか、今わたしが大きく変化しているプロセス。この大きな変化はどこを見てもだれに聞いても起こってる。

わたしたちは独自のそれぞれのリズムやバランスをもってる。それが周りからみておかしなことであったとしても、どんな変化のプロセスであっても、それが今の最善のバランス。


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